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たった一人の君を生きて

人生の中で時折、「自分はダメだ」と落ち込み、心がふさぎ込んでしまうことがある。

時に、生きているのがしんどくなることすらある。

私には学生時代、人生で最もつらい時期があった。
その時心の支えだった、ある歌の歌詞――「たった一人の君を生きて」

たった一人の自分を生きるとは、どう生きることなのか。今回は、そのことについて考えたい。

半分以上は重たい話になってしまうが、それでもよければ、お付き合い願いたい。

◇◇◇

言葉のいじめに心を折られた

私は高校3年生の時、3日しか教室に行かずに卒業した。
正確にいうと、別室登校をして、特別に卒業させてもらった。

なぜ教室に行けなくなったのか。高校2年生の時から、言葉のいじめを受けていたからだ。

きっかけは色々あるが、本題ではないので割愛する。
毎日、ファストフードのセットのように悪口をぶつけられた。noteに絶対書きたくない罵詈雑言の数々。
友達は減り、いじめは授業中にも及び、早退や欠席が次第に増えていった。ストレスのせいか、ぜんそくを疑われるような咳にもしばらく見舞われた。

行ける時は重たい身体を励まして登校していた。しかし高校3年に進級して間もない頃、所属していた美術部の部活紹介で体育館の壇上に上がったのをきっかけに、何の分別もつかない新入生までにもけなされた。そこで私の心は折れた。

たくさんの人に支えられ、高校生活を生き延びた

とどめを刺された私は高校に行けなくなり、しばらく1日の大半を自分の部屋で過ごした。そこから別室登校を経て、どう卒業したのかも話したい。

1ヶ月ほどの不登校を経て、新任の養護教諭のT先生の計らいで空き教室に通うよう勧められた。芯の強いお姉さんといった雰囲気のT先生は、前任の先生と違い、決して根性論で私をクラスに返そうとはしなかった。

ほどなくして、市の教育委員会で私の別室登校が正式に認められた。
私は空き教室で自習をし、時々校長室で校長先生と話をしたり、似顔絵を描かせてもらった。当時はなぜ校長先生が私に目をかけてくれるのか、よく分からないまま通っていた。

授業をろくに受けず過ごしたため、テストの結果は決していいものではなかった。特に数学は散々で、通知表の10点中2はおまけのおまけだったのだろう。
竹刀に生徒からのプリクラを貼って持ち歩いていた数学のM先生は、私の卒業時、クラス担任よりもずっとがっちり握手をして、満面の笑みで送り出してくれた。

そんな私が卒業できた理由のひとつは、専門学校に進学したためだ。
当時、私はゲームクリエイター専攻のある専門学校の体験入学に、単身高速バスに乗って行った。側から見れば相当おどおどしていたのだろう、ほかの見学者から陰口を言われても耐えた。
今はフリースクールや通信制の高校が増え、選択肢が広がったが、私の地元は田舎なので目ぼしい転校先もなく、出口はその専門学校しかなかった。

推薦入学の願書と小論文を提出して数ヶ月後、合格の報告をT先生にすると、T先生は私を抱きしめて声を滲ませながら喜んでくれた。親にも抱きしめられたことがない私は内心びっくりして、他人のぬくもりの中で、切り拓いた未来をじっと噛みしめていた。

3月に校長室で1人だけの卒業式を開いてもらい、私は無事、高校生活を生き延びた。

卒業後、私はある事実を知った。
別室登校だけでは単位が足りず、本来は卒業できなかったこと。
校長先生が、私を校長室に通わせることで単位の代わりとし、卒業できるよう格別の計らいをしてくれたこと。
これが卒業できたもうひとつの理由だった。

もし私が、悪口を言うクラスの人間に椅子でもぶん投げていたら、まともに卒業などさせてもらえなかっただろう。
社会人になっても一時期、いじめに反抗できなかったことを悔やんでいたが、涙を流しながらじっと固まることしかできなかった日々も、間違いではなかったのだ。

だが、全く心残りがないわけではない。
私は、当時自分が「いじめを受けている」とは思っていなかった。
当時の私が考える「いじめ」は、上靴に画びょうが入っているとか、教科書を真っ黒に塗り潰されるといった、直接的なイメージしかなかったのだ。
そのため校長先生から「いじめを受けているわけではないんだよね」と問われた際も、「悪口は言われているけど、いじめだとは思っていない」と答えた。
あの時、「私はいじめられている」と他の人間を糾弾したら、また違う展開もあったのかもしれない。

これはあくまで私のケースなので、もし現在進行形でつらい目に遭っている人は、信頼できる人なり、各種相談機関なりに、声を上げてほしい。どんなに周りに迷惑をかけてもいいから、誰かを頼った方がいい。
心ない仕打ちや言葉に、生きるエネルギーをくれてやる必要はない。

歌にすがりついて生きていた

当時、自殺の2文字が頭をよぎったことはあった。けれど未来の選択肢には入らなかった。

理由は色々ある。
家族を悲しませたくなかったから。
親からもらった身体を傷つけたくなかったから。
「あいつ、自殺しないのかな」と言われ、意地でも死にたくなかったから。

最たるものは、単に痛い、苦しい思いをしたくなかったからだった。

けれど、親への義理や意地だけで生きられるほど、いじめられっ子の精神は強くない。半分死んでいるような心地で、その日その日をやり過ごしていた。

ここで、当時私の心の支えだった、表題の言葉が出てくる。

I'm with you
ためらわないで
この広い 世界中で
たった一人の 君を生きて

これはThe Gospellers(ゴスペラーズ)の楽曲、「Promise」の歌詞だ。

ゴスペラーズは男性5人組のボーカルグループで、「永遠に」「ひとり」あたりが有名な楽曲だろう。
現在も活動を続けており、私が人生の中で最も長く聴いているアーティストだ。

「Promise」はどんな楽曲なのかというと、彼らのメジャーデビュー曲で、ブレーク後にリリースしたアルバム「Love Notes」にアカペラ版が収録されている(後にベストアルバム「G20」にも収録)。

私は高校3年の頃流行った歌をほとんど覚えていない。代わりに聴いていたのがゴスペラーズで、父が買った前述のアルバムを譲ってもらい、安いCDラジカセでよく流していた。

長い長い1日を終え、他の生徒と遭遇しないよう、15分ほど繰り上げで下校させてもらい、できる限り早足でバスターミナルへ向かい帰宅する。
西日が射す薄暗い部屋のベッドで横になりながら、力強くやさしいハーモニーと、リードボーカルの黒沢薫さんの「たった一人の君を生きて」というメッセージにすがりついて、涙を流していた。

「Promise」を始めとした、ゴスペラーズの曲を聴くことで、ともすれば死に傾くかもしれなかった精神を懸命に支えていた。ずたずたに切り裂かれた心を、繕おうとしていたのだろう。

再会したメッセージ

長らく「Promise」を聴いていなかったのだが、つい最近、この曲を思い出すきっかけがあった。

ある日、息子のことで上手くいかないことが重なり、出先で極度のイライラを息子にぶつけないために、私は左手の甲に爪を立てて我慢した。

ダメージは予想以上に響き、その日の夜、急に何もかもが面白くない、つまらない気持ちに襲われた。
翌日もふとしたことで急激に気力がなくなり、世迷い言を口にして家族を傷つけ、わんわん泣きながら謝り続けた。

1週間経っても爪痕は痛々しく残った。仕事は何とかこなしていたが、日常生活の全てのパフォーマンスが落ちた。
ちょっとしたことで自分はダメだと自信をなくし、不安が拭えない日々が続いた。

危機感を感じた私は、息子が帰ってくるまで丸一日休暇を取ることにした。家で休むのではなく、外出して過ごした。

眼鏡を直してもらったり、文房具や欲しかった服を少しずつ買ったり、普段は立ち寄るのを1軒までに抑えているカフェをもう1軒はしごしたり…。息苦しかった胸が徐々に穏やかさを取り戻していくのを感じた。

2軒目のカフェでココアを飲みながら、「自分はダメだ」から、どうすれば不安を和らげられるのかをゆっくり考えてみた。

そこで、印象的だった有名人の言葉を思い出し、書き留めた。
深く共感する言葉だったため、自分ならどう言い表すか、私なりの言葉も同じページに書いてみた。

noteのつぶやきに投稿する際、他の人にも伝わるような言葉を探して加えたのが、「たったひとりしかいない自分だから」だった。

その瞬間、忘れかけていたゴスペラーズの「Promise」が、私の脳裏にぶわっとよみがえった。
同時に、1番つらかった高校3年のこと、繰り返し聴いていたフレーズがないまぜになり、思わずカフェで泣きそうになるのをこらえた。

はやる足で帰路につき、暖房もつけず、冷えた窓際の机でいつものようにネット上から「Promise」を聴いて、やっぱり私は泣いていた。
忘れかけていた恩人と再会したような、ひどく懐かしい気持ちでいっぱいだった。

「たった一人の自分を生きる」とは

そんな経緯があり、十数年ぶりに再会した歌詞の意味を、改めて考えてみた。

人生は、決していいことばかりではない。予期せぬつらい目に遭うこともあれば、どうしてもダメな自分が許せない時もある。

「考えすぎだよ」「いつまでもクヨクヨしたって仕方ないじゃん」…上手く切り替えられない人間は、切り替えや割り切るのが上手な人間のこういった言葉を受けて、さらに自分を責めてしまう。

自己肯定感とか、前述のつぶやきのように「自分を愛する」といった言葉は漠然としたものだ。うんざりするほど聞き飽きている、それでもことあるごとに自分を責めてしまう人も、いるだろう。

ならば、「たった一人の君を生きて」と言われて、どう生きるのか。それなりに大人になった私は、こう思う。

①ダメな自分が許せなかったら、そう思った出来事に対して「次はこうしよう」とただ決める。明るい光が射している方に一歩でも進む。暗い方を見つめていても、何も変わらない。

自分のいいところを認め、「私は○○でよかった」と思う。ダメなところは別の出来事が起こった時や別の場面では、「いいところ」として役に立っていることもある。
考えすぎと言われても、物事についてより深く思考し、他の人が得ない答えまで辿り着けることもある。考えるのが好き(得意)でよかったと思える場面がどこかにあるはずだ。

自分が好きなこと、心地よく元気になれることを、自らすすんで選択していく。
大仰な大義名分などなくても、「推し」がいるだけで幸せ、カフェでまったりするのが好き、布団にくるまりぬくぬくする、楽しみな漫画やアニメ、ゲームがある…ちょっとした愉しみがあるだけで、案外人は生きられる。
つらい環境下にいると余裕などないかもしれないが、できる範囲で、少しでも自分が安らげること、愉しめることを選びたい。

①と②は言うのは簡単で、なかなか上手くいかない。私も上手くいく時とそうでない時がある。

最も大事なのは③で、つまり自分の魂がよろこぶことを選択していく。

これが、平たく言えば自分を愛し、「たった一人の自分を生きる」ことではないだろうか。

さらに、今回の件を考えるにあたって思い出した、山本有三の「路傍の石」にもこんな一節がある。

たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない人生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか

他人から排他されるのももちろんつらいが、自分で自分を呪い、いじめるほど、悲しいことはない。

どんな自分でも、ここまで生きてきた。

どんなにカッコ悪い時があっても、一生懸命生きている。

それを自分で認めてやらなくて、誰が認めるというのだろう。

◇◇◇

自分にやさしくできなければ、誰かにやさしくする余裕まで失ってしまう。

まずは自分にやさしくする。自分を受け容れ、ねぎらう。

それがひいては、大切な誰かを、もっと大切にすることにもつながるのではないだろうか。

今よりつらくて、それでもずっと生きることに真摯だった頃の私に、もう一度約束したい。

たった一人の自分を生きると。




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