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にぎやかに家族と過ごす年末の、雰囲気くれる毛玉がふたつ。

午前にメッセージがきていたことに気づいたのが午後で、確認したら「今日からしばらく犬を預かってくれないか」といった内容で、この人からこういうことを頼まれるのは、たぶん、もう8回目くらい。とくべつな感情なんて何もなく、ただ記憶のなかの犬をムツゴロウさんのように撫でわましながら「いいですよ」と返事をした。

さて、夕方ってだいたい何時ぐらいのことなのでしょう。もちろん人によって様々でありましょうし、時間が決まっていないから「夕方につれていきます」という話になるのでございまして、時間を確認するのも野暮ってもんでしょ、なんてことを考えるわたしが思う夕方は16時から18時です。しかし、19時になっても犬をつれてこない飼い主を待ちぼうけていたわたしは、そのときにいったい、なんつうことを思っていたかというと、夕方までには帰りなさい、と言われた子供が19時に帰ろうもんなら、きっと、いま何時だと思ってるの!と、絶対おこられるやつだな、つうことを思っていた。

風呂を我慢していたわたしはバサバサになった髪と、ふわふわの猫の毛を交互にさわりながら、風呂を我慢していることに我慢ならなくなって、そして、風呂を我慢しないことにした。湯船につかってると、万が一にそなえてタオルにくるんで持ち込んだスマホが鳴って「あと20分ほどで着きます」とのことだったバカヤロウ。慌てて髪と身体を洗って風呂をあがり、よし、まだ10分あるな、と余裕ぶっこいてたらチャイムが鳴って、水分たっぷりのまま服を着てから、犬と野菜を抱えた飼い主を出迎えた。そして、猫を撫でるような声して犬と別れの戯れをしている飼い主を、死んだ魚の目をしながら見送った。


気づけば髪から水滴が、凍りつかないように蛇口からポタポタ垂らしているみたいで、なのに心はこの夜風に、いまにも凍りついてしまいそう。身体にへばりついてくる服は馴染みのないルールのように、動きづらくて息苦しい。言葉はなくとも音楽で、なにかが伝染していくように、甲高く鼻を鳴らすこの犬の、気持ちが言葉以上にわかる気がする。

仔犬のときから知っている柴犬。女の子。いい子。本当は寂しいくせに。どうしようもないくせに、どうにかしてあげたい気持ちがわいてくる。ごろんと横になる仕草はもうこの場所には慣れているようで、遠くを見るような目をして深く息を吐く姿はもうこの状況を諦めているようで。

どこにも帰らないわたしと、連れていってもらえなかった犬。猫はときどき犬を眺めて、関係なさそうにあくびをしてる。甘えたい猫と遊びたい犬。ほどよく忙しくって、いろんなことを忘れてしまえそうで、笑っちゃうくらい家族っぽいわたしたちの時間が、彼らにとってもそうであったなら、わたしはうれしい。窓辺の猫の、いつもの風景。グリーンのカーテンがやさしく太陽に照らされて、遠くのほうからかすかに鳥の声が聞こえる。ケージの犬の、よくある出来事。ものがたりが始まりそうな、そんな気配がした。

ある日、灰色の毛玉との生活に、とうとつに舞いこんできた茶色い毛玉。毛玉がふたつの賑やかな時間。ピンとたってる灰色のしっぽ。ブンブンゆれてる茶色いしっぽ。しっぽのないわたしは未だに感情を、うまくあらわせないまま、下手くそなまま。

足で蹴りあげた布団。よれよれのスウェット。朝はラッシュ。コーヒーの湯気があのころに、あたたかい冬もあったのだと教えてくれる。信じていた正しさ。そういうものは、たったひとつなのだという思い込み。いっそ、身も心も嘘に染まることができたなら、信じることが苦手な弱虫にならずにすんだのに、と思う。

犬の散歩。知ってる街の、知らない風景。知らなかったものに触れるたび、知っているものなんて、とっても小さいもののような気がする。変わろうとして変われなかった、そうやって変わってしまったわたしのこと。知らないどこかを望んでいたのではなく、知ってしまったこの場所を、ただ離れてみたかっただけのわたしのこと。



こわいけど、新しいことに踏み出すのって、いいよね。