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忘れてたみたいにハッと思い出す、「あのね」を言える人のなきこと。

あれはこの店で買って、これはあっちの店で買って、なんてことをスマホにメモりつつ、買い出しにでかけた店の先々で、インスタントラーメンが特売だった。わたしはメモ魔である、くせに、メモした範囲内に行動がおさまったためしがなく、必要なものがないことにイライラしたくないからメモをするだけで、基本的にはいつも、その場の衝動に流されながら、日々をなんとかやりくりしている。

この日も漏れなく、既存の値段によこ線が引かれ、安くなった値段がでかでかと書いてあるポップに心がゆさぶられた。うわっ、これおいしいやつやん!うっふん。あっ、あれ食べてみたかったやつやん!あっはん。などと、まんまと踊らされて、というより自らすすんで踊り狂って、ほんとうは目薬とか歯ブラシとかを買いたいだけやのに、無駄にラーメンを買いこむこととなってしまった。

いろんな種類のラーメンと共に歩く帰り道というのは、いやでもラーメンのことを考えざるをえなくって、なぜならそれは、両手に大量のラーメンを抱えているからである。これぜんぶ、ひとりで食べきらなあかんねんな、そしたらわたしの主成分、ラーメンになってしまうんとちゃうやろか、なんてことを思った。そうやって笑い飛ばしてやろうとしたのだけれど、なんでだろう、うまく笑えなかった。


きらきらしたパッケージには厚く切られたチャーシューに、そえられるようにしてメンマ。半熟で黄身がこぼれそうになってる煮卵に、小物でおしゃれするみたいに青ネギ。具材のぶんだけたっぷりの、会話が周りにあるような気がする。そうして枯葉が散るように、終わったこととして寂しげに、おぼろげに頭をよぎるのは、小学生のころ、実家の土曜の昼ごはんは、きまってラーメンであったこと。

たまに吹く、髪がひっぱりまわされるような強風に、ビニール袋がなにか言いたげに鳴っている。すれ違う車には家族やカップルが乗っていて、ひとりであることの実感を、いちいちそんなことで感じては目を瞑りたくなる。夕日をみて泣きそうになることなんて、ない。ただあちこちの家にぬくもりが灯るころ、わたしの家は寒いままであることの、そのどうしようもなさに泣きたくなる時間が、夕暮れというだけなんだ。

結局なにもかもがやりきれないまま、ラーメンを食べることにした。いつものキッチン。ラーメンの袋をねじ込むゴミ袋。沸かしたケトルのお湯はもう冷めている。麺とスープだけの物静かなラーメン。今日は曇りだからかな、ちっともおいしそうに見えなくて、なんだかとっても泥みたい。当たり前のことを当たり前に受け入れられなくなっているのは、きっと、たぶん、もうすぐ年が変わるから。

慣れる必要のないことに、慣れないままじゃいられない。肋骨に鷲掴みにされてるあたりのザワつきに、耐えられそうにもないから。抱きしめていた息苦しさを手放してみたら、ぬくもりまでも失って、そうしてわたしはひとりになった。寂しさをともなわない実感はただただ重たく、押しつぶされそうになりながら涙のかわりに、この声をこの街に流してみたくなる。

誰でもないわたし自身であるはずの【ただそう思った】ことを、受け取ってくれる相手がいない。そういう風にしてカタチづくられていくはずだったわたしという存在は、失うことすらできないで、生まれるまえに消えてゆく。あげられなかった産声は、叫びたくなる衝動として染みだして、この身体にいつまでもいつまでも、とけない雪のように積もったまま。



こわいけど、新しいことに踏み出すのって、いいよね。