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弥太郎、遊びまくる

三月十八日~二十日 土佐からの監察役下横目がいなくなると、岩崎弥太郎は枷が外れたかのように遊び始め、上司の下許しももと武兵衛から苦言を呈されます。

十八日 この日、宿舎大根屋の下を花月楼の婦女が何人か通り過ぎ、その中に旧知がいました。(丸山に)行きたいとはやる気持ちを抑えられず、読書にも倦きたので、下許君と共に散歩してついに丸山に至った」一軒目は閉まっており、浪華楼の上階に上がりました。「眺望絶佳」

 舞妓の以呂波いろはらを呼んで箸拳はしけん拇戦ゆびずもう、痛飲百杯」。弥太郎は、阿梅という女性が非常に聡明で、人の意をよく解するので「甚だしく快にして適」と絶賛します。弥太郎は、丸山での「初恋」の相手阿園もそうでしたが、頭のいい女性を好むようです。

 下許が先に去った後、弥太郎は以呂波を連れて喜満楼に行き、店の主人に(ここでも)上階に案内されます。そこから見下ろした夜景を、辺りの楽の音と共に、弥太郎は漢詩の素養を活かして描写します。

街市の方々の灯光が互いに照り映え、管弦の響きが辺りに満ちて、まさに歌吹の海と言えよう(「歌吹海」は南宋の詩人陸游の漢詩から借りた表現)

伊井直行『岩崎彌太郎 会社の創造』講談社現代新書、2010年

 顔を隠して別の妓楼を冷却ひやかした後、浪華楼に戻って以呂波と「仮寝」しました。下許に遊び自粛の誓言をした手前微睡忽醒少し寝てすぐに目覚めた、速やかに服を整え退出しました。袖の中に以呂波の紅い手巾てぬぐいが投げ入れられていました。「また睡中の一况なり」

十九日 朝、宿酔が解けないまま読書をしていましたが、大根屋の次男熊次郎に懇請され、「やむを得ず」丸山のそばの「優舞場」(芝居小屋?)に下許と出かけました。昼頃に着くと「老幼醜美の見物客が何百人、千人といた」中に知り合いの歌妓もおり、昨夜の阿梅が席に来て、夕方浪華楼に行く約束をしました。

「菅原伝授手習鑑てならいかがみ」を楽しみ、日が暮れてから会場を退出、下許と別れて一人で浪華楼に行きます。阿梅と以呂波が待っていて、拇戦を楽しみました。弥太郎は以呂波に後で来るように耳打ちし、よそに行かないよう引き留める楼婦に再来を約束して、浪華楼を出ました。

 この日の日記は非常に長いのですが、内容は妓女や老婦(遊女屋の周旋役)が弥太郎を客として引き入れたり、独占しようとしたりする駆け引きの連続です。すでに複数の遊女や遊女屋が、弥太郎を大金を落とす客とみなしていたのです。以下、興味深かった二点。

 浪華楼を後にした弥太郎が喜満楼で以呂波も一緒に宴を開いていると、花月の「老婦阿近おちかが突然現れ、他の店にばかり行くとは何事かと「質問」します。遊女や楼婦は妓楼間で出入りができ、一方、客は店の馴染みになるとある程度の「忠誠」を求められるようです。阿近はこの後も、単なる「老婦」に留まらない存在感を、この日記中で示します。

 花月楼前で、弥太郎をめぐって、阿近が「烈風のような勢いで」中に誘おうとする一方、以呂波らは浪華楼に来る約束を破るつもりかと言いつのり、右から左から怒り顔で弥太郎の袖を引っ張ります。弥太郎はもてたつもりになって笑っていますが、笑われるべきはすっかり誘惑の罠に絡め取られた弥太郎だったはずです。

 弥太郎は結局どちらでもなく瑞松亭に逃げ込み、そこに花月楼で馴染んでいた歌妓や遊女が現れて一夜を過ごしました。目覚めると、枕席を共にした遊女に送られて手を振り返し、丸山の出入り口である「地獄門」を出た時は日の出に近い時間でした。翌日に続く。

二十日 思案橋から急歩したものの、大根屋の戸が閉まっていたので、しばらく辺りを徘徊します。老婦が戸を開けた時、下許は机について読書しており、弥太郎に「一紙の書を投じ」ました。

「人として信なくんば人に非ず。先のこの誓言を忘却し、家に帰るのも忘れて遊びに没頭しているようでは実に不安な次第。古人いわく、盟友にしかじか(忠言を)すればうとまれる、と。これに学んで、今後の朝帰りについては聞くことも、言うこともやめよう」

 上司に「そんなに遊びたいなら勝手にしろ」と呆れられたわけです。弥太郎は「自ら遺憾に思い、悔やんだ。許される余地はなく、きっと本心を改めよう思い、自ら誓いの文を作ろうと筆をとったものの、何分酒気が残っていたので一日中寝ていた。黄昏時に下許君と街市を徘徊して上銀冶(屋)町の阿山楼に上がって酒を飲み、談話をして帰った」忠告する側も聞く側もどれだけ本気だったのか……翌日には判明します。


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