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共感への罪悪感

大前粟生「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」を読んだ。

自分で言うのもあれだけれど、自分の姿が物語の中に見えすぎて、苦しくなる小説だった。だからなかなか書き進められないのかもしれない。でも、かなり記憶に残る小説だったから、書き留めておこうと思う。

短編小説四編を詰め込んだこの本の中の最初の一編、「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」。ぬいぐるみサークルに所属する男子大学生が主人公のお話。

私自身の身体の性が女性だということもあり、ジェンダー文学に興味はあっても大体女性が主人公のものを手に取ることが多かった。というより、世の中に溢れる一般的な男性目線のものを手に取るのが怖くなっていたのかもしれない。

男性・女性と分断するのは正直あまり好きじゃない。それでも、明らかな男性目線で語られるものには、それがフィクションでも、拒否感を示してしまう。直接的ではなくても、奥底に潜んだ女性蔑視を見つけ出してしまう。あまりにも敏感すぎて、被害妄想か?と思う時もあるし、男女の分断をかく言う私が深めてしまっているのではないかと自責することも多い。でもどうにもならないこの性質を、自分でもどうしていいかわからず、未だ手に持て余している。

そんな中、この小説に出会った。初めて、いやじゃない、と思った。むしろ自分が重なりすぎて辛い。男性目線の語りなのは間違いないのに、ジェンダー要素が強いようですごく薄い、そんなありえない状況が成立していた。

大体小説は没頭すると早く進みたくて、急いで読んでしまう癖がある。でもこの本は、一つ一つの言葉を抱きしめながら読み進めていきたくなるくらい、大切な言葉が並んでいた。だから、ゆっくり、ゆっくり読んだ。

こんな一節がある。

「麦戸ちゃんの話を聞いているあいだ、僕もつらかった。僕も本当は泣きたかった。麦戸ちゃんのしんどい気持ちが、自分のことみたいに僕もしんどかった。これは、共感なのかな。大事なことなのかな。大事なこと、なんだと思う。でも、僕が傷つきたくて傷ついているだけなんじゃないかなって、やっぱり思ってしまうんだ。僕が、傷ついているから、傷ついてる僕は加害者じゃないんだぞ、悪くないんだぞ、って自分に言い聞かせたいだけなのかもしれない。傷ついて、楽になりたいのかも、そういうことを考えてよけい苦しい。(省略)」(大前粟生『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』、P73−74)

主人公が、ぬいぐるみとしゃべる「ぬいぐるみサークル」に所属しながらも、ずっとぬいぐるみに話しかけることをあえてしてこなかったのに、初めてぬいぐるみに話しかけた、そんな場面。何か自分を保ってきた透明な膜が耐えきれずに破けて、心からとめどなく溢れ出す言葉を自分のぬいぐるみに聞いてもらう主人公の姿に、自分を重ねて苦しくなった。

私は人に話を聞いてもらうのが苦手だ。すごく。人に助けを求めることも苦手。海外に出て、喋らなきゃいけない機会が多かったからちょっとは言えるようになったけど、でも断然聞き手に回る方が得意。自分の奥底まで全てわかっている人は、どんなに年数が長い友達の中でも、家族にもいないと思う。むしろ、人に話せないことは言葉に記す。こうやって、記録に残す。誰に向けて、とかではなくぬいぐるみに発散するように、私は書くことで発散している。

だからこそ、痛いように主人公の気持ちがわかってしまった。様々な社会問題に興味を持っていても、私よりももっと傷ついている人はたくさんいて、もしかしたら私は彼らを利用して自分を正当化したいのかも、なんて思うことはしょっちゅうある。「当事者」という概念に縛られすぎて、自分は「非当事者」だから動き出すのが怖い、そう思うことがある。

この前友達に言われて初めてそれが不思議なことなんだと気づいた。「共感への罪悪感」、私は常にその感情に怯えている。

このコロナ禍で、そう思うことは一段と増えた。私が不平不満を吐き出したら、どこかのもっと苦しんでいる誰かがさらに傷ついてしまう気がする。オンラインの繋がりしかないから、自分のSNSと頭の中だけで物語が進んでいって、さらにそう思うことが増えた。自分もしんどいのに、しんどいと言えなくてNoteにひたすらいろんなことを書いた。無意識にしんどくなっていく自分に気づかなくて、でも何も頑張れない時期が続いて、さらに自分が嫌になった。

「どうして自分を差別するの?」

この前オンライン観劇した舞台で、そんなセリフがあった。自分でも、理由は未だにわからない、から多分すぐには脱皮できない、と思う。もしかしたらずっとできないかも、しなくてもいいのかも。この小説にしろ舞台にしろ、どうしろとか、そんな簡単な答えは書かれていないから、わからない。わからないけど、自分がこうやって吐き出してるんだ、って発見できたのは良かったのかもな、と思ったりする。自分のことは自分が一番わかっているつもりだけど、まだまだ奥が深いなあと反省する。そんな1日の終わり。

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