はこぼく

天気みたいなものですよ。

はこぼく

天気みたいなものですよ。

最近の記事

なにかのせいにしてみたくなるだけで、ウジウジしてるのはやっぱり自分なんだ。

古今東西、仕事というものは大きなプロジェクトだろうが慎ましい作業であろうが、何をどうしたってストレスというものが発生する。なぜなら仕事を完遂させるためには否応無しに、ルールというものとの摩擦で燃え尽きてしまわぬよう、抑え込まなければならない「自分」なるものがあるからである。 そんでもってそれは、溜め込みすぎると胸と腹の間くらいで腐りはじめ、しまいにはガスでいっぱいになって爆発してしまう。これが俗に言う、キレル、であるが、そのギリギリ一歩手前でガス抜きにしけこむこともまた仕事

    • つまらない本を読んでて思い出す、好みだったのはあの雰囲気。

      急に家のチャイムが鳴ってびくっとする。猫は唸り声をあげて玄関のほうを見ている。やましいことなんてないけれど、急な来客にはなんだか不安になる。恐る恐る玄関を確認しにいくわたしを尻目に、猫はさっきから唸るだけで自宅警備員の責務をはたさずに、こうして安全確認をわたしに任せっきりなのはいつものことである。 「お荷物ですー」と言う声で、宅配便の人であることがわかって、少しほっとする。淡々と挨拶をかわして事務的に署名して、大きさのわりにとても軽いダンボールを受け取った。なかを開けるとそ

      • 宛先のない隙間の時間で、懐かしむことを放課後というのかもしれない。

        やっとのことでこの日の仕事がおわって、そそくさと帰る人や、まだ残って仕事をつづけている人を尻目に、部屋のすみっこにある勝手口をぬけてベランダの喫煙スペースに出る。一月の夜風が冷たい。向かいのビルの明かりしか見えない夜景はひどく味気なくて、ここからの景色をきれいだと、そう思ったことなんて一度もない。 ジッポのオイルはきれていて、さっきグミと一緒に買った、うすい紫の100円ライターで火をつけたタバコは、なんだかすこし、物足りない感じがした。水をはったバケツを囲うようにして、ざっ

        • 変わりつづける喜怒哀楽の、ぜんぶが揃っていつもの日常。

          「家族」というものに多少なりとも敏感になってしまうのは、わたしが十代のころに、我が実家が崩壊をむかえたからである。映画やドラマやCMでみかけるような、温かなものが家族というならば、常に怒号が聞こえ、それ以外の会話などなかったあの冷ややかなあれは、いったい何と呼べばいいのかよくわからなかった。 ってなことで、どうしようもなく家族というものには苦手意識があるのだけれど、ただでさえ社会のすみっこで孤独に暮らしているわたしが、さらに家族コンプレックスなんて抱えていたら、わたしが愛す

        なにかのせいにしてみたくなるだけで、ウジウジしてるのはやっぱり自分なんだ。

        • つまらない本を読んでて思い出す、好みだったのはあの雰囲気。

        • 宛先のない隙間の時間で、懐かしむことを放課後というのかもしれない。

        • 変わりつづける喜怒哀楽の、ぜんぶが揃っていつもの日常。

          河原におちてる石ころみたいに、まるみを帯びて佇む人。

          ふと思い出すことがある。ショッピングモールで販売の仕事をしていたときのこと。あと五分と先のばした二回目のアラームの音で飛び起きる朝。慌てて支度をしてから朝ごはんも食べずに競歩みたく駆け抜ける駅までの十五分。川が急に細くなって水が行き場をなくしたみたいに、駅には人がごったがえして氾濫していた。 ラッシュのホームでは線路にはみ出してしまいそうな重たい勢いに、逆らうようにして各々が、これから流れていく場所の、そのはじまりの位置でじっと耐えてる。今日という日の上流で、亀裂がはいって

          河原におちてる石ころみたいに、まるみを帯びて佇む人。

          「じゃあ明日」子供のように誘われて、とけた心で交わす約束。

          その日わたしはいつものように食材を調達するためにでかけていた。割引になってる美味そうな肉をカゴにいれて、最近ハマってるポテチのサワークリームオニオン味も迷うことなくカゴにいれて、他になにか目ぼしいものはあるかいな、と宛てもなく彷徨っていたらば、見知った影が颯爽とお会計を済ませて外に出ていくのが見えた。 一瞬、あっ、と思ったけれど、今さら追いかけたところで、さぁどうする。わたしはその先のことなんてなにも考えておらず、用事かしら?と振り向いたところで何も起こらない、なんてことで

          「じゃあ明日」子供のように誘われて、とけた心で交わす約束。

          なりゆきで世話焼くことになる人の、愚痴さえ甘きこれが母性か。

          近所にスーパーがあると便利なもので、ちょっとした時にちょっとしたものを買いに行けるというのはもちろんのこと、多少のご近所づきあいがあればこその便利さというものがあって、それは、会うための努力をなにひとつしなくても、ほどほどの交流を楽しめる、というものである。 ラクな服装が好きだ。「好き」と言っていいのかわからないけれど「好き」と言えそうなものがとくにない。会う約束をすると当日のその瞬間まで、ずっと心がせかせかする。相手の予定を気にして、いい感じの場所を決めて、小綺麗なかっこ

          なりゆきで世話焼くことになる人の、愚痴さえ甘きこれが母性か。

          そっけない返事に託す大切なこと、言葉のキャパを言い訳にして。

          お正月気分のピークはとうに過ぎてしまったけれども、それでもまだまだお正月気分が抜けきれないころに、病んでた友だちから「あけましておめでとう」のスタンプが届いて、わたしはめでたい返事をすっ飛ばして、それよりお前はどうやねん、という思いから、そっちは大丈夫?などと、なんとも味気のない返事をしたためたのである。 お正月の挨拶というよりは、お互いに2〜3日放置しては返事をする、そんなラリーの続きのようなものであった。普段はなんとも淡白で、句読点さえないような彼女の文章。「復活させた

          そっけない返事に託す大切なこと、言葉のキャパを言い訳にして。

          並んで座ることをスズメに例える、生き様にみる詩う人。

          新年といえばおせち料理を食しながら、腹が破裂するまで宴をするというのが常識ではあるが、賑やかさにうかれて食料の買いだめをすっかり忘れていたわたしは新年早々、食べるものがなくてひもじい思いをしていた。なんでもかんでも自業自得ということにして飲みこんでしまう癖があるために、自責の念に苛まれながら罪悪感という、字面からして刺々しいものに四肢五体が貫かれ生暖かい血の海に溺れていた。 と、悠長にそんなことも言ってられない。腹を空かせていては戦はできぬのだ。というか、そもそもわたしにと

          並んで座ることをスズメに例える、生き様にみる詩う人。

          何ひとつ変わらぬ日々に報復をするように風呂で飲むサイダー

          三ツ矢サイダーを近所のスーパーで買ってきて風呂でラッパ飲み作戦を開始したはいいものの、三分の一も消費しないうちに腹がちゃぽちゃぽに膨れて飲みきれず、口を直接つけてしまったことを後悔しながらこれから増えゆくであろう雑菌に思いをはせて途方にくれる。 わたしは極度のめんどくさがりである。コップを用意するのもめんどうだし、いちいち注ぐのもめんどくさい。あとで洗わなきゃならないなんてもってのほかで、できればすべてを「豪快」の一言ですませたい。しかし、実際のわたしは豪快の「ご」の字もな

          何ひとつ変わらぬ日々に報復をするように風呂で飲むサイダー

          軽やかに、戻っといでと言う友の適当さにて雪は溶かされ。

          その日わたしは大学時代の旧友と、電話で無駄話に花を咲かせていた。ここでまず一言申しておきたいのは、わたしには友だちが少ない、ということである。人と関わることが苦手とかそういうことではなく、むしろ得意なほうであり、その得意さに裏付けられた空気を読んで読んで読みまくる力のせいで、敏感にして繊細に、そうしてキャッチしたものをうまくリリースできないのである。 己が内へと溜め込んでしまったものが発酵して、苛立ちという悪臭を放つまえにそそくさと、立ち去ってしまうくらいにはわたしは人と関

          軽やかに、戻っといでと言う友の適当さにて雪は溶かされ。

          「おわり」って誤魔化してきたことたちを、ぜんぶ許したような白色。

          職場の近くのパン屋さんのおばあちゃんが軽快なステップを刻みながら「おりますか〜?おりませんか〜?」とかなんとか言って、にやにやしながら近づいてきた。おっ、どうした、壊れたか、なんて思いつつも、こっちもつい釣られてにやにや眺めてたら目の前で「返事が聞こえないってことは、いないってことですか〜?」なんて言いながら、ポケットからミカンを二個、パンを一個とりだして、そして、くれた。 つまりどういうことかと申しますと、お察しの通りこのおばあちゃんとは知り合いでございまして、んでもって

          「おわり」って誤魔化してきたことたちを、ぜんぶ許したような白色。

          にぎやかに家族と過ごす年末の、雰囲気くれる毛玉がふたつ。

          午前にメッセージがきていたことに気づいたのが午後で、確認したら「今日からしばらく犬を預かってくれないか」といった内容で、この人からこういうことを頼まれるのは、たぶん、もう8回目くらい。とくべつな感情なんて何もなく、ただ記憶のなかの犬をムツゴロウさんのように撫でわましながら「いいですよ」と返事をした。 さて、夕方ってだいたい何時ぐらいのことなのでしょう。もちろん人によって様々でありましょうし、時間が決まっていないから「夕方につれていきます」という話になるのでございまして、時間

          にぎやかに家族と過ごす年末の、雰囲気くれる毛玉がふたつ。

          忘れてたみたいにハッと思い出す、「あのね」を言える人のなきこと。

          あれはこの店で買って、これはあっちの店で買って、なんてことをスマホにメモりつつ、買い出しにでかけた店の先々で、インスタントラーメンが特売だった。わたしはメモ魔である、くせに、メモした範囲内に行動がおさまったためしがなく、必要なものがないことにイライラしたくないからメモをするだけで、基本的にはいつも、その場の衝動に流されながら、日々をなんとかやりくりしている。 この日も漏れなく、既存の値段によこ線が引かれ、安くなった値段がでかでかと書いてあるポップに心がゆさぶられた。うわっ、

          忘れてたみたいにハッと思い出す、「あのね」を言える人のなきこと。

          思い出が津波みたいに押し寄せて、他愛ない日の死にそうな夜。

          暇なときの暇つぶしというよりは、冬の乾燥した空気のせいでバサバサに、枯れてしまいそうになってる感情を補充するためによく、アニメやら映画やらを見たりしている。心ってやつは一度干からびてしまうと、ますます何も感じなくなっていくもので、うちの猫がウンチをしてる姿にいちいち、かわええのぉ〜、なんて思って日々のなかで、自然と心がうるおう為にも、こういう時間は欠かせない。 ある日、いつものようにAmazonで「おすすめ」的なやつを眺めていたら、懐かしいアニメを発見して、街で学生時代の旧

          思い出が津波みたいに押し寄せて、他愛ない日の死にそうな夜。

          傷おそれ捨てようとした関わりを、味わうようにのぼれ坂道。

          休みの日、遅めの昼食もかねた早めの夕飯にと、チャリで買い物にいった帰りみち、T字路にさしかかって目の前を、近所に住んでる長い髭の、仙人みたいな風貌したおじいちゃんが通りすぎるのがみえた。あわわ、どないしましょ、今日わたし一言も発してないやんか、うまく声だせますかしら、なんて思いながら、少しある距離をうめるように、ちょっと大きめの声で挨拶したら「おー!」と右手をあげながら、そのまま壁の影へと吸い込まれていった。 したら、思わず、わっ、と声が出ちゃいそうになって、実際には出なか

          傷おそれ捨てようとした関わりを、味わうようにのぼれ坂道。