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たらちねの

 わたしには生まれた時から母がなかったので、近所の石材置き場にあるひとつの岩を母と定めてそれを慕っていた。四、五人の家族なら車座になって、互いに肘を触れあわせることなくゆうゆうと食事ができるほどの巨岩で、青みがかった灰色の岩肌がやさしかった。学校が終わったあと、母である岩の上に寝転がって、宿題をしたり友達に借りた漫画を読んだり、リコーダーの練習をしたりするのを日課としていた。
 石材置き場のまわりにはうす緑色のフェンスが張り巡らされていたが、ひし形の網目は子どものつま先をひっかけるのにちょうどよく、ランドセルを背負っていてもなんなくよじのぼることができた。広い敷地に大小の岩が積み重なっていて、気ままにのぼったり降りたり、岩と岩とすき間をのぞきこんだりするのも楽しかった。生き物も多かった。あたたかい季節、母岩(ははいわ)の上から周囲を見下ろすと、あちらこちらでトカゲが日向ぼっこをしているのが見えた。トカゲ目当ての野良猫もよくやってきた。
 岩の上は平和なばかりではなかった。とくにペイズリーおばさんに見つからないようにするには警戒が必要だった。ペイズリーおばさんは、いつも首のところに赤いペイズリーのスカーフを巻いているおばさんで、この土地の持ち主らしくときどき石材置き場を見回りにくるのだ。まだ岩のぼりに慣れていなかった頃、母岩から後ろ向きにそろそろと降りたところをつかまってこっぴどく叱られた。怪我でもしたらどうするの、と言われたがわたしは運動神経だけはよかったので、このおばさん何言ってんのやろうと思った。クラスで鉄棒の地獄まわりと天国まわり両方できんのわたしだけやで見せたろか、と言おうかと思ったけどだまっていた。ペイズリーおばさんは石材置き場に忍びこんだ子どもをつかまえて叱って、おまけに名前を聞き出して学校に苦情の電話まで入れることで知られていた。だから近所の子どもはほとんど寄りつかなかったが、うちにはきかなかった。父は学校から電話がかかってくると内容に関係なく怒鳴って話の途中で切ってしまうのが常だったからだ。どのみち、見つかったとしても大したことはない。ペイズリーおばさんが石材置き場に入ってくる時はフェンスに取りつけられた門がきいきい鳴るので前もってそれと知れたし、おばさんが敷地の奥まったところにある母岩にたどりつくまでの間に、岩の上に広げた物をまとめて姿をくらますのは造作もなかった。積み上げられた岩のどこに隠れられそうなすき間があるか、わたしは知り尽くしていた。
 母岩は季節ごとにいろんな表情を見せた。春は日向ぼっこにちょうどよく、くぼみにどこからか飛んできた桜の花びらがよく溜まった。夏は上にのぼると暑くてとてもいられなかったが、陰に入ると驚くほど涼しかった。秋には尻から体温を奪い始め、冬ともなるとまるで氷の塊みたいに冷たかった。雨に洗われたあとは青々と光った。図書室の本で調べたところによると、大昔の深海に堆積したプランクトンの死骸でできているらしい。そんな小さなものがこんなに大きく硬くなり、海のないこの町に塊となって横たわっているのは、不思議なことだった。
 数年がたち、中学にあがっても岩に通うのはやめなかった。どのみち友達はいないし、家にいてもひとりだし、父はいたらいたでうっとうしい。ここにいればとりあえず岩がある。猫やトカゲも。岩は時々入れ替わったが、大きな母岩は買い手がつかないのか、いつも待っていてくれた。ペイズリーおばさんは相変わらずわたしがいるのを察知すると叱りにやってきたが、わたしが毎回上手に物陰に隠れるので、小言を適当な岩に向かって言って帰っていくようになった。今に怪我するよ、怪我しても責任はとれませんからね、とか、暗くなる前に帰りなさい、とか、暑いから熱中症に気をつけなさい、とか内容はいろいろだった。誰もいないところで、といってもわたしがいるわけだが、大きな岩ばかりがごろごろしているところでそんなことを言うおばさんがおかしくて、物陰からこっそりのぞくのが好きだった。見つからないように後ろからのぞくと、しゃべっているおばさんは独り言を言っているようにも、お芝居の練習をしているようにも見えた。
 ある日岩の上で国語の宿題をしていた。すっかり秋で少し肌寒かったけれど、日差しが降り注ぐ岩の上はほんのりあたたかかった。斎藤茂吉の「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり」という短歌が問題になっていた。この時の作者の心情を想像して百文字以内で書きなさいという問題だったが、ちっともわからなかった。母親が死のうとしているのに燕を気にしている場合なのか。そもそもこの、たらちねってなんなのか。おっぱいが垂れているという意味か、それってあまりにも失礼すぎやしないか。枕詞といって、特定の語と結びついているだけでそれ自体にはとくに意味がないらしい。生まれてこのかた母親がいるのがどんな感じなのか知らないので、母がいなくなるのもどんな感じなのかよくわからない。そう考えると、わたしにとって母というのは、この短歌の母にくっついているたらちねみたいなものかもしれなかった。
 すぐそこでざっざっと土を踏む音がして、はっとして顔を上げた。ペイズリーおばさんが来ている。完全に油断した。あわててプリントを教科書の間に挟みこみ、指定鞄の放り込んで岩を降りたが、しまったと思った。シャーペンが岩の上に置きっぱなしだ。誕生日に自分で自分に買ったもので、てっぺんに銀色に光るミッキーマウスのチャームがついているのに。岩陰で息をひそめていると足音が止まった。「何回言わせるの、ここは危ないって……」と独り言みたいな小言が始まった時、カチャッと物音がして、おばさんが黙った。しばらく間があって、「これは罰として預かっておくから。早く帰りなさい」と声がかかり、おばさんは門をくぐって出ていった。そのあといくら探してもシャーペンは見つからなくてものすごく落ちこんだ。
 それからも母岩に通うのはやめなかったが、シャーペンの件が尾を引いて毎回新鮮に悔しかった。フェンスの網目につま先が入りにくくなり、卒業も近づいた頃、石材置き場に行くと母岩が消えていた。しばらく立ち尽くしていたが、いくら眺めても同じことだった。母岩のあった場所には黒っぽい土が広がっているばかりで、周囲に生えていた雑草が、不在をふちどるように揺れていた。
 「あの岩売れていったよ」うしろから声がして、振り向くとおばさんが立っていた。こんなに距離を詰められるまで気づかないなんて、自分でショックだった。叱られた小学生の頃以来、はじめてペイズリーおばさんを正面から見た。やっぱり首に赤いペイズリーのスカーフを巻いていた。だまっていると、あんたもうすぐ卒業やろ、高校はと聞かれた。就職します、と正直に話すとおばさんはうなずき、これ返すわと言ってミッキーマウスのシャーペンを渡してきた。もうここには来んとき、と言うので、素直にうなずいた。あの岩は砕石工場でこなごなに砕かれて、神社などにしく玉砂利になるらしい。どこの神社かも教えてもらった気もするが思い出せない。神社の名前というものは、どういうわけかとても覚えにくい。

(了)

初出:2020/10/07 犬と街灯とラジオ#22 21:15~


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