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英国人との交遊、上司との酒席

閏三月十四日 興味深い内容が含まれているので久しぶりに一日で1回分とし、訳文そのままを多く掲載します。

晴。昨日、イギリスの軍艦見物ができるようにメジャウルと約束してあったので、下許君(武兵衛)にもその都合を話し、午前八時頃に下許君と出かけて、メジャウルの寓居を訪れた。メジャウルは余だけに西洋紙一帖と帯留めをくれた。その厚意はありがたかった。

 英国人Majorの人名表記の新しいヴァージョンが登場しました。聞き慣れない外国名の発音は、ついに岩崎弥太郎の耳に定着しなかったようです。

メジャウルと相伴ってまさに戸口から出ようとしたところ、一人の士人が突然(現れて)下許君に向かい「なぜ英国人の家に出かけたのか」と尋ねた。下許君は「決して異国人の内に出かけるようなことはない」と答え、「どこの人か」と尋ねられたので、「土佐藩の士人である」と答えた。彼もまた「当地で定役じょうやくを務める鈴木である」と答えて去った。

 鈴木(長崎奉行所の役人?)は、異国人の家に出入りする武士がいることに驚き、おそれたのだと岩崎弥太郎は解釈しました。弥太郎は癖の強い人物ですが、一方で人を惹きつける強い魅力を持っていました。魅力の一因は、この日記のあけすけな記述にも現れている開放性だったでしょう。
 英国人の懐にさえ楽々と入り込み、英国人は弥太郎のために土産を用意して待っていました。この「人たらし」の資質は、弥太郎が幕末から明治にかけて大きな人物に育つ力になります。固陋ころうな鈴木という人物の出現で、弥太郎の開放的な明るさが明瞭に浮かび上がりました。

すぐさまメジャウルと港会所の下から乗船した。先刻鈴木の言葉を聞いて、異国船に乗り込むのはいかがかと心持ちが悪かったけれど、もはや騎虎の勢いで、矢庭に乗り移り軍艦をめがけて飛ぶように(波を)押し切り、しばらくして着いた。それぞれ残すところなく見物をいたして帰った。

何分港会所に再び舟を着けるのは心持ちが悪いので、少し離れた場所に舟を着けて下許君と上陸したところ、軟泥の中に入ってようやく大路に出た。足を洗うと、蘇生するような心持ちだった。寓舎に帰ったら、すでに真昼だった。

 その後、下許が茶屋に出かけるというので、弥太郎も一緒に待合楼に行きました。議論し、酒に酔ったところで、侍っていた妓女が頻りに弥太郎を誘うので、「止むを得ず出かけ、片平町(丸山に隣接する遊郭)を残すところなく冷却した」

 その後、大坂楼から浪花楼のそばに行くと、下女が弥太郎の袖を引きます。そんな中、下女から弥太郎に書簡を渡されました。紙を「月にすかして見る」と、下許君からの大小屋へ来てほしい、という誘いでした。

浪花楼を無理に断って大小屋に入ると、下許君は一人で座って酒を飲んでいた。大いに盃を飛ばし余程酒気を催したので、帰り道に花月楼に行って酒を飲んだ。下許君は酔って臥してしまったが、無理に引き起こし辞去した。下許君は急歩し、余はゆっくりと歩いた。阿近が余に随伴して廓門に到った。(阿近は)余が浪花楼に行くのを恐れたのだ。寓舎に帰ると、すでに真夜中だった。

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