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跡取り息子

「じゃんけんで負けたんだから仕方ないだろ」と兄は言った。困ったように肩をすくめてみせつつも、顔には照れくさそうな笑みがいっぱいに広がっていた。兄の奥さんになった人は両家顔合わせの席に一度現れたきりで、結婚式すらせず、以降もまったく家に寄りつかなかった。結婚して初めての正月には兄だけが帰ってきた。こちらは婚約中の彼女を連れてきたにもかかわらず。兄いわく、そういう時代じゃない、ということだった。おまけにどちらの名字にするかをじゃんけんで決めるなんて挨拶の席では一言も言わないで、家族が知ったのは兄が改姓した後だった。
 あいつは家を捨てた、と兄が去ったあとで父は吐き捨てたが、余命半年を宣告された身体がばらばらに壊れてしまわないよう布団の中でじっと怒りに堪えていた。母の怒りと悲しみは父のそれよりもよほど激しかった。父の代理人としてというより、心の底から嘆き悲しんでいるようだった。
「うちの跡取り息子はおまえだけだ」と父は言った。跡取りだなんて、急に言われても実感が湧かなかった。なんとなく兄が全部を継ぐと思っていたし、おもてだって区別されたおぼえはないとはいえ、子どもの頃から両親が兄にかけている期待のようなものは肌に感じていた。それは兄の皿に取り分けられるひときわ大きな海老フライだったり、県内外の大学から取り寄せられたパンフレットの山の高さであったりした。うちは今でこそ田舎によくある広いだけが取り柄の家だけれど、元をたどれば養蚕業で栄えた有力者の家系で、昔はよその土地を踏むことなしに県境まで行けたのだ、と生前祖父がよく言っていた。跡取りという言葉には腹の中にどっしりと錨が降りるような頼もしさがあった。
 父のその日がやってくると家じゅうの者が布団のまわりに集まった。早朝に電話をもらい、車を飛ばして到着したのが昼前で、窓の向こうに見える青空と雲のコントラストが眩しかった。壁のカレンダーはすでに七月に変わっていて、分厚い羽毛布団は透けるほど薄いタオルケットになり、それも今は膝までしかかけられていなかった。父が余命を燃やしきるには長い時間が必要だった。最期はどうしても自分の家がいいと希望した父のため、数ヶ月にわたって介護を続けた母はやつれていたが、しっかりと父の手を握っていた。伯父夫婦も、伯母も、いとこたちも揃っていた。兄の姿だけがまだなかった。新幹線でこちらへ向かっている途中なのだ。
 間延びした蝉の声を真似るように父の呼吸がゆっくり荒くなっていくなか、襖をかたかたと揺らしてそいつが入ってきた。そいつの姿を見かけるのは本当に久しぶりだった。今までどこにいたのか見当もつかなかった。そいつは平べったい星型の糸巻きのような形をしていて、実際、いろんな色と質感の糸がでたらめに巻きついていた。星型の中心から棒がまっすぐに伸び、その端には直角に交差するようもう一本の棒が取りつけてあった。そいつは畳の上をしばらく転げ回ったあと、家の者の間を縫うようにして父の布団に這い上がった。そして今はもうのし餅みたいに薄べったくなった父の腹の上に星型の頂点の一つと二本目の棒で立った。
 誰も何も言わなかった。何も起きていないかのように振る舞っていた。それがそいつに関する暗黙のきまりごとだったからだ。この家の大人は、少なくとも人前では、そいつをいないものとして扱う。いきなり台所の隅に現れてじっとしていようと、廊下で綿埃を追いかけてぐるぐる走り回っていようと見なかったふりをする。死にゆく父の腹の上でだって同じことだ。
 そいつは呼吸で上下する腹の上で数分の間じっとしていたが、やがてつんのめるようにゆっくりと体を回転させた。父の寝巻きのへそあたりから何か糸のようなものが伸び、糸巻きに巻き取られていった。その糸は粗く撚られた麻糸で、ところどころ艶のある深緑の綿糸が混じっているように見えた。重力に任せて父から転がり落ちると、そいつは紙がこすれあう音に似たかすなか笑い声を立てながら部屋を出ていった。父の呼吸が止まったのはそのすぐあとで、兄が到着したのはさらにそのすぐあとだった。
 それからの数ヶ月はあまりにあわただしく過ぎ去ったので、ほとんど記憶に残っていない。通夜、葬式、父の部屋の後片付け。異動願い、引き継ぎ、結婚、引っ越し。結婚式を来年三月と決めていたのがせめてもの幸いだった。妻ははじめ何もかも思っていた生活と違うといって戸惑っていた。今住んでいる大きな街で二人暮らしをするつもりだったのだ。この時期は喧嘩ばかりだった。お互い毎日くたくたに疲れていたし、実家へ引っ越すことも、入籍を前倒しすることも、職場が遠くなるので妻が退職することもすべてが予定外だったのだから仕方がない。でも、人生というのは予定通りにいかないものだ。むしろ予定外のことが起きるほうが当然だといってもいい。そもそも兄が名字を変えて家を出なければこんなことにはならなかったのだ。
 父を亡くして一人になる母も心配だったし、それに引っ越してみると、跡取りとなった自分がこの家で暮らすのは自然なことに思えた。とても自然だ。これまで年寄りの繰り言程度にしか思っていなかった先祖代々の歴史が、初めて我が身に関係のあることとして立ち上がってきた。休みの日になると、家系図を前に伯父や伯母から昔話を聞くのが楽しみになった。近所で出会う誰も彼もに一家の主として扱われるのもうれしかった。
「あれはなんなの」
 妻がようやく訊ねてきたときは、ついに話せるのだと身震いした。
「あれはおどらでくだよ」
 その名前を口にするのは子どもの頃以来だった。おどらでく。不思議であやしくて懐かしい響きだ。そいつについて知っているすべてを妻にまくしたてた。
 星型の糸巻きのような姿をしたそいつは、百年か百五十年かの昔からこの家にいた。屋根裏や土間や仏間を好き勝手に転げ回り、時には長い間姿を隠しもしたが、いなくなることは決してなかった。養蚕業で財をなした当主のもとにヨーロッパの使節団を通じてもたらされたというが、はっきりした話は残っていない。
 幼い頃は赤ん坊の玩具か、木彫りの熊や貝殻でできた人形の仲間だと思っていた。兄に置いていかれてふと退屈した時などには、遊び相手がほしくてよく話しかけた。「お名前は?」と訊ねると、そいつは「おどらでく」と答えた。「おどらでくは何を食べるの?」とさらに問うと「決まってない」と笑った。父が死んだ日に聞いたのと同じ、かさこそとした笑い声だった。
 妻は思い出話にじっと耳を傾けていた。仕事を辞めて家にいるようになってからというもの、服も髪も化粧もいい加減だったが、そんな一匙のみすぼらしさがますます可愛さに磨きをかけていた。妻は咀嚼するように黙りこんでから口を開いた。
「どういう意味なの? おどらでくって」
「さあ、なんだろう。踊る木偶だとか、先祖代々の霊たち、つまりお父らの宿る木偶だとか考えてみたことはあるけど、よくわからない。それより」
 両腕で強く抱きしめると、妻は驚いて小さな声を上げた。君におどらでくのことを話せてうれしい、とほとんど叫ぶように口走った。彼が遊び友達だったのは子どもの頃のほんの一時だけで、すぐ他の大人たちと同じように無視することをおぼえた。家の外で口にしてはいけないことも早くから知っていた。本当は誰かに打ち明けたかった。ずっと誰かに話を聞いてほしかった。妻が本当の意味で家族の一員になったように思えて、愛しさで気が変になりそうだった。結婚してくれ! と叫ぶと、もうしてるよ、と妻は笑った。
 しかし結婚式を終えた頃から暮らしは単調になっていった。良くも悪くも慣れたのだ。家を出てすっかり忘れていたが、古くて立派な家は古くて立派なだけで、冬は寒く、虫が多く、便所は遠かった。母と妻の折り合いは悪くはないが、遠慮と意地とがこんがらがって時々張り詰めた空気になった。家のあちこちに目には見えない時間の層のようなものが降り積もり、清潔なのにぺたぺたしていた。休日に出かけていく先といえば郊外のショッピングモールと、山の方にある農場レストランくらい。自分が持っているものといえば、田舎の家と、妻と、突如足元に現れて蹴っ飛ばしそうになるおどらでくだけだった。
「子どもをつくるのはどうかな」と妻に持ちかけた。
 結婚する前は、子どもはいらないというのが二人の意見だった。共働きでも余裕があるとはいえなかったし、育児と仕事で忙しくなり、関係が悪くなるのも嫌だった。避妊はいつも徹底していた。けれど今妻は仕事をしていない。実家だから家賃もかからない。母も親戚たちも露骨な言い方はしないが、期待している気配があるし、いざという時頼れそうでもある。子どもをつくる環境としては最適だ。
「考えさせて」と妻は言った。
 もちろんだよ、とうなずいた。時間をかければいつかわかってくれるだろう。それに子どもは授かりものだ。いつまでも妻の考えが変わらないなら、する時にちょっとした工夫をほどこしてもいい。できてしまえばなんとかなるはずだった。
 ところが妻は何ヶ月経っても返事を先延ばしにし続けた。妻は家事を淡々とこなし、セックスをする時はゴムをつけてとごねて、かといって熱心に仕事を探すでもなく、夕飯時になると地元の求人の乏しさについてこぼした。そのうちに妻は暇を持て余したのか、おどらでくが姿を見せると話しかけるようになった。
「おどらでくは何歳なの」
 ある日子どもをあやすような口調で妻は言ったが、おどらでくは黙ったまま円を描くように転がり続けた。そう、返事が返ってくることの方が珍しいのだ。また別の日には形が似ているからといって床に金平糖をぱらぱらと撒き、おどらでくが狂ったようにそれらをかき回しているのを見て目を細めていた。
 正直にいえば少し苛立ちをおぼえていた。日がな一日家にいて、糸くずを巻きつけた何の役にも立たない粗末な糸巻きと遊んでいるなんて配偶者としてどうなんだろうか。もっと女の人にしかできない仕事をするとか、やるべきことがあるんじゃないか。一度そのことを言うと、妻は「私は来たくてここに来たんじゃない」と言った。それはそうだ。ついてきてくれたことには一生、頭が上がらない。でも最後には納得したはずなんだから、蒸し返すのは卑怯だ、と言うと、妻はもう何も言わなかった。
 結婚式から一年が経ち、避妊をしなくなっても子どもはできなかった。たまに産婦人科には通っているらしかったが「自然に任せる」の一点張りだった。妻は裏庭に放置されていた木っ端と園芸用の支柱を拾い上げ、錆びたのこぎりと兄の勉強机に入っていた彫刻刀で何かを作り始めた。数日後に仕事から帰ると、食卓の陰にあった塊につまずいて転びそうになった。
「なんだよ、これは」と叫んだ。
「おどらでくの仲間だよ」
 なるほどそれはおどらでくに似ていた。ぎざぎざの土台に細く裂いたぼろ布が巻きつけられ、交差する二本の棒によって自立していた。ただし作りは粗雑で、特に糸巻き部分はひどくいびつだった。暇だねえ、とからかい混じりに言うと、すっごく楽しかった、と妻はほほえんだ。得意そうな笑みだった。
 その工作はいつまでも食卓のそばに置かれていた。時々はおどらでくがそのまわりを走り回ったが、関心があるのだかないのだかはっきりしなかった。それなのに妻は新作に取り掛かり、最初よりずっと短い時間で二つ目と三つ目を作った。もう糸巻きはゆがんでいない。
 「自分の嫁なんだからなんとかしなさい」と母に言われたがどうしようもなかった。家事はこなしていたし、咎めれば「だって、ここで他にしたいことがなんにもないの」と返ってきた。何より工作に没頭している妻は本当に楽しそうだった。仲間の数はあっという間に十を超え、二十を超えた。
「何? おかんアートってやつ? おかんじゃないけど」と苦言を言ったがどこ吹く風で、いつの間にか兄の部屋にバンドソーやトリマーやディスクサンダーなどの物々しい電動工具を持ち込み、夜遅くまで凄まじい音と振動を立てながら木くずまみれで机に向かっていた。妻はこの家に住むことを初めて喜んだ。田舎は騒音を出しても近所迷惑にならなくていいね。
 糸巻きは日に日に優美で複雑になった。八角形や十二角形のもの、縁に装飾を彫りつけたもの、表面に綾模様を彫刻したもの。はっきりと工芸品の表情を帯びていた。糸も配色や素材の取り合わせににこだわるようになった。それに並ぶとおどらでくは古代のパンのような素朴さがあったが、どのみち何ら実用にならないのだから、同じことだった。
 「これ見て」
 夕飯のあと、妻にSNSのアカウントを見せられたのは、父の三回忌が過ぎた頃だった。フォロワーが一万一人と表示されたそのアカウント名には、新しい民藝オドちゃんと書かれていた。妻の作ってきたおどらでくの仲間たちが写真付きで紹介されていた。
「今すごく流行ってきてるんだ。こないだ取材も受けたんだよ」
 スマホを受け取り、投稿に添えられた「#新しい民藝オドちゃん」というハッシュタグをタップすると、数々のアカウントがアップしている写真がざくざくと出てきた。ありとあらゆる素材で作られていて、巧拙を問わなかった。紙とマジックペンと毛糸で作られたもの、ペンキで塗られたもの、寄木細工のもの、陶器、ぬいぐるみ、タイル張り、蛍光グリーンの透明プラスチック、チョコレートケーキ、石膏、紙を束ねたもの。そのすべてが糸巻きと、糸と、二本の棒でできていた。素敵でしょう、と妻はスマホをのぞきこんで目を輝かせた。
 背後からかたかたと音がして、数週間ぶりにおどらでくがやってきたのがわかった。おどらでくは壁際にずらりと並んだ仲間たちの前を、眺めまわすように通り過ぎていった。糸巻きの中にあの糸を探した。麻糸に光沢のある深緑の糸が混じったあの糸だ。けれど回転する糸巻きの上ではすべての糸が混ざり合って、いつまでも掴むことはできなかった。

(了)

※この作品は、フランツ・カフカショートストーリーコンテストの応募作です。

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