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何ひとつ変わらぬ日々に報復をするように風呂で飲むサイダー

三ツ矢サイダーを近所のスーパーで買ってきて風呂でラッパ飲み作戦を開始したはいいものの、三分の一も消費しないうちに腹がちゃぽちゃぽに膨れて飲みきれず、口を直接つけてしまったことを後悔しながらこれから増えゆくであろう雑菌に思いをはせて途方にくれる。

わたしは極度のめんどくさがりである。コップを用意するのもめんどうだし、いちいち注ぐのもめんどくさい。あとで洗わなきゃならないなんてもってのほかで、できればすべてを「豪快」の一言ですませたい。しかし、実際のわたしは豪快の「ご」の字もない貧弱者であるがゆえに、願望に現実が追いつかずため息をつく他ないのである。

飲みきれない三ツ矢サイダーをこのまま捨てるのは勿体ない。貧弱者でありかつ貧乏性であるわたしがそんなことを許すはずがない。「貧」という字を調べてみると「お金を意味する貝が、分かれて少なくなる」ということらしいのだが、どうして貧弱者でありかつ貧乏性であるわたしの三ツ矢サイダーは誰にも分けることができず少なくならないのかと、謎は深まるばかりである。

水面から突き出したわたしの上半身は、まるで雨の降り始めのようにポタポタと汗が滴っている。真夏にクーラーを18度に設定して布団を被るように、真冬のお風呂で窓を全開にして天邪鬼を堪能する。またたく間に汗は凍って白くなり、わたしは自分の腕にできた雪原を眺めていた。

1.5リットル138円。買わない理由などなかった三ツ矢サイダー。どちらかというと小さめな手で鷲掴みにしたペットボトルは昔よりも少し薄くなったような気がする。ぐにゃっと水飴みたいに柔らかくて持ちづらい。おっとっとっ、なんてこぼさないようにする様はまるで、おちょこに注がれた日本酒のようで風流。水面に映る風景を眺めることは、思い出を懐かしむ感覚に似ていた。

無数の気泡がまるで生命の誕生といわんばかりの勢いで、弾けに弾けまくってる。自らの喉元に小宇宙の誕生を感じた。わたしは風呂では歌わない。そもそも普段から歌わない。だがこのときばかりは七色のため息が、賛歌のように溢れ出していた。

雨が乾いた大地を求めるように、ひび割れた隙間は抱擁の合図。荒れたままの仕事納めは言葉だけの嘘の色。うつむいた頭の後ろからサイダーみたいに、泡がでてきて弾けて消えた。ビルの影に囲まれて、日差しをただ眺めている。

大事にしていた曖昧さの、鍵を失くしたのは身を守るため。格好だけが大人になってもう子供でもなくなった。見ないふりした大切なものは炭酸みたいに、ジカジカ頭を刺激する。夕方五時の音が聞こえて、ひとりであることの実感をする。

飲み干した海に溺れて、深く深く底に向かって沈んでゆく。シャッターの落書きはずっと何も伝えられないまま。迷惑がられた思いは空気に溶けて風に巡って、またどこかに染み込んでいく。届くことのないものに、それでも届けたいものに、わたしは耳を傾けていたい。



こわいけど、新しいことに踏み出すのって、いいよね。