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せみころん

 どっちかいうと好きではなかった。きらいというのでもないけど、苦手。笑うと目がなくなって口の形がハート型になるのも、いつ見てもきれいなポニーテールも、花房ってやたらきらきらした名字も。何より自分と違いすぎたのは、花房は英語が好きってことやった。わたしはべつにやった。受験の時、ESS部やと内申的に有利って聞いて入っただけ。部員の半分くらいはそんな感じやった。花房はふつうに遅刻もめっちゃするししょっちゅう休むし、内申点なんかどうでもいいみたいで、しかも自分の希望で翻訳班にいた。ESS部にはスピーチ班と翻訳班があって、スピーチ班は行事の時英語でスピーチしたり大会に出たりして花形やけど、実力が足りなかったり引っ込み思案やったりで落ちこぼれた子が翻訳班にやられた。わたしも翻訳班やった。おもな活動は洋楽の歌詞の翻訳。顧問のミスター岡田はスピーチ班にかかりきりやし、ぬるい空気の翻訳班は居心地がよかった。でも花房はそこにお小遣いをはたいて買ったという黄色い洋書を持ち込んで、ひとりでせこせこ翻訳してはわたしにその小説を聞かせてきた。
 あの日もそうだった。
 「彼女はその時、きゃら色のセーターに身を包んで立っていた。彼女は、まるで冷え切った冬の日に、ストーブの前に寝そべってバニラアイスクリームを少しずつ舐めさせてもらっている彼女の猫みたいに、満足そうにほほえんで言った。『ダーリン、あなたのあの絵葉書を破りさってしまったこと、あなたは許してくれるわよね?』」
 花房の声を聞いているうちにだいだいずるずる眠ってしまう。花房の翻訳ははっきりいって下手くそで、ひょっとしたら原文がつまらないのかもしれないけど、とにかく聞いているうちに何の話だかわからなくなる。花房がわたしの後頭部をぺちんと叩いた。
 「叩くなや」
 「だって佐藤の頭ええ音すんねんもん。丸くて」
 好きでショートカットにしてるわけじゃなくて、なんか髪長くしたらあかんような気がするから短くしてるだけやのに、花房はそれを気に入ってやたら頭を触ってくる。
 「きゃら色ってなんなん? ぜんぜんイメージできへんねやけど」
 「だってバーリーウッドじゃわからんもん。なんか、うすクリームっぽい、茶色みたいな色」
 「わからんわ」
 「きゃら色。かっこいいやん。ネットででてきてんもん」
 「午後ティー色じゃだめなん?」
 「それいい! それ採用」
 花房はノートに消しゴムをかけて、<ミルクティー色のセーター>に書き換えた。他の部員たちはぼんやり洋楽を聞いたり、べつにぜんぜん関係ない噂話をしていた。花房のことはずっとなんとなく無視していた。いつの頃からかそういう空気になっていた。花房と他の部員たちは、視線のやりとりはあるけど、それだけ。たぶん、今日はクラス合同の調理実習があったのに花房はずっと来なくて、ぜんぶ作り終わって食べる段になってから新しいケイトスペードのパスケースをこれ見よがしにぶらぶらさせながら、カバンを肩にかけてそのそ現れたので、みんななんとなく花房にむかついているんだと思う。こういうことが時々あって、わたしは花房を無視しないのでいつの間にか親友ポジということになっていた。
 「なあなあこれ時々あんねんけどどう翻訳したらええんかなあ?」と花房は私に黄色いペーパーバックを押しつけてきた。私より英語力あるくせに。
 指で示した先に黒丸としっぽ付きの黒丸が縦にならんでいた。
 「なにこれ。汗?」顔文字についている汗のマークを思い出しながら言った。
 「セミコロン。一応前の文とうしろの文につながりがある時使うらしいけど、こんなん日本語にないやん」
 「べつに分けたらええんちゃう?」
 「それやったら原文のつながってる感じがわからへんやん!」
 わたしはむっとした。「じゃあつなげたら」
 「つなげたいけどつなげたくないんやんか。もう、ぜんぜん真面目に聞いてくれへん! 平田きらい!」
 そこにミスター岡田が入ってきた。こわい顔をしていた。「花房、ちょっとこい」わたし達のところにくるのは、新入生を案内した時以来だった。
 「おい。翻訳班、みんな順番に話聞くから。帰らんように」残りのメンバーがさっと顔を見合わせた。ひとり、またひとりと呼ばれて人数が少なくなっていき、最後にわたしが職員室に呼ばれた。
 「翻訳班が、ずいぶん前から、英文和訳の宿題代行で、儲けてたそうやな」とミスター岡田は言った。「お前知ってたか? 花房が主導してたんや」
 「ぜんぜん知りませんでした」わたしは小さくなって言った。花房とみんなのよそよそしい空気を思い出した。ミスター岡田は小さくため息をついた。
 「信じるよ」とぽつんと言った。「翻訳班の子はみんなやってたけど、平田は真面目やからな」
 それで無罪放免になった。職員室を出ると花房が待っていた。わたしは黙ってにらみつけた。怒ってる、と花房は言った。まるで、汗のついた顔文字みたいに間抜けな顔をしていた。
 「ごめん。平田は巻き込みたくなかってんもん」わたしは黙ってずんずん歩き続けた。
 そのあと翻訳班は取り潰しになって、元いたメンバーは新しくできたスピーチ班の二軍、というものに収容された。好きでもないのにスピーチの練習をさせられる羽目になった。内申点のことは考えたくなかった。今でも顔文字なんかでセミコロンを見かけた時に、腹立たしいような笑いたいような、中途半端な気持ちになる;あいつの頭をはたいてやりたい。

(了)

初出:2020/09/09 犬と街灯とラジオ#18 16:55~


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