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「じゃあ明日」子供のように誘われて、とけた心で交わす約束。

その日わたしはいつものように食材を調達するためにでかけていた。割引になってる美味そうな肉をカゴにいれて、最近ハマってるポテチのサワークリームオニオン味も迷うことなくカゴにいれて、他になにか目ぼしいものはあるかいな、と宛てもなく彷徨っていたらば、見知った影が颯爽とお会計を済ませて外に出ていくのが見えた。

一瞬、あっ、と思ったけれど、今さら追いかけたところで、さぁどうする。わたしはその先のことなんてなにも考えておらず、用事かしら?と振り向いたところで何も起こらない、なんてことで気まずい雰囲気になるのはまっぴらごめんであるからして、いずれまた会うこともありましょう、と自分をいさめて黙って見送ることにした。

わたしもそろそろ帰ることにしよう。レジで、おー、ピカピカな十円玉が四枚もありますやん、メイドイン令和でっしゃろか、なんてことを思いながら、なるべくその十円玉を使わないようにしてお会計を済ませ、自動ドアですれ違う人と同じ方向に避けてしまって結局気まずい雰囲気を味わってから、店をあとにした。

あたりが暗くなりはじめた駐車場で、その人は車に乗り込むところであった。真っ赤な高級車が似合いすぎていて少し引いたけれど、目が合ったので手をふった。するとわざわざ車から降りてきて、わたしの目の前まで歩いてきて「今度うちでカフェしようよ」と誘ってきた。

「行きます」わたしはそう即答しようとしたが、実際には躊躇した。さっきまでピカピカの十円玉ではしゃいでいたような奴が即答しようもんなら、もしかしたら、おっ、がっついてんな、と思われてしまうかもしれない。嫌われても仕方ないとは日々思っているものの、目の前で、ウエッ、ってな顔をされたらさすがに凹む。

なので、まるで恋愛素人がわざとらしく焦らしプレイを試みるように、わたしも一瞬、予定を頭のなかで確認するような素振りをみせてから、返事をすることにした。こいつ、うぜー、そう思われるリスクも当然あったが、そうなったらそうなったでゴマを擦りまくってやろうと、覚悟と呼ぶにはダサすぎる覚悟をした。

そしてやっとのこさ「行きます」と返事をしたらば、若干ニヤニヤされているような気がして、今日は気まずい雰囲気になる日なんだな、と思いながらも、こんな猿芝居に付き合ってくれるこの人に、ただただ感謝の念が腹の底から湧きあがってきて、と同時に、はやく肉焼いて食いてー、という邪念に支配されかかっている自分に少々げんなりした。

わたしには友だちが少ない。そんなことを自負している時点で人は寄ってこない。だけど、それでもこんなわたしと友だちをしてくれている人間が数人はいて、わたしの自己評価とは真逆の行動をとる彼ら彼女らは言わば、わたしの想像の範囲外の人間である。なので、どうしてわたしと仲良くしてくれているのかさっぱりわからないような人たちが、どうにもわたしの周りには多い気がする。

そのうちのひとりであるこの女性は、一年の半分は海外に住んでます的なセレブであり、車から降りるときに髪をふぁさーっとしたり、サングラスをぱかっとカチューシャみたいにする仕草がバチクソ似合うアジアンビューティーのレアキャラである。

その姿カタチは170センチをゆうに超えるスラッとした長身で、絡まることを知らないロングの黒髪がなびく様は、まさに風を見ているようである。髪の黒と対をなすように着た白い服は、車の赤とでおめでたく、顔の美しい造形は目と鼻と口がついていること以外、なんの共通点もみつけられない。

うっとりうとうと眺めながら、わたしは思った。このセレブが庶民たるわたしを誘うとはいったいどういうことなのか。誘ってくれたときの笑顔はとっても自然なもので、わたしの社交辞令探知機にも反応はなかった。理由なんてないのかもしれないけれど、いっそのこと、下々との戯れでごじゃる!とかなんとか言ってくれたほうがスッキリする。なんてことをぶつくさ考えながら家に着いたころにはすっかり日は傾いていた。

まとう空気が上品で、わたしの薄汚れた心はまんまと絡め取られて浄化しそうになる。愚痴や正論や言い訳ばっかりの自分が情けなく、そしてアホらしくなった。なんの濁りもなく、あんな風にわたしも笑える日がくるのだろうか。笑顔を強制されすぎて凝り固まった、この歪な仮面を剥がしてみたい。

笑顔と笑うことは違うもので楽しむことは二の次だと思い込んでいたわたしはどこかで、笑うことを抑えていたのかもしれない。けれど、あんなものに触れてしまったら、また、自分を誤魔化すことが辛くなってしまいそう。せっかく、もうダメなんだろうな、って諦めかけていたのに。また、あの日夢に見ていたような場所を、探したくなってしまう。



こわいけど、新しいことに踏み出すのって、いいよね。