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岩崎弥太郎 長崎日記3(安政七年/万延元年三月)

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岩崎弥太郎の長崎時代の日記「瓊浦日録」から三つ目のマガジン、安政七年/万延元年(1860年)三月分です。月初めの一日から順に読むことができます。
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記事一覧

念願の唐館訪問、遊郭での放蕩

三月一日、二日 二度雨を理由に断られた唐館訪問が実現しました。その夜、翌日と丸山で連夜の…

伊井直行
5か月前

暗転、蕩遊の夢から覚める?

三月三日 晴。天光温和。崎陽(長崎)の各家庭の少年らが紙鳶(凧。長崎ではハタ)揚げに興じ…

伊井直行
5か月前
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遊郭で口止めをしつつ宴会

三月四日 朝飯後、林雲逵宅に下許武兵衛と共に行き、清の酒や豚や鶏肉の料理を「飲食しつつ、…

伊井直行
5か月前
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弥太郎、反省の弁を記す

三月五日、六日 弥太郎は、土佐から来た下横目(下級警吏)の目が気になって落ち着きません。…

伊井直行
4か月前

弥太郎、清の麺料理を美味しくいただく

三月七日~九日 岩崎弥太郎は丸山遊郭での遊びを自粛中。長崎の物品を故郷土佐へ送るためにみ…

伊井直行
4か月前
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弥太郎、花月楼で下横目を接待

三月十日~十二日 弥太郎は、土佐から調査に来た下横目(下級警吏)を懐柔しようとしたのか、…

伊井直行
4か月前

弥太郎、読書に励む

三月十三日 朝、土佐藩参政吉田東洋への書簡を、下許武兵衛が藩に出す公文書中に託して送りました。下横目の寄宿先を訪ねると、二人は早めに土佐へ帰ることになり暇乞いをしました。弥太郎は下許と対座して「笑い、かつ悔やみ」ます。下記のような心配があったのです。  欧米諸国に関して調査をしろと申しつけられていたものの、「当地(長崎)ではこうしたことを心得ている者は一人もいない」のでうまくいかず、「面に汗するばかり」。しかも、遊蕩のことも下横目たちは聞き取りをしているようで、「何とも心持

弥太郎、遊びまくる

三月十八日~二十日 土佐からの監察役下横目がいなくなると、岩崎弥太郎は枷が外れたかのよう…

伊井直行
3か月前
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弥太郎、珍談奇談集

三月二十一日~二十三日 この三日間は珍談、奇談の連続です。下許武兵衛と弥太郎は上司と部下…

伊井直行
3か月前
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弥太郎、ついに改心か?

三月二十四日~二十六日 岩崎弥太郎は、俗塵の巷を離れて田園におもむき、爽やかな春の風を感…

伊井直行
3か月前

初めて西洋人宅を訪れる

三月二十七日~三十日 岩崎弥太郎の放蕩の反省は三日坊主で終わり、丸山通いを復活させたのが…

伊井直行
3か月前
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