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弥太郎、帰国の準備を始める

閏三月十五日、十六日 岩崎弥太郎は帰国を決意し、上司の下許武兵衛も同意した、と十五日に初めて記します。実際には、以前から下許と長崎滞在を切り上げる相談をしていたと思われます。

十五日 「吾輩は当地(長崎)に滞留することは甚だ無益と思い、下許君(武兵衛)と談じ合って一先ず帰国」するのが良いと弥太郎は考えます。一方で、このところの「遊蕩に孔兄こうひん(銭)払底に相成り」、心配になって隅田(敬治)に相談しました。

 昼前から日記を書いていると、「昨夕の宴で何か思うことがあったのか」下許から紙に記した短文が届きました。今後どんな楼にも、どんな場所にも誘わないし、誘われないようにしよう、と。弥太郎は、(昨晩は)下許が誘ったのに、と「余程迷惑(困惑)したと記しています。

 下許から、帰郷する隅田の門出を祝い一寸ちょっと出かけようと誘われた(一寸出掛候様被相誘)」わざと堅苦しい文で書いています。さっきの言葉は何だったのかと皮肉を込めているようです。夕方、三人で銀冶屋町の茶店に上がると、六曲屏風の向こうの客が早くも遊女と床入りの勢い。皆で飲んで騒いだところ、隣客は喧噪を厭って別の楼に避難したので大笑します。しかし逃げた楼は庇が接するほど近く、なおも歌で遊女をからかうなどしました。その後、丸山を冷却ひやかし、諸楼を「愚弄」して真夜中に寓舎に帰り着きました。

 ここでの「愚弄」は言葉で馬鹿にしたのではなく、客として妓楼に上がる素振りをしながら、冷やかしだけで実際には上がらなかったという意味でしょう。

十六日 弥太郎は帰国の準備を始めます。「近来 諸経費帳ヲ 検ス」帰国前に、最近の甚だしい浪費の額や内訳を確かめておきたかったのでしょう。

 日記に当分の間経理に関する記述がなかったので、弥太郎は自分が出納係であることを忘れていたかのようですが、「検ス=調べる」とあるので金銭出納の帳面づけは続けていたと推察できます。弥太郎はイメージと違って几帳面で、事務仕事を忘れたり放り出したりするタイプではありません。

 久松寛三郎邸を訪れたものの不遇会えず、寛三郎の家来に「博物新編」や「地球説略」の類を求めたいと(土佐藩の)医学生から申し出があったので、長崎奉行所(当地会所)でそうした書物の「改め」があるのか調べてもらいたいと頼みました。夜、寝ながら「地球説略」を読む内に夢の中へ。

 長崎の地役人、豪商の久松氏の名前は当分日記から消えていました。弥太郎ら長崎出張三人組の内、交易関係に携わっていたと覚しい中沢寅太郎が三月上旬に帰国したことと関係がありそうです。「博物新編」は英語から翻訳した自然科学の概説書で、明治初年には教科書として多く使われた由。「地球説略」は蘭学者箕作阮甫みつくりげんぽが著した世界地理の書物です。日記一月五日に、中沢が、「洋外書」の買い受けには奉行所の御改之判おあらためのはんが必要と久松氏で聞いて来たと言うのに対し、二宮如山の塾生でそうした事情に通じた今村純正は、役所で洋書の改めなどしないと述べたとの記述があります。

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