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花子出版 hanaco shuppan
2021年10月9日 10:36
始まり 年代物の赤ワインが、透き通るほど磨かれたワイングラスに注がれていた。ワイングラスは高層ビルから溢れる光を受け、薄い縁が刃物のように輝く。二つのうち、片方のグラスの縁には、薄い桃色の口づけが付いていた。グラスの間に置かれたキャンドルは、親指くらいの炎を上げ、時の経過を穏やかに奏でつつ、テーブルを挟む若い男女を眺めていた。どこか、覚束ない炎だ。空調が効き過ぎているわけではなく、紺色の蝶ネク
2021年10月11日 07:02
遥香と別れ (前半)「ねえ、聞いているの?」 遥香は語気を強めた。蘇る記憶で恍惚となる大輔は、瞳にうっすらと涙の膜が覆い、散漫となっていた。すると、いつの間にか、グラスが空になっていた。ウェイターにアイコンタクトを取り、ワインを催促する。ウェイターは無音で赴き、ワインを注いで去った。「ねえ、聞いているの?」「ああ、聞いている」「私はね、大輔と別れたいの。もう、レストランを出よう
2021年10月12日 06:46
-遥香と別れ (後半)- レストランの入った高層ビルを出ると、蒸し暑く湿った風が吹いていた。冷房の効いたレストランとは違い、汗ばむ陽気だ。都庁方面から歩いてくるスーツを上品に着こなす人々の群れが、大輔と遥香の周りを錯綜しながら、帰路を急ぐ。「なあ、もう一軒行こう。遥香の好きなお店ならどこでも良い。さっきのレストラン見たいな高級な場所でも、高架下の場末の居酒屋でも、なんでもいいんだ。全部、
2021年10月13日 07:24
-別れ、そして男との出会い- 幾分の時が去った。生と死の中間を彷徨っているような夢見心地が霧消し、新宿のBARに帰ってきた。気がつくと、顎を支えていた頬杖は、朽ちた古木のように崩れ落ち、カウンターにうつ伏せになっていた。頬はシャツの皺の跡がつき、赤くなっている。さりげなく上体を起こし、辺りを見渡した。殆どの客が入れ替わり、変わらずに和気藹々と会話を楽しんでいた。「同じものを」 大輔は氷
2021年10月14日 07:25
-大学にて- 新宿で過ごした稀有な夜から、一週間ほど経った。遥香が大輔に連絡することはなく、学部も違うため顔を合わせることもなかった。大輔は大学へ行き、講義を受け、夕方からアルバイトする生活は、変わりなく続いた。溢れかえった恋愛ソングを拝聴し、失恋で悲傷した感情を、涙の海で慰めるような、若者らしい発想は微塵も浮かばず、記憶に残る遥香の影を熊手で掻き集め、記憶の片隅に葬る作業をコツコツと行なった
2021年11月7日 06:27
上京し、変わった気持ち 実家へ帰省し、二週間ほど経った。大輔と健斗はレンタカーで海や温泉へ出掛けたり、昼間からお酒を飲み耽ったりと、悠々自適に過ごしていた。大輔は貴洋に会いたいと思ったももの、貴洋の家のチャイムを押す気になれずに、家の前を通るたびに横目で眺めた。貴洋の家は、どの日も静まり返り空き家のようだった。 とある雨の日の午後、大輔は畳に寝転がり、数日前にコンビニで買ってきた格闘技の雑
2021年11月8日 07:39
大輔、東京に帰る 大地を潤した雨が上がり、うっすらと靄がかかる朝涼の頃、大輔はレンタカーの後部座席に鞄を放り込んだ。健斗と咲子、父母が玄関前に立っている。彼らは眠そうな目を擦っていた。「身体に気つけろよ。また、帰ってこいや」 父が言うと、玄関前の三人が、各々適当な言葉を並べた。「じゃ」 大輔は車に乗り込み、エンジンを掛けた。手を振る四人をバックミラーで眺めながら、庭先へ出て、細
2021年11月9日 07:41
吉田は戦っていた 新宿の街は変わらず活気に満ちていた。大輔は行きつけとなったBARのカウンターに座り、吉田を待った。店内は賑わい、雑談が飛び交っている。大輔は、東京へ帰ってきたのだ、と改めて複雑な感情が生起した。カウンターに並ぶ横文字のラベルが貼られた酒瓶を眺めていると、女の店員がバーボンを運んで来た。大輔は会釈し、バーボンを飲む。「バーボンを、お好きになったんですね。とてもお似合いですよ
2021年11月10日 07:46
義と欲情 大輔は帰宅し洋服を脱ぎ、シャワーを浴びる。温水のシャワーが埃や皮脂、汗を削ぎ落としてゆき、肉体を輝かせてゆく。鏡に身体が映った。大輔は全身を撫でるように触り、筋肉の張りを指先で感じてゆく。気が向いた時に大学のトレーニングルームへ通っているが、吉田との筋肉の違いは明瞭だ。自分の肉体へ醜さを感じるほど、吉田の肉体は精緻な美を放っていた。 夢中で吉田の肉体を想像していると、突如、身体が
2021年11月11日 07:25
吉田の敗戦 吉田に呼ばれた試合の日は、生憎の雨模様だ。生憎と言っても地下施設では無関係だが、駅へ向かうのが少々億劫だ。大輔は日課を終え、空のペットボトルに手作りのスポーツドリンクを注いだ。ペットボトル内にて弾ける水の音を聞いていると、吉田が飲んだペットボトルの口を、荒々しく吸い付いた先日の出来事を想起してしまう。不可抗力だった。不可抗力だったんだ、と揺らめく感情を押さえつけた。すると、自分の行
2021年11月12日 07:27
吉田の過去(前) シャワーを浴び終えた下着姿の吉田が、ソファに座った。汗の匂いが消え、石鹸の香りが漂っている。「すっきりしたよ。大輔もシャワーを浴びるかい?」 吉田の問いへ、大輔は首を横に振り、必要がないことを伝えた。苦心していた感情と、反り立った陰茎は、時間と共に治っていた。「大輔。俺の戦いは終わったよ。いつの間にか、こんなに歳をとってしまった。これを機に、地下施設から足を洗おう
2021年11月16日 07:26
貴洋の過去「じゃあ、話すね・・・。 大輔くんと仲が寂しくなった時期は、中学一年生。まあ、仕方ないことだよね。中学校には、僕みたいな人より、もっともっと魅力的な人が沢山いるから。僕はね、大輔くんと違って、社交的でもなければ、新しいことへ挑戦する勇気もなかったんだ。幼少期から、ずっと大輔くんの陰に隠れて、そうだね、金魚の糞のように暮らしていた。だから、心を通わす友達を作ることが出来なかった。独
2021年11月17日 07:26
大輔と貴洋 貴洋はスッキリとした表情で、小さな口を閉じた。「すみません。ジントニックを二つ」 大輔は店員へ注文をした。貴洋の話を咀嚼出来ずに、返答する時間を欲した。 大輔は空のグラスを覗き込みながら、思案する。貴洋の人生は、幸せなのだろうか。もし、自分の存在がこの世になければ、貴洋の人生が別の方向へシフトしたのではないだろうか。もし、中学生以降も、今日のように楽しい交友を続けていれ
2021年11月18日 08:15
さよなら 大輔の携帯電話が激しく鳴った。珍しく、着信だった。大輔は不鮮明な意識に鞭を打ち、二日酔いの身体を起こして携帯電話の画面を見る。健斗からの着信だった。応答ボタンを押した。「おい、大輔。今、大丈夫か?」 健斗のけたたましい声が、大輔の鼓膜を揺さぶる。「ああ」 大輔は曖昧な返事をする。「何だ、その声は。寝ていたのか? こんな時間なのに。それで、大変なことが起きたんだ。お