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『チョコレートドーナツ』@PARCO劇場

2020年の観劇納めは『チョコレートドーナツ』。

後半は仕事も忙しく、なかなか見たい小演劇も観劇できなくて、(持ってたチケットも公演中止で飛んで行ったりして)やっと観劇できたのがこの作品。

2014年に公開された原作の映画は見たことがなくて、でも『同性愛者のカップル』『ダウン症の子供』、そんなワードだけが取り沙汰されていたのは覚えている。あれがもう6年前なのか、それからこの世界では何が変わったのだろうか。今はどのように紹介されるのだろうか。そんな事を考えていたら、1幕が始まっていた。

簡潔なあらすじはというと、ゲイバーでドラァグクイーンとして働きながらも、歌手になる夢を捨てきれないルディと、差別や偏見を無くすため検事局で黙々と働くポールが出会い、恋に落ち、ダウン症を持つマルコという大切な子供を守るため闘い続ける物語。

マルコはルディのお隣さんの子供で、別に自分にとっては血を分けた子でもないし、全くの他人。それでも薬物依存症のマルコの母が捕まり、マルコが施設に入れられてしまうと分かると、それをとっさに止めようとする。最初は施設に何かトラウマがあるのか、何か別の理由があるからマルコに固執しているんじゃないか、そんな風に疑っている自分がいた。でもマルコの暫定的な親権を獲得した後、彼と過ごすルディの姿は本当に楽しそうで、幸せそうで。血が繋がった家族よりも、家族らしい。何だか全ての行動に理由をつけて、分析している自分にも呆れたし、自分の中で「他人は他人」と決めつけている節があったのだと反省した。衝動的に行動することだってあっていいし、周りの評価なんて気にせず突き進んでいったって良い。ルディの人生は、そんな事を教えてくれた気がする。

そんなルディの隣にいたからこそ、ポールも自分の壁を突き破れたのだと思うし、共に歩いて行こうと覚悟を決めることができた。もちろんリスクもあるし、ボロボロになることもあるけれど、それでも突き進む。

ラストは知らなかったから、やはり衝撃だった。どうして同性愛者のカップルは「普通」のカップルとして認められないのか、どうしてゲイバーは不適切な職場だと思われるのか、どうして異性愛者は子供の前でキスできるのに、同性愛者はダメなのか。何が正義で、何が偽りなのか、疑問だけが頭の中でぐるぐると渦巻きながら、迎えるラストシーン。

マルコが命を失う、この責任は誰にあるのか。

舞台だからこそできる照明の演出。客席に座る一人一人に照明が当てられ、問いかけられる。

『黙って生きているあなたにも、責任はありませんか?』

やはり舞台がすごいと思うのは、舞台と客席の間にある通称第四の壁を簡単に演出で破ることができること。テレビ画面の奥で行われていた演技が、その瞬間自分の目の前に迫り来る。第三者としてお話を眺められなくなる。強制的に物語の当事者にする強い力は、舞台しか持てないものだと感じる。

個人的に家父長的な家族概念はこの世から滅亡してほしい、そう強く願っている人間なので「普通の家族になりたい」と思う気持ちはとっくの昔に捨ててきた。そして私自身「普通の家族」にはどう頑張ってもなれないという自覚もある。でも、「普通」じゃなくても多様な家族の形は本当に認められてほしい、そう願ってやまない。父が2人でも、母が2人でも、子供がいてもいなくても、ポリアモリーの家族でも、お願いだから多様な選択肢を作らせてほしいと思う。選択肢が元々たくさんある人にとっては、なかなか気づきにくいものだ。選択肢が一つしかなく、それがどうしてもできないという苦しみを。でも考えてもみて欲しい、自分の食べれないもの、アレルギーがあるものだけをずっと与えられ続ける生活、それと同じことなのだ。

自分たちと違うものをどうしてそんなに恐れているのか。何がそんなに怖いのだろう。侵略?攻撃されるから?自分が大多数ではなくなるのが怖いから?

私は大多数にいる方が怖い。自分の感覚が鈍り、無意識に他人と同じ行動をさせられる世界、自分たちに関係のないことは「黙って見過ごす」という大きな罪を共に犯している世界。自分がしんどいときは、ひたすら黙って休んでも良いと思う。でもいつも、みんなそれだと何も変わらないよ。

そんな大口を叩いている私も別に前に出て、率先的に声を上げられているわけじゃない。人前が得意なタイプでもない。それでも、だからこそどんなに消えそうな小さな声でも、耳を傾けたいと常に思っている。それを届けるためなら記事も書くし、企画も作りたい。権力も実力も何もないちっぽけな自分でも、素晴らしい作品の力を借りて、声を届けることはできる。この舞台もその一つだ。実際に2幕の最後まで見て、何も感じずに帰る観客はいないだろう。その観客私たち一人一人が自分の周りだけでもその魅力を伝えたり、同性婚の話題を出して友達と話し合ってみたり、そんな些細な心がけでも少しづつ風向きは変わるんじゃないかな。

最後に、映画公開時と今を比べて、この6年で日本では何が変わったのだろうか。同性パートナーシップ証明制度が日本各地で次々と生まれ始め、LGBTQをテーマにしたドラマや映画など、メディアへの露出度がかなり高くなった。その一方で2019年2月から始まった同性婚訴訟でも、つい先日東京地裁の裁判長から「当事者の個別事情は夾雑物(余計なもの、邪魔なもの)だ」という趣旨の発言が出たり、まだまだ道のりは長いのだと思い知らされてもいる。

また新たな一年が始まる。状況が読めず、「一寸先は闇」状態の世界で、必要なのはルディのような生き方なのかも、と思ったり。自分が欲しいものに固執して、突き進む。絶望のラストなのに、不思議と勇気をもらえる、そんな素敵な演劇で2020年を締められて良かった。2021年はもっと素晴らしい演劇をたくさん見れるよう、願いを込めて。

Haru.


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