Haru.

HEAPS Web Magazine でインターン。アート、フェミニズム、クィアに関す…

Haru.

HEAPS Web Magazine でインターン。アート、フェミニズム、クィアに関する記事を書いてきました。 世界各地で山ほど参加したアートイベントや展覧会で見てきたこと、聞いてきたことなどを記事にしていきたい。と画策中。映画・演劇・ミュージカル大好き。

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  • 演劇レビュー

最近の記事

星組『ロミオとジュリエット』

語らずにはいられないすごいものをまたもや見てしまった… 元々星組でやると決まった時から、期待しかしていなかったものの、それを余裕で超えてきた感覚。 今まで宝塚のロミジュリは何回か映像で見てはきたものの生観劇は初。それでも以前のロミジュリと比べて大きく変わったなと思う部分を中心に考察していこうと思う。 ジュリエットを中心とした、娘役が動かすストーリーライン宝塚と言えば、確固としたトップ男役制度が昔から脈々と受け継がれ、娘役は(トップ娘役でさえ)「男役」を立てる役割とされて

    • 推しを見つめ、燃ゆる自分の肉体

      今話題の小説、芥川賞受賞の宇佐美りん『推し、燃ゆ』読了。 私自身物心ついた時には推しがいた、というぐらいオタク文化と長らくお付き合いしている人間なので、読まないわけにはいかないだろうと思い軽く読み始めてみたら、想像以上にかなり心に重みがのしかかるような、呼吸が浅くなるような、そんなラストだった。 小説自体はかなり短くて、文体もそこまで難しくないからするする読める。 でも自分の心身状態がいつもと異なる人や、さまざまな環境変化についていけない人はこの予測不能な状況下でたくさ

      • 今年行った展覧会&演劇(2020年)

        展覧会 ・トモトシ「有酸素ナンパ」@埼玉県立近代美術館 ・田中攻起「ひとつの詩を5人の詩人が書く」@青山目黒 ・「至近距離の宇宙」+山沢栄子「私の現代」@TOP ・百瀬文「icanseeyou」@East Factory Art Gallery ・中島晴矢「東京を鼻から吸って踊れ」@gallery aM ・和田昌宏・永畑智大「国立奥多摩物語」@LOKO Gallery ・白髪一雄「白髪一雄展」@Tokyo Opera City Art Gallery ・ダムタ

        • 『チョコレートドーナツ』@PARCO劇場

          2020年の観劇納めは『チョコレートドーナツ』。 後半は仕事も忙しく、なかなか見たい小演劇も観劇できなくて、(持ってたチケットも公演中止で飛んで行ったりして)やっと観劇できたのがこの作品。 2014年に公開された原作の映画は見たことがなくて、でも『同性愛者のカップル』『ダウン症の子供』、そんなワードだけが取り沙汰されていたのは覚えている。あれがもう6年前なのか、それからこの世界では何が変わったのだろうか。今はどのように紹介されるのだろうか。そんな事を考えていたら、1幕が始

        星組『ロミオとジュリエット』

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        • 演劇レビュー
          5本

        記事

          共感への罪悪感

          大前粟生「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」を読んだ。 自分で言うのもあれだけれど、自分の姿が物語の中に見えすぎて、苦しくなる小説だった。だからなかなか書き進められないのかもしれない。でも、かなり記憶に残る小説だったから、書き留めておこうと思う。 短編小説四編を詰め込んだこの本の中の最初の一編、「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」。ぬいぐるみサークルに所属する男子大学生が主人公のお話。 私自身の身体の性が女性だということもあり、ジェンダー文学に興味はあっても大体女性が主

          共感への罪悪感

          「みんな」という主語の怖さ

          ここ最近、家にずっといるからか、異質空間に飛び込める作品ばかり好んで選んでいて、ファンタジーやSFや、現実離れしたものばかり見ていることに気づいた。元々嫌いな訳ではないけれど、コロナ前は美術館や劇場にいくことで満たしていた感情が、どこにも行けないことに加え、バーチャル空間のSNSには怒りと憂鬱感しか湧かないような社会がまざまざと映し出されていて、自分は思った以上に疲弊しているのだと気づいた。私がニューヨークで一番大好きだった美術館、クイーンズ美術館のディレクターがこんなことを

          「みんな」という主語の怖さ

          女子高校生の憂鬱と愛情

          松浦理英子「最愛の子ども」を読んだ。 彼女が紡ぐ言葉には、私が言葉に表せない感情や、心の奥底にしまい続けてきたような、無理やり「思い出」にした記憶を想起させる力があると思う。久々にフィクションの中で、自分の現実に向き合う経験ができた。 万人が共感できるようなものではないと思うし、自分はだいぶマイノリティだと自覚しているので、みんなにわかってもらいたいと思って書いているわけではない。けれど、届く人には届くかな、と思って書いてみる。 女子校(女子クラス)で生活する真汐(ママ

          女子高校生の憂鬱と愛情

          「ビジネス」@ザムザ阿佐谷 12/11-18

          ずっと時間がなくてレビューを書けなかったので、この機会に。 去年の年末、衝撃的な演劇体験をしてしまった。 戻りたくても絶対に戻れないような、そんな感覚。 現代アートや映画を見て、あまりの衝撃に動けなくなったことは度々あった。感情が揺さぶられて気持ちの整理ができなくなったこともあった。 全ジャンル満遍なく鑑賞しているつもりだったけれど、小劇場の演劇を日本で見たのはこれがほぼ初めてだった。だからこそ新鮮すぎて、真っ向からカウンターパンチをくらってしまった。 『ビジネス』

          「ビジネス」@ザムザ阿佐谷 12/11-18

          気持ちの整理整頓。

          塞ぎ込むニュースが多すぎて、精神的にも体力的にも参ってきたので、今の気持ちをぐちゃぐちゃなりに書き記すことで、ちょっと落ち着けるかな、なんて思って投稿します。 先週あたりから、日本のパラレルワールド感は増してきてた。海外・特に欧米圏にいる友達はみんな大パニックで外にも出れず、オンライン授業なんてとっくに始まっていた。 その一方で日本は、2月の方がパニック感があって、3月に入ってからなんだか落ち着いたような心理的操作を政府やらメディアやらにまんまとされてしまったような気がす

          気持ちの整理整頓。

          『赤すぎて、黒』@萬劇場

          演劇やアートが大好きな私にとって、コロナ打撃はかなりのダメージをもたらしていた。 休日に行ける場所もない、新たなアートを学ぶ場所もない、自分に活力をくれる芸術がこんなにも触れにくいものになってしまうなんて、思いもしなかった。 いつも、どんな田舎でもどんな都市でも文化芸術はちゃんと生きていて、息をするようにアートを摂取していた私にとっては、監獄に入ったようなものだった。 そんな中、萬劇場で先日無事終演した『赤すぎて、黒』を観劇することが出来た。まさに監禁、監獄がある意味裏

          『赤すぎて、黒』@萬劇場

          国際女性デーに思うこと。

          昨日、3月8日は国際女性デー。 日本だと昨日だけど、アメリカやヨーロッパだと今日だからか、今日の方がすごいTLやストーリーズが賑わっている。気がするのは私だけかな。 もちろん大正時代、もっと前からフェミニズムの運動は確実に存在していた。それでもここ最近まで世間的に「フェミニズム」という言葉が知られることはなかったと思う。日本のニュースやメディアでも取り上げられることが多くなり、賛否両論が飛び交い、議論が新たな議論を呼んでいる。その質が良いか悪いかはさておき、多くの人が耳を

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          理想のかぞく、現実のかぞく。

          今日は、映画『his』を見に行った。 公開前から気になっていた映画で、レビューも読まず見に行ったのだけれど、一言では表すことができないなんとも複雑な気持ちになった。 というのも、やっぱり理想があたかも現実かのように描かれてしまっていたから。理想のかぞくの形が、現実のような世界でこんな簡単に受け入れられているのを目にして、違和感違和感違和感…の連続だった。もちろん自分の理想だから、現実になって欲しいのだけれど、今の現実で実現しないから「理想」であって、その二つが交差するとこ

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          理想のかぞく、現実のかぞく。

          私たちは何も知らない@東京芸術劇場シアターイースト

          日本のフェミニズムの歴史を探っていくと、必ず行き当たる人物。 それが「平塚らいてう」。 日本文学史、日本史の教科書で見かける超有名人だから知らない人は少ないだろう。本名「平塚明」。明るいと書いて「はる」と読む。明治19年、東京の麹町で生まれた彼女がここまで知られているのは、「青鞜社」という女性による女性の覚醒を目指すための文学団体の発起人であったからだ。 この「青鞜」編集部を舞台にした作品が、去年の末に東京芸術劇場シアターイーストで上演されていた。二兎社の永井愛が作演出

          私たちは何も知らない@東京芸術劇場シアターイースト

          当事者と非当事者の境界線

          この前、たまたま熊谷晋一郎さんの公演を聞く機会があった。 「当事者研究」の第一人者である熊谷さんのお話は、一言一句重みがあって、噛み締める暇もないほどノートにひたすら殴り書きして、忘れたくない、心にとめたい、そんな公演だった。 今まで何度も「当事者研究」というワードを聞いたことはあった。どんなものかも何となく知ってはいた。それでもなかなか近づく気にはなれなかったのは、何故なんだろう。 多分、「当事者」しか入れないような、排外的な空気を勝手にその言語から想像していたのかも

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          アートとジャーナリズムの狭間で

          どうやったら社会学とアートを同時に学べるんだろう。どうやってその二つを組み合わせながら実践していけばいいのだろう。これは今でも私の人生における一大テーマであるような気がする。 小さい時から歴史や芸術が大好きだった私は、大学に入って美術史を専攻した。世界史や日本史のテキストにたくさん出てきた美術作品の背景が知れたり、展覧会を仮想して作るのはとっても楽しかった。古典演劇から現代における表現の自由まで、多様なテーマでディスカッションした経験は今の自分に生かされていると、じわじわ感

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