高知の日々 長崎での不首尾がたたる
五月二十二日 午前中、土佐藩参政吉田東洋に向けた書を認めました。午後、昼寝の後「小酌、微酔」状態の弥太郎に、支配頭水野幾七から、明二十三日昼に役所に罷り出るよう伝えて来ました。「多分長崎勤めの際の不調法へのお叱りだ」と察し、口裏を合わせようとしたのか、下許武兵衛のところに行ったものの留守でした。
二十三日 朝、浴場。「小酌」の後、義兄吉村喜久次と共に支配方へ行きました。その後、支配頭に同道してお目付方に行った後、吟味場に参上すると、「かち目付」尾崎源八が「その方、先だって長