見出し画像

国際女性デーに思うこと。

昨日、3月8日は国際女性デー。

日本だと昨日だけど、アメリカやヨーロッパだと今日だからか、今日の方がすごいTLやストーリーズが賑わっている。気がするのは私だけかな。

もちろん大正時代、もっと前からフェミニズムの運動は確実に存在していた。それでもここ最近まで世間的に「フェミニズム」という言葉が知られることはなかったと思う。日本のニュースやメディアでも取り上げられることが多くなり、賛否両論が飛び交い、議論が新たな議論を呼んでいる。その質が良いか悪いかはさておき、多くの人が耳を傾けるようになったのは確実に大きな一歩だ。

その一方で、特に日本のSNSを見ていると、ある一定のコミュニティだけが発信している感じがどうしても拭いきれない。どこまで浸透しているのか、どこまでの人間が自分ごととしてこの問題を考えているのか、すごく疑問だ。

全員に自分の意見を発信してほしいとか、そういうことじゃない。自分の心の奥の奥には、隠された繊細ながらもあったかい炎が、パチパチと音を立てて燃えているのかもしれない。ただ外から見えないだけで。

でも、言わないと、発信しないと、コミュニティは生まれていかない。日本社会にこびり付いた家父長制を根本から崩すためには、1人で戦っていくのは結構ハードだと私は思う。

アメリカに出る前、私はかなり自分を偽って生きていた。

特に大学時代、男性が求める「可愛い女性像」に近づけるようにめちゃくちゃ頑張っていた、と思う。中高は女子校だったから、ジェンダーなんて考えたこともほぼなかったのに、大学でいきなりジェンダーの壁が目の前に現れて、私を抑圧し始めた。

「彼氏」がいることが絶対的ステータスとなり、女子だから、「頑張りすぎないように」頑張った。自分の背が高いことを死ぬほど憎んだ。女の子といる方が楽しいのに、わざわざ男女が集まるような飲み会に行ったり、なかなか決まった「彼氏」ができない私に向かって「もっと男の友達作らないと!」なんていう友達も居た。カナダに短期留学した時も、「カナダ人の彼氏作るのが一番英語上達への道だよ!」と言われて、ここでもヘテロ中心のステータスマウンティングに苦しんでいた。

アメリカに出るまで、友達はたくさんいたけれど、正直自分の居場所はなかったのかもしれない。だから東京にずっといることもできなくて、長期休みになると必ず旅に出た。たまに友達と、たまに1人で。自分の周りにある関係性を、全部丸ごと捨てたくなる衝動に定期的に陥っていたから。世界に出れば、違う都市にいけば、そこにいる人は私を知らない、全部一から始まる関係性。そんなものを数年間求め続けていた。

ニューヨークに住んで、もっと酷いセクハラだって受けた。ストリートハラスメントなんて日常茶飯事。自分の体を守ることだけを考えて生きていた。

それでも日本にいる時より、確実に自分らしく生きていたと思う。発信しないと自分の存在価値が認められない場所に置かれて初めて、自分の中で燃えて続けていた炎について、人前で話すことができた。そこから少しづつコミュニティができて、自分にとって代え難いものとなった。めちゃくちゃ政治的で、クィアで、クリエイティブ。ここにきて、自分自身で「自分らしさ」を抑圧し続けてきたことに気づいた。自分がどれだけ苦しめられてきたのかも、実感できた。

そういう人ってかなり日本で多いんじゃないのかな、と思う。同調圧力がデフォルトみたいな社会で生きていると、「自分らしさ」なんて簡単に失われていく。リスクはもちろんあるけれど、自分の直感みたいなものを信じて、外に出てみたら、宝物が待っているかもしれない。

大勢の前で話して欲しいとか、そういうことではなくて、SNSでもブログでもYoutubeでも、どんな発信の形でもいいから、言ってみてほしい。友達とご飯に行った時に、ちょっと話してみるとか、難しいことじゃなくて身近なところで会話が生まれたら、それは大きな一歩だと思うから。自分が思っているよりも、実は仲間はたくさんいる。みんな言っていないだけで、隠れアクティビストはたくさんいる。そこが繋がっていけば、必ず大きなムーブメントは生まれてくる、と私は思う。

アメリカから帰国して、これから1人で戦っていくのは辛いな、と思っていたけれど、意外と人が新たな人を呼んで、コミュニティの再構成が起きている気がする。私が私らしくいながら、一緒に戦ってくれるコミュニティが。

あなたの周りにも絶対いるはず。だから、諦めないで。好きなことは好きだと、嫌なことは嫌だと言おう。苦しいことは、苦しいと言おう。

先は見えない戦いかもしれないけれど、「自分らしさ」は一番大切に抱きしめていて欲しい。

今を生きる全ての女性たちが、自分らしく生きられるように。自分の一生をかけて叶えていきたい、唯一の願いだ。

よろしければサポートしていただければ嬉しいです。これからも社会で可視化されないような、いろんな意見を届けられるように頑張ります。そして本当に「多様性」が実現する社会を目指して。