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宛先のない隙間の時間で、懐かしむことを放課後というのかもしれない。

やっとのことでこの日の仕事がおわって、そそくさと帰る人や、まだ残って仕事をつづけている人を尻目に、部屋のすみっこにある勝手口をぬけてベランダの喫煙スペースに出る。一月の夜風が冷たい。向かいのビルの明かりしか見えない夜景はひどく味気なくて、ここからの景色をきれいだと、そう思ったことなんて一度もない。

ジッポのオイルはきれていて、さっきグミと一緒に買った、うすい紫の100円ライターで火をつけたタバコは、なんだかすこし、物足りない感じがした。水をはったバケツを囲うようにして、ざっくりと置かれた折りたたみ椅子に腰かけて、今日という日がはじまらないうちに、このままおわってしまうことの、なんとも言えない気持ちをどうにかするには、一服する五分は短すぎる。

したらば、勝手口のドアノブがカチッと音をたて、キーッとゆっくり回って、少し開いた隙間から癖っ毛が見えた。しおれた大根みたいに色白で覇気のないその同僚は、まるでこっちに気づいていなかのように俯きながら歩いてきて、そのまま隣の椅子に座り「放課後って、なんかよかったよね」と、真っ黒なバケツの水面をみながら、そうつぶやいた。


風はほとんど吹いていなくて、ベランダの空気はこもっていて、吐き出した煙は行き場を失ったように、しばらく空中に留まっていた。それをぼんやりと眺めながら、透けるように薄くて少し汚れた白いカーテンが風に優しく揺れているのを、もう記憶なのかたんなるイメージなのかも区別のつかないまま、返事をすることも忘れて思い浮かべていた。

遠くから聞こえてくる都会の喧騒に、窓の外から聞こえてくる運動部の声を重ねながら、何も決まっていないその瞬間を全力で生きていたことを、決まりきったレールの上で彷徨いながら惰性で生きているわたしが思うなんて、罪深い。そんな気がしてならなかった。

何かがおわって、だけど、まだ何もはじまらない。そんな切り取られたような時間を、楽しむことができたあのころは夕日に照らされオレンジで、ただ途方にくれているいまは月さえ見えなくて黒色で。開かれていたはずの未来というものは、実はこのベランダのように、小さな勝手口からほんの少し過去に戻れるだけで、それ以外は壁に囲まれた行き止まりなのだと、そう感じてしまっている自分が嫌になる。

懐かしむということ。それは、変わりゆくなかで季節のように、また巡るものに思いを馳せることなのかもしれない。ずっとずっと変われない、無限ループのなかに囚われているわたしはうまく懐かしむことができないまま、ただ「よかったよね」と、当たり障りのない嘘をつくことしかできなかった。



こわいけど、新しいことに踏み出すのって、いいよね。