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すくりぷと

 かちゃり、と子機のあがる音がしたので、相手の応答を待たずインターホンに名前を名乗った。すぐに焦げ茶色のドアが開き、少し日焼けしたオモテさんが出てくる。「お邪魔します」「お疲れさまですー、暑かったでしょう」オモテさんはテーブルにコップを置く。コココ、と音がして、コップが冷たい麦茶で満たされる。「髪切った? すごい似合う」「あ、うんうん、けっこう前に。前回のすぐあとかな。いやあひと月って早いなあ」腕を伸ばしてあらわになったうなじを撫であげると、オモテさんはうひっ、とへんな声を上げて肩をすくめた。「あかんすよそういうの。お茶飲んだら始めましょか」
 わたしたちはテーブルを立って隣の部屋に行く。エアコンが利きすぎて肌寒いくらいだが、これは最中にはつけられないのであらかじめ冷やしておいてくれているのだった。部屋の壁も床もグレーのフェルトでできた防音パネルに覆われているから、なんだかひとまわり狭く感じて息が詰まる。椅子に座ると、A4の紙が渡された。オモテさんがもろもろのセッティングをしている間、わたしは紙に書かれた内容を口の中でぶつぶつと唱える。目の前に三本の指が突き出され、二本になり、一本になる。ひと呼吸おいて、カバーのついたマイクに向かって話しはじめる。

 ウィークリージョイナス! みなさん、今日もご来店ありがとうございます! いやあ、今年の夏はひょっとして永遠に終わらないんじゃないの? なんて思っていましたが、ようやく朝と晩には秋らしさを感じる季節になりましたね。秋の味覚といえば、さんまに栗、さつまいもなどいろいろありますが……わたしはやっぱり、きのこが楽しみです。しいたけ、しめじ、舞茸、ひらたけ、なめこ、エリンギ、えのきだけ。そして忘れてはいけないのがきのこの王様、松茸! あれ? 今、「きのこって、季節は関係ないんじゃない?」と思いませんでしたか? たしかにきのこは一年を通して安定的に手に入る、とっても便利な食材。ですがジョイナスでは、地域の生産者さんと契約し、原木シイタケや、天然ぶなしめじなど、この季節ならではのおいしいきのこをみなさまにお届けしているんです。朝採りのしいたけを網やグリルで焼いて、笠にふつふつっと露が出てきたところにちょっとおしょうゆを垂らせば、それだけでもうごちそう。はー、なんだかお腹が空いてきちゃいましたね(笑)。そうそう、きのこって、干すとさらにおいしくなること、ご存知でしたか?  お日様に当てて乾燥させることでうまみ成分であるグルタミン酸が十倍以上に増えるのだそう。さらにカルシウムの吸収を助けるビタミンDも三十倍以上に増えて、味も栄養もいいことずくめなんです。安いうちにきのこをまとめ買いして、よく晴れた日に干しきのこを作ってみてはいかがでしょうか。

 すべて終わると、シャワーを借りて汗を流してから、ふたりでマンションの下の喫茶店に入るのが常だった。「いやあ、今月もスクリプトのアイディアもらっちゃってすみません。おごりますよ」とオモテさんは言う。うなずいて、じゃあレモンスカッシュ、と答えるが、オモテさんがすべてのスクリプトを書いていた出会いたての頃から毎回おごってくれていることをわたしは覚えている。オモテさんとは知人の紹介で知り合った。わたしは素人だし、下請けの下請けだと聞いてギャラはそれほど期待していなかったが、地元ではそこそこ有名なスーパーの仕事だったので引き受けた。実際には下請けの下請けの、さらに下請けだと後で知り、スタジオがマンションの一室であることにも納得した。わたしはつまり下請けの下請けの下請けの外注という立場だ。「干しきのこなんてよう知ってるなあ、こんな仕事してるくせして正直全然料理しないんすよね」オモテさんは電子タバコからすぐ消える煙を吐き出し、この暑いのにブラックコーヒーを飲んでいる。そうだ、彼女はなんでもコンビニで済ませてしまうタイプで、食事もイヤホンも生理用品も全部マンションの向かいのファミマで買っている。「やっぱおうちでもやってんの? 干しきのこ」「いやあ、気が向いたときにね。普段は適当適当」「ええなあ、お母さんって感じ」適当適当っ、とオモテさんは声真似をして見せる。

 うちに帰るとすっかり日が暮れている。ひと月分を一度に録ったりなんだりしていると、意外と遅くなる。「ママ、おかえりー」と娘が走ってくる。ゲームをしていた息子が一時停止を押して、「おかえり、今日焼き肉やって」と嬉しくてたまらないように言う。「え、焼き肉?」「パパが買い物してきた」二階に上がると、夫がホットプレートを準備している。「おかえり、お疲れ」「えらいごちそうやねえ、月末やのに」「まあたまには、仕事で疲れたママを労おうと思って」と言いながら夫は長方形のバットに、てらてらと赤とピンクがまだらに交じる牛肉を盛っていく。「なにそれー」とわたしは笑う。
 いただきます、と四人で手を合わせる。夫が手早く肉やピーマンやしいたけを熱々になったホットプレートに乗せると、じゅうじゅうと煙が立って、オモテさんの電子タバコを思い出した。オモテさんの煙はこんなに獣臭くなかった。ねばついていなかった。掴んだら消えてしまうような煙だった。「ママお肉とって」と肉から遠い娘が言うので、一番大きい肉を取ってやる。「あ、それおれのやのに!」と息子が膝立ちになって椅子に乗りあげた。夫は「そんなこと言うなよ、ほら新しいの焼くから」とべろべろとした巨大なひときれをトングで掴む。「ほら、野菜も食べてるか? しいたけそろそろやで」「しいたけ、いや!」と娘が反発する。「ええ? 好き嫌い言わんと食べな」「いやっ。パパにあげる」「ええ……じゃあ、お兄ちゃん、ほら」息子があからさまに顔をしかめる。「おれも嫌い、しいたけ」「全員分と思って買ってきたんやで」このひとは、子どもたちの好き嫌いも把握していないのだろうか、と不思議に思う。十年近く暮らしていればわかりそうなものだ。「じゃあがんばってひと切れずつは食べなさい。ママ、残りはふたりで食べよう」と夫が助けを乞うような顔でこちらを見る。「いやや」とわたしは言う。「わたし、しいたけって大っ嫌い」

(了)

初出:2020/08/19 犬と街灯とラジオ#15 9:55~


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