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長崎市外~島原~熊本

閏三月二十二日 晴。早起きをすると体調が良く、日の出を過ぎて出発。矢上から転じて浮木道に進路を取ると「山間の経路が高低屈曲し、日差しが温かく汗が出た」。途中「青梅を三、四粒」もいで食べたりしつつ、海に出たところで小休憩。

 その後、坂道を登ると「海に湾に、島原温泉嶽が屹立し、天草の海から突出していた」さらに進んで喉が渇き、林間の茅ぶき家に住む不潔そうな医家に「騎虎の勢いで水を乞い、三、四椀を連飲した」。日暮れに上代に着いて吉田屋に投宿、障子を隔てて「三弦を弾く音やざわめく話し声が不快だった」先日、隣客の邪魔をした報いかもしれません。

二十三日 早起きして吉田屋から東に向けて旅立ちました。曇天。松の間から見える「海の水はむしろのようだ」。島原城に「外藩人」は入れず、海沿いに市街に入ると、大手門の前は商売をする人々で賑わっていました。「文武修業宿」で「文人は引き受けない」と断られました。町人である(らしい)隅田敬治が同道していたからでしょうか。

 小雨の中港に行ったものの熊本に行く舟はなく、「やむを得ず」宿を取りました。暇なので街市に出て結髪、浴場の後、宿に戻って「老婆」に布団を頼むと無数の半風しらみが……「昨日は花月楼辺りの錦綉の客」、今夕の旅の店、外は襤褸ぼろの人々」と嘆きます。弥太郎は、きれいな布団とまではいかずとも半風の少ない物を出させようと、一計を案じて、上客らしく酒と「鮮肉」を頼んだ上に、「老婆」孔兄チップを与えて良い扱いを頼みました。

 すると、「早速前とは異なるものを出して来た」。隅田と「対酌」後、町に出たものの雨がひどくなり宿に帰りました。隅田は宿と交渉して当地の「売女」「迎え、臥す」「小さな屏風一枚」を隔てて、弥太郎は明かりを灯して「地理全書」を読みます。寝ようとすると崎陽(長崎)への思いが浮かんで来ます。

二十四日 天候が悪いというので肥後に行く舟が出ず、「甚だしく暇(無聊ぶりょう)」の一日。「枕上で崎陽瓊浦けいほ日録を読んで丸山での往事の遊びを追憶し、寂しい気持ちになる」昼過ぎに港を歩き、宿に帰って「小酌」したら「随分愉快」。遊女を呼ぼうとしたものの果たせず。午後八時くらいまで飲んで飯を食べ、寝ました。

二十五日 今日は渡船が出ると聞いて「躍然、喫飯。臥して地理全書を読む」正午頃、舟は港を発しました。弥太郎と隅田を含め五人の客は無言で、船底に腕枕をして臥します。舟は風を帆に受けて「飛ぶように」進み、一時過ぎに小島(現在は熊本市西区)に到着しました。熊本まで「奮然」二里の距離を歩きました。辺りの平野は麦と菜種で黄色く染まり、空が大きく開けています。

 川沿いを歩いていると、川上に熊本城の天守閣が雲を衝くようにそびえ立つのが目に入りました。「躍然」歩を進める途中、一人の士人と出会い、その案内で宿を取りました。浴場、喫飯の後、薄暮の中弥太郎は一人で、木下宇太郎(犀潭さいたん)に面会しようと出かけましたが、道に不案内のため叶いませんでした。犀潭は著名な儒学者で、弥太郎は大村出張中、会おうとして肥後行きを考えたことがあります。

 帰ると、留守中に、案内した士人が「紙と筆を携え来て」弥太郎の揮毫を求めたので、隅田は明日の約束をして返したと聞きます。宿は他国者と枕を並べての雑魚寝だというので困ってしまい、長崎で宿主だった大根屋新八の知己の宿に移りました。前より「清潔で雅やか」なのですが、隣席の弦鼓の音が喧しく「殆ど花月楼辺りにいるようと思い、酒を命じて小酌、随分愉快なり」就寝後「夢の間に雨声絶えず」


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