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『義』  -上京し、変わった気持ち- 長編小説



上京し、変わった気持ち

 実家へ帰省し、二週間ほど経った。大輔と健斗はレンタカーで海や温泉へ出掛けたり、昼間からお酒を飲み耽ったりと、悠々自適に過ごしていた。大輔は貴洋に会いたいと思ったももの、貴洋の家のチャイムを押す気になれずに、家の前を通るたびに横目で眺めた。貴洋の家は、どの日も静まり返り空き家のようだった。

 とある雨の日の午後、大輔は畳に寝転がり、数日前にコンビニで買ってきた格闘技の雑誌を眺め、屋根を打つ雨声を聞きながら過ごしていた。帰郷して以降の堕落した生活に若干辟易し、東京へ戻った後に吉田のセコンドとして活躍したいと思い、雑誌を手に取った。

 光沢のある紙面の上に、明かりに照らされて掴みあう男二人が浮かんでいた。眉を顰めた険しい表情が、緊迫した戦況を駆り立てる。ページを捲ると、選手のインタビュー記事が載っていた。敵を煽り立てるような記事を読んでいると、敵を威圧しつつ本質を韜晦する吉田の謙虚な立ち振る舞いが懐かしくなった。もし、吉田がインタビューを受けたとしても、多くを語らないだろう。それが、一流だ。そう思いながらページ捲ってゆくと、雑誌に映る男たちが、まるで安売りされたマネキンのように思え、雑誌を閉じて、頭上に放った。足を組み替えて、窓から外を眺める。低く重たい雲から、絶え間なく雨が降り続いていた。

 雨の中でも、吉田は呼吸をするように墓参りへ行っているだろう。大輔は、何かを思い出したように起き上がり、腕立て伏せを始めた。寝転がり怠惰に耽っていては、吉田に合わせる顔がない。体制を変えながら、全身の筋肉へ負荷を掛けていった。

 大輔のTシャツに汗で滲み出す頃、庭へ青い車が登ってくる。

「ただいま」

 健斗と母が帰宅した。二人は会話を弾ませ廊下を歩く。

 大輔は部屋を出て、額から滴る汗を袖で拭いながら、二人のいるキッチンへ向かった。

 健斗の長髪だった髪の毛がバッサリと切られ、色も真っ黒に染まっていた。髪が覆い被さり日に焼けていない首筋や耳が、髪の毛と対照的な白色にて浮き上がり、まるでパンダのようだ。大輔は目を見開き、健斗の変わりように吹き出して笑った。

「おいおい、どうしたんだ」

「イメージチェンジだ。金髪じゃ、村の笑い者だろ」

 健斗は羞恥し、頭を掻きむしった。無邪気な姿が、急に幼くなったようだった。

「健斗さんは、黒髪のほうが似合とるよ。なあ、大輔?」

 買い物袋から食材を取り出しながら、母が言った。

「ちょっと、びっくりしたけれど、良いと思う。都会の不良青年から、田舎の純朴青年に様変わりしたようだね。畦道で読書すると、きっと絵になるよ」

 健斗は益々羞恥した。

「あんた、汗びっしょりやなあ。早くお風呂に入ってきなっせ。夕飯を食べるばい。もうすぐ、父さんも帰ってくるけんね」

 母はキッチン内を慌ただしく動き出した。健斗は居間で胡座を掻き、テレビを点けた。大輔は二人を見届け、浴室へ向かった。

 日が落ち、四人で夕飯を囲む。健斗のいる食卓にも慣れ、父母共に他人行儀ではなくなった。

「お母さんの、ロールキャベツ美味しいですねえ」

 健斗がロールキャベツを箸で切りながら、賞賛を加える。

「あら、ありがとう。そう言ってくるると、作った甲斐がある。父さんは、何も言わんけんね。つまらんたい」

「いつも美味かけん、言わんと」

 父はぼそぼそと言った。

 大輔は箸を進めながら、食卓を包む家族団欒によって、連綿と続く血統の稀有さをしみじみ噛み締めていたが、どこかに空虚感があった。育った実家だが、他人の家にいるような感覚。それは憎しみではなく、自己の美意識から遠ざかる違和感だった。

「なあ、健斗・・・」

「ん、どうした?」

 健斗は父が注いだビールを飲んでいた。

「近々、東京に帰ろうと思うけど、健斗はどうする?」

「あんた。もう、大学が始まるとね?」

 母はロールキャベツの芯を必死に咀嚼しつつ、声を上げた。

「まだ始まらないけれど、東京で勉強したい。それに、身体が鈍るから、トレーニングもしたいと思ってね」

「あんた、そぎゃん勤勉だったかねえ。まあ、勤勉に越したことは、なかばってんねえ。もっとゆっくりしていけば、よかとに」

 母は驚いた振りをする。

「母さんに聞いていない。健斗はどうする?」

「そうだなあ。俺はまだ、この村にいたいなあ。自然が豊かで、空気が美味しい。村の人は優しいから、まだ帰りたくない。真夏の東京は、人が住むには覚悟が要るんだよなあ。暑過ぎるからな。それに比べると、ここは楽園だよ」

「健斗さん。この村はそぎゃんよかとこですかあ? 何もなかとこばってんねえ」

 父は嬉しそうにし、ビールを飲み干した。

「俺は、健斗を置いて、先に東京に帰ろうかなあ。健斗がこの家で寝泊まりしても構わないだろ?」

「ああ、構わんたい。健斗さんが、東京へ帰るときは、空港までおくるけんね」

 父が嬉しそうに言う。

「ありがとうございます。お父さん、折角なので、畑仕事を手伝いますね」

 健斗は父の空いたグラスにビールを注いだ。

 夕飯を終え、父は居間で寝転がりテレビに耽り、母は食器を洗い、大輔と健斗はグラスを持って部屋に向かった。

 畳に座り、卓袱台を組み立て、バーボンを注ぐ。二人の晩酌も日課となった。

「この村は退屈じゃない?」

 大輔が問い掛けると、健斗は首を横に振る。

「そっか。それなら、安心して東京へ帰れるよ。授業が始まる時期は、未だ未だ先だからゆっくりすると良いよ」

「ありがとう。実は、さっちゃんと、もっともっと交友を持ちたいんだよね。一昨日も、三人で遊びに行ったけれど、ちょっと物足りなくってね。さっちゃんが既婚者だとは、重々承知しているのだけれど、少しでもさっちゃんの側にいたい。髪を切ったのは、さっちゃんの希望なんだ」

「夫の貴洋くんが戻って来ないから、別に良いんじゃないかな」

「大輔にそう言ってもらえると、俺も安心する。さっちゃんのような、心の澄んだ女に出会えたことは、何かの恩寵だ。天草四郎もびっくり」

「さっちゃんと会う時は、気をつけろよ。小さな村だからすぐに噂が広がってしまう。人の噂は七十五日と言うけれど、田舎の噂は、半年ほど居座ってしまうもんだ。なんせ、田舎は話題が少ないからなあ。皆、家族みたいなものだぞ」

「それは、良いことじゃないか。東京の街を思い出してみろよ。皆、上っ面だけの繋がりばかりじゃないか。悪さしても、誰も叱らない。道徳心より、贅沢心。善事も悪事、見て見ぬ振り。それでいて、窮屈な分譲マンションで、一国一城の主と言わんばかりに、馬鹿面下げて一喜一憂している。私有地も共有地も、良い意味で不明瞭なこの村に比べたら、東京なんて牢獄だぞ」

 健斗は歯切れよく、次々に言葉を繰り出した。

「おいおい、言い過ぎだぞ。この村に惚れ込んでいるようだけれど、この村にも問題は山ほどある。確かに、長閑で土地は広い。だが、柔軟性がなく頑固だから、保守的な部分も大いにある。見てみろよ、周りの家は爺さん婆さんばかりだろ。若者の流出が止まらないっていうのも、色々な問題があるんだよ。現に、俺も東京へ出ているんだしさ」

「なるほど。でも、なんで、東京だけは人が増え続けるんだろうな? これだけは世界七不思議の一つだろ。そんなに魅力的な街か?」

「そうだな・・・。田舎出身の俺からすると、東京に行けば、何か新しいものがあるような気がするんだ。日本の首都だしさ。文学、音楽、芸術、仕事、交友関係、スポーツ、娯楽、なんでも最先端だろ。人間は皆、新しい物好きだから」

「いやいや、そんな大それたものはないぞ。東京出身の俺が言うから間違いない」

「新宿にある地下施設のことも知っている? 夏休み前の合コンで話題にしていた、地下施設の話」

「地下施設って、大輔はそんな夢物語を信じているのかい?」

 健斗は哄笑する。

「うん。あんな大きな街だから、地下施設が有ってもおかしくないだろう?」

「俺はないと思う」

 健斗は言い切る。

「そうだよなあ。もし、あったら警察が黙っちゃいないよなあ」

 大輔は言葉を濁した。事実は、地下施設に踏み込み、様々な経験をした。この一部始終は、貴洋へ話したが、目の前に座る健斗へは、何故か話せなかった。理由は分からないが、もし言うとなると、命の危険を感じる。それは、土地の力だろうか。それとも、積み重ねた友情の違いだろうか。もどかしく思ったが、そっとした。話す時期がいずれ来るのだろうか。

「いつ帰るの?」

 健斗の目は虚ろになっていた。

「明日か、明後日か。飛行機の空席はあるだろう」

「寂しくなるなあ」

「また、東京で会うだろう」

「そうだな。東京で女漁りするのか?」

「よく言うな。俺が女にモテないのは、既知の事実だろ」

「冗談じゃないぞ。なんでかな・・・。時代が悪いのかね。大輔ってさ、男の中の男な風貌だけれどなあ。俺が女なら、絶対にお前を好きになる。男臭く『義』を重んじるお前をな。でも今の時代は、男らしいとか死語だからな。メディアが満映させた、男への最大も侮辱。巷ではさ『多くを求めない男が人気』なんて言っているけれど、俺は懐疑的だ。何事にもガツガツ出来ない男は、連綿と続く男遺伝子への怠慢だと思う。そんな男は、男の逸物を神へ供養するしか、救われる道はないな」

「健斗ってさ・・・。顔に似合わず過激だな。薄い顔、且つ華奢な肉体から、いつそんな熱が生まれたんだ?」

「生まれつきさ。それが男」

 二人の会話は、まるで薬缶から吹き出す水蒸気のように、部屋の湿度が上昇させながら長々と続いた。大学で議論すると、男勝りの偏頗だと揶揄されるかも知れないが、田舎の一角で話す二人には、無関係だ。



続く。


花子出版   倉岡



文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。