見出し画像

「自己肯定感」という感覚がそもそもない母と「自己肯定感」に囚われている私

最近、SNSや本でよく目にする「自己肯定感」という言葉。

実際に私は、自己肯定感についてよく考えるし、それを高めようと意識的に行動することもあります。そんな「自己肯定感」について、カフェで母と話してみると、意外な違いがあって面白かったので、それを記事にしてみました。

「自己肯定感」とは「ありのままの自分を肯定できる感覚」

株式会社マイナビ

私にとっては「自己肯定感」が必ずしも「ありのままの自分」ではなく、「理想の自分」を肯定する感覚に近いかもしれない。
そんなことを考えながら、母との対話を振り返る。

Q1:「自己肯定感」と聞いて思い浮かべることは?

母)うーん。あんまり考えたことないなぁ。
ありがとうと言われたときかな、やっぱり。

私)他には?

母)ごはんが上手につくれたとき。
家族みんなが美味しいと言ってくれるとき。

私)いっつも言ってるじゃん。

母)たまにさ、自分から「あ。これ美味しいね」って言う時あるじゃん。最近ないけど。

私)あーー(反省)。聞いてくるもんね、「美味しい?」って。

母)そうそう。だから、自発的に?美味しいって言ってくれたとき。
あとは行事食が上手にできたとき。

私)ハロウィンとか七夕とかね。

母)あと、字が綺麗に書けたとき。手紙の宛名とか。

私)たまに、封筒書くときに「上手くかけた!」って喜んでいるときあるもんね。

母にとって自己肯定感は「誰かに認められること」や「家族とのつながり」の中にあるということ。特に、家族からの「美味しい」の一言が、母にとっては大きな自己肯定感につながっているようです。私とは違うアプローチですが、どちらも自己肯定感の形の一つだと感じました。

私)自己肯定感=自己肯定感が高いときのことをイメージしているんだね。
じゃあ、私も自己肯定感が高いときのこと話そうかな。

私は自己肯定感のことばっかり考えているからな〜。
記事にも書いたくらい。

自己肯定感が高まるのは、一言で言うと、何かに夢中になっているとき。
憧れの自分に近づいているときとかは自己肯定感高いかも。

母)具体的には?

私)ちょっとこれ言うと、しょうもなってなるかもだけど、おしゃれなカフェで勉強しているとき。プロジェクターでおしゃれなYouTubeを見ているとき。お気に入りの服を着ているとき。
いわゆる丁寧な暮らしをしているときかなあ。

インスタとかYouTubeの影響が強いのかも。

母)これができた!っていうときとかは?

私)確かにね。イラレで納得のいく作品ができたとき。自分の意見が採用されたとき。プレゼンが上手く行ったとき。アイデア出しが上手くいっているとき。

あ、あと、noteで納得のいく文章が書けたとき。

私)なんかやっぱり、普段から考えているからなのか、私の方がたくさん出てきたね。
定義の「ありのままの自分を肯定できる感覚」とは、かけ離れているかも。私の考える自己肯定感って、ありのままじゃなくて理想の自分を肯定してるもん。


Q2:「自己肯定感」を上げようと思うことある?

母)ない。
自己肯定感って最近の流行語なんじゃないの?
自分の中に「自己肯定感」なんて言葉がそもそも存在しないや。

私)確かにすごく流行ってるかも。もはやそれに囚われている笑

母)自分でなんかしたいと思ったことは高校の応援団くらいかな。
家のこともあって、変なことしちゃだめ、目立っちゃだめ、真面目に、が基本だったから。

私)私は逆に、常に「どうしたら自己肯定感が上がるか」を考えているよ。
理由は、多分3つあって、

1つ目は自己理解に興味があるから。

2つ目は、私が今夢中になって研究している「ワークショップ」自体が子どもたちの自己肯定感を高める効果があるから、そのワードをよく使っている。

3つ目は、メンタルの病気になったから、生きようと思うために自己肯定感が高くなることが必要だと思ったから。

でも流行ってるから、と言うのも少なからずあるかもね。


Q3:ネガティブになるときってある?

私)自己肯定感を高めようと思うことがないって言ってたけれど、じゃあネガティブになることとかってない?

母)全然ある。

私)どんなとき?

母)具合が悪いとき。どこか調子が悪いと偏頭痛が治らないとかある。
あとは、夫や子どもの帰りが遅い。家族と連絡がつかない。とか。
夜に家に1人でいるのも嫌だなあ。

私)私はさ、ほら「NO恐怖症」だから笑

お店で「もう席がいっぱいなんです」と入店を断られたときとか、
トイレありますか?と聞いて「ないんです」と言われるだけで
ネガティブな気持ちになる。

全然そんなことないのに、自分が否定されたような気持ちになるの。

こうやって口にすると笑っちゃうよね。でもほんとにそうなんだよなあ。

あとは、誰かに嫌そうな顔をされたとき。

母)誰かって笑

私)もうね、全人類。
それと、自分の意見が蔑ろにされたとき。
授業とかで発言するのが苦手なのはこれが理由かな。
あと、自己開示も苦手。

母)多分、周りはhanaをそんなふうに思ってないけどね。

私)うん。明るいキャラだからね。

あ、忘れもしないのは、高校のチアダンスチームで「このチームにいる意味がない」と存在意義を否定されたとき。

母)それはもうそのとき限りのことじゃん。

私)でも私ずっと忘れないと思うし、それ思い出すだけでネガティブになる。


Q4:ポジティブになるためにしていることある?

母)洋服買うとか、食材買うときに美味しそうなもの買うとか。意識してるわけじゃないけれど、余分に買っている気がする。ポジティブになるためになんかしなきゃ、直そうとかはないかも。

私)しなきゃ、直さなきゃって思わないのはいいよね、自分を追い詰めないし。でも、そういう風に思う(ポジティブになろうとしている)自分のことは結構好きかもしれない。

私にとって「ポジティブな自分=自己肯定感が高い自分」だから、「ポジティブになるためにすること=自己肯定感を高めるためにすること」かも。

母)昨日ラジオで聞いたけれど、コツコツ努力することができない若者が多いらしいよ。
「ちょっとやったけれど成果が出ないんですよね」って。

私)それ、私のことじゃん。自分ができないというのに耐えられない。

母)できないじゃなくて、やりたくないだけでしょう?と思う。

私)グサグサ。
「自己肯定感」という言葉は自分を励ましたり、守るための言葉かもね。
自分にできないことがあれば、「これをしていると自己肯定感が下がる」なんて言ってみたり。でも、これをすると「自己肯定感が上がる」「自分を好きになれる」って好きなことに没頭する自分やご褒美を買う自分を肯定したり。


まとめ

母は「自己肯定感」を気にしたこともないと知って驚いた。

母にとっては、自然体で日々を過ごす中で自己肯定感が生まれるものであり、それを無理に高める必要はない。一方で、私は常に自己肯定感を意識し、それを高めるために行動していることがわかった。

今はなんでもカスタマイズできる世の中だから、自分のこともカスタマイズする感覚が若者には当たり前なのかも?
心が繊細なのを公言してもいい世の中になってきたのも、自己肯定感がはやった原因かもしれない。

私にとっては生きやすい世の中になってくれてありがとうって思うけれど、逆に「自己肯定感」というワードに囚われ過ぎちゃうこともあるから、

うーん難しいなあ。

皆さんは、「自己肯定感」についてどう思いますか?







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?