蜂本みさ

お話を書きます。毎週水曜21:00~「犬と街灯とラジオ」を谷脇クリタさん、北野勇作さん…

蜂本みさ

お話を書きます。毎週水曜21:00~「犬と街灯とラジオ」を谷脇クリタさん、北野勇作さんと一緒にやっています。2019年ブンゲイファイトクラブ準優勝、2020年ブンゲイファイトクラブ2優勝。

マガジン

  • ごじゅうおん

    あいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわをん

  • じっぷん夜話

    十分くらいで朗読できる短い話

最近の記事

跡取り息子

「じゃんけんで負けたんだから仕方ないだろ」と兄は言った。困ったように肩をすくめてみせつつも、顔には照れくさそうな笑みがいっぱいに広がっていた。兄の奥さんになった人は両家顔合わせの席に一度現れたきりで、結婚式すらせず、以降もまったく家に寄りつかなかった。結婚して初めての正月には兄だけが帰ってきた。こちらは婚約中の彼女を連れてきたにもかかわらず。兄いわく、そういう時代じゃない、ということだった。おまけにどちらの名字にするかをじゃんけんで決めるなんて挨拶の席では一言も言わないで、家

    • ブルームーンの夜

       仕事を終えてドックを出ようとした時、誰かが出し抜けに裏口の戸を叩いた。こんな静かな真夜中になんの音も立てず、つまり甲殻機にもローバーにも乗らずに野良ガニひしめく湿地帯を突っ切って整備工場を訪れるような輩は到底まともじゃない。幽霊か、野盗か、農場の下働きに嫌気がさした脱走者か。頼むから春の陽気にあてられた小型の陸棲甲殻機――たとえばオカヤドカリ――が交尾の拍子に立てた物音であってくれと念じながら映像を確認すると、男が一人立っていた。幽霊ではないらしい。 「俺だ、ヤンだ。ヤン・

      • HDの幽霊

         ちかごろ妙な現象がある。それは突然起こる風で、より正確に言えば突然起こる風の感覚だ。概要は以下の三点。(1)時々温かい風に手を撫でられる。(2)その現象は手が濡れた時にだけ起きる。手洗いの後やアルコール消毒の後、雨に濡れた時など。(3)風はあくまでも感覚で、他者が知覚したり、手に持った物が影響を受けたりすることはない。たとえばA4の紙を持っていても紙は微動だにしない。自炊や入浴の際はしょっちゅう手が濡れるので、そのたびに風が吹き付けることになる。できる範囲で使い捨てのゴム手

        • 嵐が耳に

           嵐のあくる朝湖へ向かう。走りたいのを堪えて歩く。深く息をして空気を体にめぐらせる。浜には薄紫の見慣れない巻き貝が多く打ち上げられ、流木や藻屑は小山のよう。良い兆しだ。  飛込岩にニオの下駄を見つける。近頃先を越されてばかりいる。そばには赤い土器片や青灰色の陶片が四つ並んで鮮やかに濡れている。小さな無地の物ばかりでほっとする。  嵐が来ると体中そわそわして何も手につかない。湖の底が動き、かつて沈んだ坏や椀や壺などの遺物が深い水底から舞い上がる。何十回と潜り、出会った土器片に古

        跡取り息子

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        • ごじゅうおん
          17本
        • じっぷん夜話
          2本

        記事

          目には見えない光

           クレーはいつも睨んでる。眉間にしわを寄せて首を傾げ、するどい視線をレンズ越しによこす。なんか文句ある? とでも言いたげに。  出会った日もそうだ。入学して初めての昼休み、図書室から急いで教室に戻る途中、階段の踊り場で人にぶつかりそうになった。相手は壁を睨みつけてた。さっぱりと刈り上げた後頭部、いかった肩、スカートから伸びる骨っぽいひざ。振り向いた顔にブルーレンズのサングラスが乗っかっていて、不良だ、と身構えた。「あのさ」とその人は壁の案内表示を指さした。学年別のカラーで描か

          有料
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          目には見えない光

          雷虫(Thunder Bug)

           わたしの背中の稲妻紋はかっこいい。村の子どもの中でもだいぶ、いやいちばんかっこええんちゃうかと思ってる。盆の窪をうねりながらまっすぐ飛び出してそのまま細く長く消えていくかと思いきや、肩甲骨の間で一気に炸裂して、夕方に飛ぶ蝙蝠の羽みたいに大きく広がる。稲妻紋の端っこは脇腹まで届くほど広がって、その中央をひときわ太い稲妻が、背骨に沿って腰まで続いてる。紋色は濃い群青で、端にいくほど翡翠みたいな緑が混ざる。こんなにかっこええ稲妻紋は大人を入れてもそうそう見られへん。わたしは紋に似

          雷虫(Thunder Bug)

          ちかつうろ

           あなたは地面にもぐっていく階段の一番上の段に立っています。階段はとても古く、砕けたコンクリートの間から草がぼそぼそと生えているのが見えます。外の明るさで、降りていく先は暗く沈んでいる。それは水のような暗闇です。一段ごとにひんやりと湿った空気が足先からのぼってくるところも、水の中を思わせる。ここの温度はいつも一定なのです。夏は涼しく冬は生暖かい。今の季節は春で、だからここの空気はひんやりしています。それはけして心地よいものではない。どちらかというと、不快です。少し冷たすぎる。

          ちかつうろ

          トンビにパンをさらわれる(「いきもんら」収録)

           銀閣寺近くの疏水沿いでパンをさらわれて、今はその犯人であるトンビを追っている。銀閣寺、というのが盲点だった。鴨川沿いだったら絶対に油断しなかったのに。  そもそもの話をすればわたしはライターだ。地域のおしゃれスポットや映える名所とかを毎号テーマごとに特集する情報誌の仕事を月一でもらっている。メンバーはいつも一緒。発注元の編集さんと、デザイナーさんと、外注のカメラマンと、外注でライターのわたし。今回は春、桜の下でパンを食べよう! って感じの号の取材。取材の時は桜咲いてないけど

          トンビにパンをさらわれる(「いきもんら」収録)

          【音声版】トンビにパンをさらわれる

          2020/09/06 文学フリマ大阪で頒布した「いきもんら」に収録されている短編の朗読です。 通販:https://inumachi.stores.jp/items/5f82696994f3ae0b7c37233e

          【音声版】トンビにパンをさらわれる

          【音声版】トンビにパンをさらわれる

          たらちねの

           わたしには生まれた時から母がなかったので、近所の石材置き場にあるひとつの岩を母と定めてそれを慕っていた。四、五人の家族なら車座になって、互いに肘を触れあわせることなくゆうゆうと食事ができるほどの巨岩で、青みがかった灰色の岩肌がやさしかった。学校が終わったあと、母である岩の上に寝転がって、宿題をしたり友達に借りた漫画を読んだり、リコーダーの練習をしたりするのを日課としていた。  石材置き場のまわりにはうす緑色のフェンスが張り巡らされていたが、ひし形の網目は子どものつま先をひっ

          たらちねの

          そらりうむ

           受付を済ませて入室すると、紫外線が肌にぶつかり、ぱちぱちと跳ね回る感覚に全身が襲われて思わずため息が出た。太陽は少し傾いている。今日こそ早めに来ようと思ったのに、仕事が長引いたせいでまた夕方だ。お気に入りの席が空いていたのでそこに寝そべった。リクライニングタイプの席は六台しかないからよく取り合いになる。ゴーグルをはめていつものカリフォルニアモードを選ぶと、先日までの風景とはがらりと変わっていた。受付の人が「今日から夏なんですよー」って嬉しそうに言っていた通りだ。並木道の緑が

          そらりうむ

          せみころん

           どっちかいうと好きではなかった。きらいというのでもないけど、苦手。笑うと目がなくなって口の形がハート型になるのも、いつ見てもきれいなポニーテールも、花房ってやたらきらきらした名字も。何より自分と違いすぎたのは、花房は英語が好きってことやった。わたしはべつにやった。受験の時、ESS部やと内申的に有利って聞いて入っただけ。部員の半分くらいはそんな感じやった。花房はふつうに遅刻もめっちゃするししょっちゅう休むし、内申点なんかどうでもいいみたいで、しかも自分の希望で翻訳班にいた。E

          せみころん

          オーロラ

           海の底から湧いたとしか思えなかった。  世界のどの海域にも、過去のどんな本にも記録の見つからないこの発光クラゲたちは、わたしたちが十二歳の年の晩夏に北海岸の波打ち際を覆いつくした。子どもたちは声をあげてクラゲを踏んだり投げたり、大事に持ち帰ったりし、二日後には飽きた。数が多すぎたのだ。  「オーロラ見にいかない?」と、よなちゃんが言った。  わたしたちは夜の堤防を歩いた。変質者が出たらどうしよう、とよなちゃんが肘にしがみついてきたので、ふたりでいい方法を考えた。変質者が出た

          オーロラ

          すくりぷと

           かちゃり、と子機のあがる音がしたので、相手の応答を待たずインターホンに名前を名乗った。すぐに焦げ茶色のドアが開き、少し日焼けしたオモテさんが出てくる。「お邪魔します」「お疲れさまですー、暑かったでしょう」オモテさんはテーブルにコップを置く。コココ、と音がして、コップが冷たい麦茶で満たされる。「髪切った? すごい似合う」「あ、うんうん、けっこう前に。前回のすぐあとかな。いやあひと月って早いなあ」腕を伸ばしてあらわになったうなじを撫であげると、オモテさんはうひっ、とへんな声を上

          すくりぷと

          ちちぢち (第3回阿波しらさぎ文学賞 一次通過作品)

           ひと目見てばけものと叫びそうになったが、職場で受けたハラスメント防止研修を思い出してなんとか踏みとどまった。われながら大したものだ。「三郎のせがれか?」ぎょろりと上目遣いでこちらを認めるなり言いあてると、ほうきを持ったままニューバランスの底をべたらべたらべたらと鳴らし、一本足で庭を跳ねていく。そのうしろ姿を見ながら、右の靴はどこへやったのだろう、捨てるのならもったいないことだとどうでもいい疑問が浮かんだ。人間、心配ごとを目前にしていると、想定外の事態にうまく驚けないらしい。

          ちちぢち (第3回阿波しらさぎ文学賞 一次通過作品)

          しもばしら

           ひとりで住む家は寒い。冬になってようやく気づいた。あたりまえだが、自分のつけたところにしかストーブはついていない。あたりまえだが、体温を放つ生き物がひとりしかいないぶん、室温はより下がる。朝、あたたかい二階の寝室から一階に降りていくと、木の床の冷たさがもこもこスリッパと靴下を貫いて、つま先がびりっと痛む。昼間になると日光が当たるおもての庭の方があたたかいぐらい。去年までは人のいない部屋でストーブがつけっぱなしになっていると灯油代や一酸化炭素中毒が気になって仕方なく、聞こえる

          しもばしら