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つまらない本を読んでて思い出す、好みだったのはあの雰囲気。

急に家のチャイムが鳴ってびくっとする。猫は唸り声をあげて玄関のほうを見ている。やましいことなんてないけれど、急な来客にはなんだか不安になる。恐る恐る玄関を確認しにいくわたしを尻目に、猫はさっきから唸るだけで自宅警備員の責務をはたさずに、こうして安全確認をわたしに任せっきりなのはいつものことである。

「お荷物ですー」と言う声で、宅配便の人であることがわかって、少しほっとする。淡々と挨拶をかわして事務的に署名して、大きさのわりにとても軽いダンボールを受け取った。なかを開けるとそこには、薄いダンボールの板になにかのハードプレイみたく、ビニールでぐるぐる巻きにされた一冊の本が入っていた。

タイトルをほげーっと眺めながら、それが勧められて買った本であることを思い出すのにしばらくかかった。文庫になったものを注文していたらしく、家で読むぶんにはそのコンパクトさがまったく活かされないで、ペラペラしたその柔らかさに、読みはじめてはみたものの手の収まりが悪いことを、ただただ感じるだけだった。

よく行く飲み屋でよく一緒になる人がいて、それはどのような人かというと、背丈は標準で年のわりには少し老けて見えるような青年で、一緒に飲むことを何度か繰り返していると、どうしてもそれなりには仲良くなってしまうもので、連絡先を交換したのち、たまにわたしから飲みに誘う、というような間柄の、友だちと言うにはまだまだ浅く、知り合いよりも近しいような、そんな人である。

その飲み屋は飲み屋というか、酒屋さんの裏手にある小さなスペースにテーブルが二つ並んでいて、それを囲うように、お酒のコンテナにベニヤ板を敷いたものが椅子として置かれているようなところである。賑やかな時間帯には外のかっこうそのままの厚着の客人が、おしくらまんじゅうみたいに寄り添って、その空間を、石油ストーブの匂いと熱が満たしていた。

誰かは誰かの知り合いで、約束なんて誰もしてない、そんな偶然が必然のこの場所で、たまたま話の流れから、普段はおとなしいタイプなくせして、妙に興奮した様子で上半身をあっちゃこっちゃに動かせながら、腕でなにかを描くようにして語ってくれた内容がわたしの好みに合っているような気がして、そうやって勧められるがまま、その場で注文したのがこの本だった。

もうぬるくなってしまった甘めのコーヒーを飲みながら、膝のうえでフミフミしている猫のしっぽの付け根あたりを指先でグリグリしていたら、この本がいまここにあることの、その経緯を思い出して、楽しそうに語ってくれていた、その光景がわたしの好みだったんだな、と急に納得した。

まったく響いてこない文字の羅列をひたすら追う作業はなんだか拷問のようで、こういう感じ、覚えがあるな、と思ったら仕事のことだった。心のなかの、カタチを伴わないふわふわしたものを、代弁してくれるものが本であり、仕事もきっと、そういうものなんだよな、とか思いつつ、完全に興味を失ってしまったもののたんなる主張は、ただの苦痛でしかなかった。

窓から差し込む太陽の光が、冬の澄んだ空気のせいで直接とどいているみたいに眩しくて、読みづらいことを言い訳に、不満が生まれるそのまえに、本と一緒に心も閉じた。嫌な出来事もいつか良い思い出になってくれるかもしれないように、嫌なことのなかにもいつか楽しみを発見する日がくるかもしれないように、この本も、いつか自分に響く時があるのかもしれないと、普段は触れることのない、だけど目には見えるところに、そっと仕舞った。


こわいけど、新しいことに踏み出すのって、いいよね。