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河原におちてる石ころみたいに、まるみを帯びて佇む人。

ふと思い出すことがある。ショッピングモールで販売の仕事をしていたときのこと。あと五分と先のばした二回目のアラームの音で飛び起きる朝。慌てて支度をしてから朝ごはんも食べずに競歩みたく駆け抜ける駅までの十五分。川が急に細くなって水が行き場をなくしたみたいに、駅には人がごったがえして氾濫していた。

ラッシュのホームでは線路にはみ出してしまいそうな 重たい勢いに、逆らうようにして各々が、これから流れていく場所の、そのはじまりの位置でじっと耐えてる。今日という日の上流で、亀裂がはいって砕けてしまったその角は、とても鋭く尖っていた。ここから一日の下流へと向かう途中で、石と石がぶつかって粉々になっていくように、夜の海へと解放されるころには粘土のように、ベトベトになってしまうのだろう。

満員電車にゆられて数十分。知らない人と知らんぷりしながら身を寄せあうあの時間。人型のシルエットになんとか隙間をみつけては、わずかな【外】に心を託していた。「時間がない」が口癖だったこのころに「自分の時間」としてカウントされているこの時間は、ただただ流れ去っていくだけの、景色のようなものだった。

駅に着いたら人混みから、さっそく離れて裏路地にある、ショッピングモールの通用口へ。元気よく挨拶する警備員さんの、死んだ目を見てから今日がはじまる。薄暗く、足音がBGMの通路をぬけた先で、荷物も運べる巨大なエレベーターが口を開ける、ガコンっ!という音が響いていた。なんの飾り気もないこの箱は、人をペロッと飲み込んで、まるで強制収容所にあるガス室のようだった。

五階まで上がってロッカーで、仕事の用意をしてから喫煙所。人目につかない入り組んだ通路の奥にひっそりとある、四畳ほどの黄ばんだ空間。小綺麗であることを強制される接客業で、ここの小汚さが妙に落ち着く。テーブル型の換気扇はデカい音をたてながら、煙のカタチを眺めることも許さずに、すったそばから吸い込んでいく。

店内に入ればいろんなお店のいろんな商品が並んでいるけど、満員電車で人を人と認識しないことで、なんとかやり過ごしているように、何もないその場所をただ無心に、そうやって自分の職場に向かう一分ほどの間に、愛想という偽りを厚く厚く塗り重ねていく。当時はカバン屋で働いていて、様々なブランドが煌びやかに並べられていたその空間を、なんの統一感もない下品な金持ちの家の庭の、ごちゃごちゃした花壇みたいでキタナイと、ずっとそう思っていた。

その場所に『おれの仕事は「はけぐち」』と言っていた、おっさんのスタッフがいた。眉は太くゲジゲジで、短い髪は硬くごわついていて、背は高くも低くもなく、体型は太くも細くもなく。無骨な顔のわりに声は高くて、細い目は分厚いメガネでさらに細くなっていた。

はじめてその人と会ったときは正直、なんじゃコイツ、と思っていた。とくに仕事をしている様子もなくボケーっとつっ立ってヘラヘラしている姿をみかけるたびにやっぱり、なんじゃコイツ、と思っていた。だけど、その人に話しかける女性陣はみんな笑顔になっていて、なんなら商品もかってに売れていて、目から固定概念という鱗がボロボロと落ちる音が聞こえた。

彼は絶対に飲み会に参加しなかった。早く帰らないと奥さんに叱られる、と、楽しそうに断っていた。それは素晴らしいことだと思うけれど、何より自分のポジションを貫くその姿勢が偉大だと思った。河原におちてる石ころのように、もう流されることをやめてしまったようなその人は、まるみを帯びててキレイだった。



こわいけど、新しいことに踏み出すのって、いいよね。