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大洲~四国山地~高知

万延元年四月三日 薄曇り。早起きして朝飯後に八幡浜やわたはまを出発。宇和島の関で往来手形を見せて大洲へ。城に登って辺りを眺めた後、「やや繁盛した街市」の宿屋で食事。その後、山道を歩んで甚だしく疲れ、大瀬という小村で宿を取りました。隅田と対酌し、飯を食べて就寝。「夜明けまで雨の声が聞こえた」

四日 雨の中、狭く険しい山道を歩き続けました。昼、小村で菜根茶と梅の接待を受け、食事。再出発後、雨で服が湿ってしまいました。山道はさらに険しくなりますが、隅田敬治と励まし合い、七鳥まで「疾走」しました。到着後、宿を取って隅田と小酌。宿の「主翁」が枕元に話しに来たものの、疲れのため「覚えず」夢の中へ。「雨、終夜不断」

五日  雨。早起き。宿代の精算をしようと「隅田が懐を探り、顔色を変じた」持ち金が足りなかったのです。もちろん弥太郎の財布も空っぽ。弥太郎は一計を案じます。宿の者に同道してもらい、土佐側に行って金を用立てて払うことになりました。雨が激しく舟が出ないので酒を飲み、一睡。「昼頃に雨が少なくなり、水勢も減じた」ので舟が出ました。

 川は「屈曲し、(急流への恐怖で)汗が背中を川のように流れた」昨年、土佐を出る際に下許武兵衛と飯を食べた東川に到着。「小憩し、喫飯。勇を鼓して直進、伊予と土佐の国境に到る」用居の関の役人で、隅田敬治の同宗親戚筋の隅田喜十郎から金を借りることができ、宿の僕に持たせました。宿で喫飯後、就寝。蛙の声。山間の月を見て明日は晴れと予想。「喜十郎と談話。随分愉快。すこぶる旅の疲れが癒された」

六日 夜明けに起床。雲は晴れました。喜十郎と別れ、屈曲する渓谷を進みます。以前来たことのある場所を通りかかると、紅かった紅葉や黄色かった柏が今は緑色です。険しい「九十九回坂」を登る内に日が射し、汗が流れますが、頂上では涼しい風が吹いていました。石につまずいたりしつつ峻しい坂を下り、鎌井田に到着。結髪、浴場。高知まではもう一息です。酒を呑んで眠ると、夜半にホトトギスの声が聞こえました。

七日 曇りで弥太郎が期待していた井野までの便舟はありません。ここで長崎と旅中の借金を計算、「金弐両一分二朱借り」の手形を隅田に渡しました。午前十時頃出発、黒瀬で隅田と別れた後、「奮然勉歩。路上の風光は以前と変わらない」坂道にかかりましたが、それまでが難路だったので「易々」と午後三時頃に井野に到着。「喫飯小憩」

 その後、若い不遇時代を過ごした神田村の旧居そばを通り、長崎で志がならなかったことを悔やみました。急歩し(姉婿の)吉村喜久次宅を訪ねたものの不在。(高知に嫁いでいた弥太郎の)姉妹は驚喜し、酒を出し接待の用意をしてくれました。飯を食べて床につきましたが、寝られず夜中に起き出して徘徊しました。

ホトトギスが叫び声を上げると、山の雨が突然激しく降り出した。これもまた私のありのままの姿なのだ。ああ、長崎での悪行は私の過誤だった!

 上記の原文は「杜宇一声叫驀然山雨來亦実境也嗚吁崎陽之違吾矣々々々」この訳は自信がありません。故郷に帰り着いた弥太郎を襲った激しい悔恨と自己嫌悪の表出と解釈しました。

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