#翻訳
「表現の乏しさ」が、言葉の世界を豊かにする?
先日、noteで踏み跡さんの記事を読んで以来、もやもやとした疑問にとりつかれています。そこで引用されていたのは『悪童日記』についての野崎歓さんの文章でした。
表現の貧しさによってこそもたらされる「翻訳の可能性」の拡張、増大とは? 小説の原文、その表現が貧しいとは、この場合、アゴタ・クリストフという作家が母語ではないフランス語で書くこと、不自由な言語でどうしても書きたいことをなんとか書く(簡潔に書
重訳?? プアな行為ではなかった!
重訳とは間接翻訳、つまりオリジナルテキストから直接目的の言葉に訳すのではなく、一度別の言語に訳されたものを通して、目的とする言語に翻訳すること指します。通常の直接翻訳でさえ、原著より劣るとか、忠実度を疑われがちな日本では、重訳の地位はこれまでとても低かったのではないかと思われます。
最近ベトナムの研究者の論文を読む機会があり、重訳に対して新たな視点を得ました。神戸大学大学院博士課程のグェン・タン