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free and awake

子どもの頃にはなかなかできなかったけど、大人になってからある程度思う存分できるようになったことはあるだろうか。

大人買いもその一つだろう。

私でいえばガチャガチャがそれであり、我が家はいくらかはガチャガチャをさせてもらえる環境であったが、渇望が当時あったことはよく覚えている。(教育上、好きなだけさせないようにしていたのは良かったと今は理解できる)

その反動で大人になってからガチャガチャをよくしているのだが、子どもの頃に100円だったものが最近は500円が当たり前になっていて、昔の5回分で今は1回分しかできんのか〜いと突っ込みを入れたくもなる(笑)

ガチャガチャといえば、最近は親ガチャなんて言葉がある。それについての捉え方は人それぞれだろうと思いつつ、実は子どもは雲の上から親を選んで地上に降りてくるなんて説もあって、そうかもしれないな〜なんて思ったりもする。

どちらにせよ、両親のみならず兄も聾唖者の家に、自分はそうではなく耳が聴こえる状態で生まれたらどう生きていくだろうか。そんなことも投げかける映画が今回観てきた「コーダ あいのうた」だ。

主人公ルビーは家業の漁業を手伝いながら高校へ通っている。ある理由から合唱部に入ったことで彼女の歌の才能が見出されていく…というストーリー。

この映画を観る前からこれは

「私好みの映画だ!」

という確信があったのはおよそ20年前に公開され、my favorite movieである「リトルダンサー」とプロットがほぼ一緒だったからだ。

そして「コーダ」はちゃんとその期待に応えてくれるものだったし、語弊なく言えば

"ほぼリトルダンサー"

であった。


リトルダンサーはどういう話かというと、ある炭鉱の街に父と兄と祖母と暮らす主人公ビリー少年のサクセスストーリーである。

父と兄は炭鉱で働いていたが今はストをしていて、スト破りに対して強烈な言葉を浴びせている。そんな中でビリーはボクシングをする男の子であったが、ひょんなことからバレエダンスに興味をもち、彼の人生は変わっていく。

「コーダ」と「リトルダンサー」が投げかけるものはいくつかあるが、ここでは対であるこの二つを取り上げたい。

「親からの解放」


「自分の力への目覚め」

である。

子どもは親がいるからこそ成長していける一方で、
どこかでその

親から飛び立つことが必要

だと考えている。

しかし、それは簡単なことではなく、コーダのRubyは船に乗って父や兄の代わりに無線連絡をしているし、病院に一緒に行って母と医師の手話通訳もする。Rubyなしでは家族の生活の様々なことが成り立たない。

また、リトルダンサーのBillyはボクシングを習っているが、その月謝はもちろん父が払っている。

親のためにすること親がいないとできないこと、これらによって子どもが縛られてしまうことがある。もちろんこれらは当然あるわけだが、親からの解放をしていくとその先にもう一つの大事なもの、「自分の力への目覚め」が見えてくる。

コーダのRubyは船の上で歌っていたが、父と兄はその歌声を聴けなかったので彼女の才能に気づけずにいた。

リトルダンサーのBillyはレコードで音楽を聴きながらベットの上で飛び跳ねていたがそれは1人でしていたし、そもそも踊ることで自分を解放していけるということにさえ気づいていなかったかもしれない。

生きているだけで価値があるし、それぞれの人に何かしらの力がある。各々がそれに気づいて歩み出すことは映画の中の世界のみならず、この現実世界でもとても大事だ。

ガチャガチャを引き合いに出すのなら、

能力ガチャ

と言いたい。みんな何かしらの能力があるけど、どれが出るかは分からないということだ。

どんなに素晴らしい能力が備わるっているか分からないまま生まれてきて、それを親からの解放の先で目覚めさせていったらいいんじゃないかな。

大丈夫、みんな何かしらの

Power

を持っている。

それに気づける方法がコーダやリトルダンサーといった映画を観ることなんだなと。

色々な映画を観て自由になり、そして目覚めて人生を素晴らしいものにしよう。

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