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雷虫(Thunder Bug)

 わたしの背中の稲妻紋はかっこいい。村の子どもの中でもだいぶ、いやいちばんかっこええんちゃうかと思ってる。盆の窪をうねりながらまっすぐ飛び出してそのまま細く長く消えていくかと思いきや、肩甲骨の間で一気に炸裂して、夕方に飛ぶ蝙蝠の羽みたいに大きく広がる。稲妻紋の端っこは脇腹まで届くほど広がって、その中央をひときわ太い稲妻が、背骨に沿って腰まで続いてる。紋色は濃い群青で、端にいくほど翡翠みたいな緑が混ざる。こんなにかっこええ稲妻紋は大人を入れてもそうそう見られへん。わたしは紋に似た翡翠色のかんざしをつけていると得意な気持ちになる。
 幸吉に似とってや、とばあちゃんはよう言うた。幸吉はわたしのお父ちゃんや。お父ちゃんはろくでなしやった。酒ばっかり食ろうてわたしが生まれた日に川へ落ちて死んだ。お母ちゃんはそれに今でも怒ってて、お父ちゃんがどんな人やったか訊くと黙りこんでしまう。ひとりでえらい苦労したからしゃあないと思う。そやけどわたしの稲妻紋はお母ちゃんのごくごく細かい枯れすすきみたいな紋に似んと、お父ちゃんに似た。血が濃く出たんやねえ、とばあちゃんは言う。それもあるんやろうけどそれだけやないとわたしは踏んでる。たぶんわたしの雷虫はもともとお父ちゃんのやったんや。だってふつう雷虫は、赤ん坊が生まれて二歳か三歳になった頃、寝てる間に鼻の穴から入りこむ。それで三歳か四歳くらいになると、盆の窪からちいちゃい稲妻紋が伸びてくる。そやけどわたしは一歳になる前には紋が出てたらしい。さかのぼって考えるとその頃に村で死んだんはお父ちゃんひとりや。そやから川へ落ちて死んだ日、あるじののうなった雷虫が逃げ出して、赤ん坊のわたしに取り憑いたんやと思う。雷虫がどの赤ん坊に取り憑くかは偶然やから、これはめちゃめちゃ幸運なことや。わたしはお父ちゃんの顔は知らんけど頭の中にお父ちゃんの雷虫がおる。じいちゃんの看取りの時に見たような、水色の細長い体にきゅっと尻のあがった雷虫がふわふわの毛みたいな翅をふるわせてどこかでじいっとしているところを考えると、あったかい藁の中にもぐりこんだような心地になる。だから生まれてからさみしいと思ったことはいっぺんもない。悔しいのは自分で自分の稲妻紋が見られへんことや。姿見はあるけど、首が痛なるからあんまりちゃんとは見えへん。今はまだ小さいから無理やけど早う大きいなって婿がほしい。婿にわたしの背中を見してやったら、きっと恐れ多くてひれ伏すやろう。
 そやけど最近村の様子がへんになってきた。半年ほど前に知らんよそもんがふもとの宿から通ってくるようになって、学者やなんやいうて村の祭りや歌や文献や、そういうもんを調べては書き留めるようになった。それから少しして今度は別のもんを連れてやってきた。医者やという。医者は稲妻紋を言うに事欠いて風土病やと言うた。村のもんがみな五十かそこらで死んでまうのは雷虫の風土病のせいやて。ほんまはもっと長く八十や九十まで生きるらしい。年とっても手足が痺れたりせえへんし、目に光が刺さって見えんようになることもないらしい。村が新聞に載って記者とかいうのもようけ来るようになった。新聞にはわたしらのことかわいそうな村人て書いてあった。あいつら嫌いや。だああいっきらい。お母ちゃんはみんな病気を治そうと思てがんばってくれてるんやてかばうけど、ばあちゃんはあいつらのこと角と牙の生えた目えまっかっかあのマシラ天狗やてぼろくそ言うた。わたしはこの悪口があんまりおかしいて、のたうち回って笑った。ばあちゃんはもうだいぶ前から目え見えんようになって寝たきりやからほんまのことがよう見えるんや。
新聞を読んだ人らから村にお金が届くようになるとますます様子がおかしくなってきた。医者に協力するもんが出だして、ふもとに小さな研究小屋が建った。よそもんがうようよするようになった。稲妻紋を記者に写生させて小遣いをもらったもんもいるらしい。わたしも村一番の紋を持っとるからと友達にすすめられたけど、首くくった方がましやてつっぱねた。わたしの稲妻紋はわたしのもんや。いつか婿に見せたるためのもんや、誰が見せもんにするかい。みんな恥ずかしないんか。
 お触れが出た。某月某日、村の寄り合い所へ来るように。そこで医者がみんなに注射をするのやと言った。雷虫を体から追い出す注射や。ぜったい嫌や。お母ちゃんはかならず受けなさいとわたしを叱った。ばあちゃんは怒鳴って反対したけど、手足がしびれて動けへんからお母ちゃんを止められへんかった。柱に縛りつけられて、朝になったらお母ちゃんがわたしを寄り合い所へ連れてくことになった。そやけどわたしはえらかった。あきらめへんかったんやから。頭をなんべんも振ってかんざしを落として、それをひらって縄をほどいた。明け方、おかあちゃんが起きる前に裏口から逃げ出した。
 そのまま山に隠れとった。お腹減ってきたけど食べるもんないから、沢の水飲んでお腹ふくらした。どんだけ叱られるかと思ったけど、だれも迎えにこんかって、そのまま昼になった。注射の時間になった。木の上の鳥が相手を探してチールーキヨキヨ、チールーキヨキヨ、と鳴く声ばかりひゃっぺんも聞いた。さすがに心配になったから降りることにした。ほしたら向こうから、白っぽい霧がふわふわ浮かんでこっちへ近づいてきた。
 はじめはお山が怒った時に降る灰やろうかと思った。そうやなかった。青い風やった。短い毛みたいな翅を振りたてて、風に乗って渦を巻いてる。目に何匹も飛び込んできてまわりが見えへんようになった。地面にへたりこんで目をこすると、激しく痛んで痺れた。目んたまが破れて中から光がぼとぼとこぼれてるみたいや。かすれた視界に雷虫の汁で汚れた指が見えた。いっそこのまま目がつぶれればいいのにと願いながら、わたしは目をこすり続けた。

初出:2021/07/07 犬と街灯とラジオ 40:00~


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