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アートとジャーナリズムの狭間で

どうやったら社会学とアートを同時に学べるんだろう。どうやってその二つを組み合わせながら実践していけばいいのだろう。これは今でも私の人生における一大テーマであるような気がする。

小さい時から歴史や芸術が大好きだった私は、大学に入って美術史を専攻した。世界史や日本史のテキストにたくさん出てきた美術作品の背景が知れたり、展覧会を仮想して作るのはとっても楽しかった。古典演劇から現代における表現の自由まで、多様なテーマでディスカッションした経験は今の自分に生かされていると、じわじわ感じ始めている。

その一方で、私には惹きつけられてたまらないものがもう一つあった。

社会学。特にクィア・ジェンダー論だった。

今ほどはLGBTQというワードが浸透していない時代だったが、幸運なことに海外から来た留学生たち、クィアとして自認している仲間たちと大学で共に学ぶことができた。その中で、自分の価値観は180度変わった。

大学でも、社会からも、押し付けられる大量の「norm」(規範)から必死に逃れたいのに逃れられなくて、自分を押し殺して生きてきた私にとって、自分自身のアイデンティティを解放してくれるのが社会学でもあり、アートでもあった。どうにかしてその二つを組み合わせられないのだろうか、そう思った時、アメリカやヨーロッパではその分野で学べる学科があるのだと知り、ニューヨークの大学院へ留学を決めたのだった。

大学院生活、というよりもニューヨークの生活はそんな甘いものではなかった。煌びやかで誰もが夢見るニューヨーク、というイメージが強いだろうが、実際はそんなの最初の1週間だけで、高額の家賃・生活費・保険料、そして東京よりもさらに速いテンポに置いていかれたら誰も振り向いてくれない、道端で倒れていても誰も気にしない、そんな冷たい面も併せ持つ街だ。

ニューヨークと東京の違いについてはまたじっくり書くとして。

そんなニューヨークにいたときに書いていた記事をいくつか参考までに載せておきたい。カルチャー・アートとジャーナリズムをミックスさせて、日本に住みながらも新たな視点が得られるように、そして現代アートをもっと身近に、面白いと感じてもらえたら嬉しいな、なんて思いながら色々と書いているのでお時間あればどうぞ。

今は日本に帰国し、また日本での日常を始めてしまったからこそ感じる安心感と危機感を同時に抱えながら生きている。テレビでは芸能人のゴシップが終日流れ、コメンテーターや司会も当たり障りのないことを言って言い争いを避け、日本の内側でも外側でも各地で暴力や戦争が起こっているのにも関わらず、その事実は覆い隠されたままだ。ある一定のコミュニティに行かないと、緊張感は全く抱けない。「安全で何もかもが完璧で、暮らしやすい国」そんな風に錯覚させられる。アメリカにいたときは、情報源はネットとソーシャルメディアだけだったからか、日本が音を立てて崩れていっているとあんなにも実感できたのに。日本の中にいると自分が意識を保っていない限り、その危機感は持続できない。そんな気がする。

という長い長い経緯があって、日常的に感じたこと・アメリカで感じてきたことを自分への戒めに、そして願わくば誰かのために、書き留めておきたいと思い、これから少しずつ掲載していくつもりだ。

最後までお付き合いいただいた全ての人に感謝を込めて。

Haru.


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