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軽やかに、戻っといでと言う友の適当さにて雪は溶かされ。

その日わたしは大学時代の旧友と、電話で無駄話に花を咲かせていた。ここでまず一言申しておきたいのは、わたしには友だちが少ない、ということである。人と関わることが苦手とかそういうことではなく、むしろ得意なほうであり、その得意さに裏付けられた空気を読んで読んで読みまくる力のせいで、敏感にして繊細に、そうしてキャッチしたものをうまくリリースできないのである。

己が内へと溜め込んでしまったものが発酵して、苛立ちという悪臭を放つまえにそそくさと、立ち去ってしまうくらいにはわたしは人と関わることの苦手さを熟知している。と、そんなわたしにも友だちと呼べる存在がいて、片手で足りるほどの少数精鋭方式を採用して久しい。彼らはわたしが何をしていようがおかまいなしに、各々自由な時間を過ごし、ゆえに誰ひとりとして引きつった笑顔などつくることなく、結果として「友だち」という空気をつくりあげてくれる、まさに正真正銘の精鋭たちである。

おもむろに唐突に、戻っておいでよ、と言われてわたしは困惑した。なんの脈略もなく放たれたその言葉の意味はきっとそのまんまであり、ゆえに理由が気になって気になって仕方がない。ぐふふ、と、いびきのように笑ってから、なんで?と問いただすと、その方が楽しいから、とだけ言われ、わたしはますます困惑した。人生を賭けていまだに探しつづけている「居場所」というものが、まさかこんな、他人のわがままの中にもあったとは。これはわたしにとって令和史上、最大の発見である。

口に出せば吐き気がする「できない理由」は冬の風のように痛みを伴いながら軽くあしらわれた。黒い机においた白いスマホから流れてくる声は、まるで春が訪れることを歌っているように、軽やかであった。声変わることを放棄したような高く透きとおった笑い声は、まさに少年のそれであった。

押入れから出してきて、天日干しをすることもなくそのまま使っている布団の湿気った匂い。部屋がまだ冷たいときに使う電気ストーブはジーッと音をたてながら、すぐ近くだけを優しく照らして激しく熱する。無造作にハンガーにかけてある服の季節はバラバラで、この部屋の時間は歪んだまま、進むことを忘れている。

彼の言うセリフはいったいどこまでが本当なのだろうか。それがたとえ嘘だったとしても、そう言ってくれる人がいるというだけで、なんだかいろんなことが大丈夫な気がした。大学時代からの付き合いで、気だるそうに授業が終わったころにやってきては、いつもため息のように笑っていた。ある意味、真面目な奴であり、冗談が下手くそで、そんな彼が電話の向こうで子供のように笑っている。

言葉にすることも忘れて感覚だけが駆け抜けていく。重たく固まった影を日差しが軽やかに照らそうとしている。閉め切った部屋の夜の雰囲気。やりきれなさを布団でくるんで暖めていた。なにも起きないことに慣れ果てて、それでも思いの中をウインドウショッピング。中に入る勇気なんて持てないまま、ずっと手に入れられないまま。

冬の雨の軽い音。報われることなく乾いてしまった空気。服についた水滴は気持ちだけを濡らして、海藻みたいに揺れるだけ。近づいてくる猫の気配。気づいてほしくて擦り寄るけれど、別にかまってほしいわけじゃない。

ひざの上で丸くなって寝る猫も、きっとたぶん、夢を見る。触れてみたいのに近づけない。近づいてしまえば消えてしまう。たとえ追いかけるだけの毎日なのだとしても、いつか、いつかそっと、指先だけでも届けてみたい。



こわいけど、新しいことに踏み出すのって、いいよね。