見出し画像

ちちぢち (第3回阿波しらさぎ文学賞 一次通過作品)

 ひと目見てばけものと叫びそうになったが、職場で受けたハラスメント防止研修を思い出してなんとか踏みとどまった。われながら大したものだ。「三郎のせがれか?」ぎょろりと上目遣いでこちらを認めるなり言いあてると、ほうきを持ったままニューバランスの底をべたらべたらべたらと鳴らし、一本足で庭を跳ねていく。そのうしろ姿を見ながら、右の靴はどこへやったのだろう、捨てるのならもったいないことだとどうでもいい疑問が浮かんだ。人間、心配ごとを目前にしていると、想定外の事態にうまく驚けないらしい。
 「三郎、せがれじゃ」子どものような、老人のような呼びかけとともに玄関の扉が開く。その向こうの人影が目に入って、吸った息が胸の中で重いかたまりに変わった。「ありゃあ、三郎、冷えるんかえ」かたわらにあった小さなリモコンをつかみ、奥のエアコンに向けて手早く操作すると、「おもて掃いてくるけんごゆっくり」という声を残して、また足音がべたらべたらと遠ざかっていった。ほっとしたような心細いような気分で靴を脱いだ。住んでいた頃は意識すらしていなかったこの家独特の匂いも、靴箱に敷かれたレース模様のビニールマットも、そこに並ぶ細々とした民芸品も家を出た日とまったく同じ、けれど居間に居座る真新しい介護用ベッドだけがちぐはぐだった。
 父はベッドの背を立て、何をするでもなく座っていた。音量を絞ったテレビだけがついていた。ご無沙汰してます。声をかけても返事はない。あの、ごめんな、来るん遅なって。いつかは来なってずっと思ってたんやけど、仕事がな。「誰じゃお前は。今さらに何しにきた」ぎゅっと胃がちぢむのをこらえて、ははは、と笑った。ははは、まあそう言わんで。親子の再会やん。父の表情に変化はなかった。とくに顔の左半分には。ふたりでじっと黙り込んだ。口下手なところだけは父に似た。
 左片麻痺いうんよ、と伯母は電話口で言った。父が脳梗塞で倒れたと知らせをくれたのは三ヶ月ほど前のことだ。命はとりとめたが、左半身に麻痺が残った。母はとっくの昔に亡くなって、ひとりで暮らしていた父は、身体の自由がきかなくなっても家を離れようとしなかった。親類がかわるがわる世話をしながら、説き伏せようとしたが無駄だった。それでとうとうこちらへ話がまわってきたのだ。二十五年も前に家を出たきり戻らない息子よりは近所の人間の方がよほどましと思われたが、伯母の考えは違うようだった。なんぼいうても親子よ、と電話越しでも伝わるため息混じりの声から、乱暴者で頑固者の弟を持て余していることがありありと感じられ、気持ちがわかるぶん余計に断れなかった。
 さっさっ、と庭の方からほうきの音が聞こえる。「あの……あれ、山父とちゃうんか」沈黙に耐えかねて、仕方なくさっきの一本足を話題に出した。父はこのあたりの妖怪や怪異の話をよく知っていて、昔は機嫌よく酔っぱらった時にうまくせがめば、子泣き爺やエンコや天狗について、そして山父について、訥々と語ってくれたものだった。まだ店の調子がよかった頃だ。父は小さく鼻を鳴らし、「あれはヤマダさんじゃ、訪問介護のひと。察しもええで助かっとる」と言った。いやでも、と反駁しようとすると、「つべくそ言うな!」と大きな声でさえぎられた。体がこわばる。目の前にいる父は、もはや背はちぢみ筋肉は落ち、とりわけ左の肩はしぼんだように傾いているのに、怒声は胸を貫くようだった。皺にかこまれた右目だけが粘っこく光っていた。今にも立ちあがって棚の物をなぎ倒し、ベッドをひっくり返すのではないかと思えてならなかった。悟られないように深呼吸をした。「なあ、明石に来るつもりないか。真希は協力するて言うてくれてる。施設も今探しとるから」「もう去ね」そう言ったきり、父はどんな言葉をかけても返事をしてくれなかった。また来るわ、と告げて家を出た。
 「ははあ、あいつ山父ではないのかと思うとるなあ」<訪問介護のヤマダさん>と顔をあわせないよう、庭をつっきろうとしたが、うしろから声がしてぎくりと足が止まった。父から聞いた山父の話はいくつかあったが、ある話でそれは一つ目一本足、人が思い浮かべたことを次々に悟って言い当ててしまう妖怪だった。やはり山父なのか。
 門までの道をさえぎるように、うつむいた視界にニューバランスのつま先が侵入してくる。「頭の中を読まれたぞ、してみればやはり山父だ、と思うとるなあ。ああまた読まれてもうた、ほなけんど昔話のように桶や焚き火がないけん、よお退治せんと思うとるなあ」性別や年齢を読み取らせない奇妙な声でぐふっと笑う。声の位置から、背丈はそれほど高くないと思われた。目をつぶるのもおそろしく、何も考えるな、とただ念じた。「突き飛ばせば逃げられるかと思うとるなあ、もう何も思うまいと思うとるなあ……ああ、こんなところ来るんでなかった、こないおかしな目におうて、そうじゃ、ぜんぶ親父のせいじゃ……」勘弁してくれ、と懇願したが声にならない。「伯母さんの義理さえ果たせりゃよかったものを、くそ親父、なんでそのまま死なんかった……」「嘘じゃ!」出し抜けに腹から声が出て、勢いで正面を見据えた。山父は小さかった。小柄な女性ほどの背だった。しかし大声を出した途端、大きさはそのままにずしん、と存在感が増したように感じてたじろいだ。「お前、おもっしょいのー」歯をむき出しにして笑う口の上でぐりぐりと光を放つ一つ目のすぐ左に、粟粒ほどの小さな目がもうひとつあることに気づいて、ぞっとした。「また来いだ」山父はびょんと門を跳ね超えると、山の中へ消えていった。
 明石の家に帰ってから、あれはなんだったのだろうと考えた。たしかに体験したはずなのだが、どこか幻のようでもあって、妻にも話せなかった。ただ和解には時間がかかりそうだということだけを伝え、父のかたくなな態度について愚痴を言っているうちに、やはり現実のことではなかったのではないかと思えてきた。途中淡路のサービスエリアで休憩がてらうとうとしたから、その時に夢を見たのかもしれない。それで、またひと月ほど経って、父に会いにいくことにした。
 梅雨明けはまだ先だと聞いていたがその日は晴れだった。不思議と気分がよく、運転席の窓を開けると、吉野川の上を走る涼しい風がこちらにも分け前をくれた。家には父ひとりだった。ヤマダさんは、と尋ねるとなんのことかわからないというように首を振った。それではやはり夢だったのだと安堵した。
 父の表情は先日よりずっと穏やかだ。調子は、とか、なにか食べたいもんある、と質問すると、ぶっきらぼうながらも答えが返ってきた。なんでそないに家がええねん、と訊くと、しばらく考えてから「川から離れとうない」と言った。
 はっとして、ベッドの脇に目をやった。埃をかぶったロッドスタンドに釣り竿が何本も並んでいる。そうだった。いつも不機嫌で友人も少なく、何が楽しくて生きているのかわからないような父だったが、鮎の友釣りに関してだけは別で、腕前も大したものだった。毎年解禁されると、日を見つけてはひとりで吉野川沿いを巡っていた。なかでも気に入っていたのが、大歩危や小歩危のポイントだ。小さいうちはいくら頼んでも連れていってもらえなかったから、初めて一緒に出かけた時は、仲間に入れてもらったようで得意だったことをよく覚えている。到着して間もなく一匹釣った父に「でっかい!」と拍手すると、「この川はもっとすごいぞ、こんなんおとりや」と苦笑した。渓谷にぶつかる吉野川の水流は激しく冷たく、すぐにめげてしまったのだが、父は何時間も川に腰までつかって竿を操っていた。青空の下で白い波を立てる急流と、荒々しく削られた岩肌と、どこまでも澄んでいるのに青や緑にかすんでいく淀み、川の匂いと濃い草の匂い、その真ん中に父がいた。父は見事な尺鮎を何匹も釣りあげ、母が塩焼きにして夕食に出してくれた。いつもは一番大きな鮎を決してゆずらない父が、その日は「ほら食え」と皿によこした。子どもの舌にはどうも合わなかった鮎独特の苔の香りを、こんなに素晴らしいものはないと初めて思ったのは、あの時だ。
 散歩に行かないかと提案すると、父は拍子抜けするほど素直にうなずいた。図体の大きな老人を車椅子に移すのは素人には大仕事だったがなんとかやり遂げ、帽子をかぶせてやると笑いさえこぼれた。久々に外に出たらしい父は、七月の空気を吸って右目をすがめ、ああ、と気持ちよさそうに息をついた。ああ、もういっぺんでええから、吉野川で鮎釣りがしたかった。
 「ああ重たいなあ疲れたなあ、帰りも運転か、はよ帰りたいなあ!」耳元で甲高い声がして、振りむくと山父が立っていた。ニューバランスの踵を踏んでいて、どうも少し背が高くなったような気がする。距離をとろうとしたがハンドルが重く、慣れない所作に手首が痛んだ。山父はのろのろと走る車椅子のうしろをのんびりと跳ねながらついてきて、べらべらとしゃべり続けた。「疲れたならはよ去ね。今さらのこのこ来てなんじゃおれを捨ててからに、捨ててへん、殴られるけん出ていくしかなかった。お前らのため思うておれが、おふくろのこともいじめた、ちがう、誰に食わしてもろうたんじゃ、おとろしいて止められへんかった、おれ、おとろしいて。こき使われて。どんだけ働いて。親父が殺したようなもんや、何抜かす!」
 熱中症にかかったように耳がきいんと鳴り、頭がくらくらした。父はどうしているのかと顔をうかがうと、ぼうっとした様子でどこか遠くを見ていた。そうか、この手があったのかとふいに腑に落ちた。聞こえないふりをすればいいのだ。童謡にもあるではないか。おばけなんてないさ、おばけなんて嘘さ……。山父にはかまわずに、遠くを指さし、ほら、あそこに照っとるのが吉野川やろ、と父にだけ問いかけた。父は少々大げさな身振りで、おおそうじゃ、吉野川吉野川と答え、手で膝を叩いて見せた。なあお父さん、ちゃんとした施設でリハビリしたら、鮎釣りは無理でも、一緒に釣り堀くらい行けるかもせんよ。うん、お前の言うとおりじゃ。「おれはなんも聞いてない、おれはなんも聞こえてない。山父なんかおらん、山父なんか嘘じゃ。おれは聞いてへん。おれは聞こえへん。おらん。嘘じゃ。おらん。おらんおらんおらんおらんっ」ぶつぶつ言う背後の声はどんどん小さくなるようだったが、目の端にちらつく山父の腕や肩の肉がだんだんに盛り上がり、背丈も伸びていくようなのが気にかかった。最後に山父が、もうじきじゃ、とつぶやくと、気配はぱったり途絶えた。
 車椅子からベッドに戻っても、父は何も言わなかったので、そのままなかったことになった。また来るから、とあいさつをし、父もまた来いだ、と言った。こんなに簡単なことだったかと思うと帰りの車内で笑いが漏れた。
 二週間後にまた父を訪れた。今日こそは明石へ越してくるよう、説得できる気がした。市内の介護付き有料老人ホームを複数調べて、妻にも了解をとっていた。行きしなにある鮮魚店で大ぶりの鮎を買った。釣り人のプライドが傷つくかもしれないとちらりと思ったが、きっとそれ以上に喜んでくれるだろう。車に戻ろうとした時、道の脇から山父が現れた。「ああ、おとろしい。おとろしい。おとろしい。こわい。こわい。おとろしい」「おい、もうお前なんかこわないぞ」初めて出くわした時は子どものようだった山父の背はとうに目の高さを超え、見上げる格好になったが、臆さずにらみつけた。肌だけが赤ん坊のようにつやつやしているのが不気味だった。山父は反応があって嬉しいのか、目をぱちくりさせた。「よう似た親子じゃ。嘘ばっかりつっきょる」げらげらげらっ、と笑って、一本足で藪の中へ飛びこんでいった。
 玄関の扉を開くと、ドアノブがやけに軽く、そのせいか胸騒ぎがした。ベッドは空だった。トイレにも風呂にも他の部屋にもひと気はなかった。鮎の袋を提げたまま庭に降りて、でたらめに歩きまわって、お父さん、と叫んだ。山父でてこい、とも叫んだ。くり返し叫ぶうちに、どちらを探しているのだかわからなくなった。居間に戻ると、釣り竿のスタンドから鮎釣りの竿が一本消えていることに気がついた。川に指をつけたように手が白く冷たくなった。近くの川原を探しまわり、通りすがりの人にも尋ねたが手がかりはなかった。鮎の袋はいつの間にか落としていた。
 日も落ちかけた頃、岩場の間に溜まった砂地の上にスニーカーの足跡を見つけた。けれどもそれは左右交互に続いていたし、どちらの足跡もしっかりと踏みしめられているのだから、父であるはずはなかった。

(了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?