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目には見えない光

 クレーはいつも睨んでる。眉間にしわを寄せて首を傾げ、するどい視線をレンズ越しによこす。なんか文句ある? とでも言いたげに。
 出会った日もそうだ。入学して初めての昼休み、図書室から急いで教室に戻る途中、階段の踊り場で人にぶつかりそうになった。相手は壁を睨みつけてた。さっぱりと刈り上げた後頭部、いかった肩、スカートから伸びる骨っぽいひざ。振り向いた顔にブルーレンズのサングラスが乗っかっていて、不良だ、と身構えた。「あのさ」とその人は壁の案内表示を指さした。学年別のカラーで描かれた矢印がそれぞれの校舎の方向を示している。虹色のスポンジケーキみたいだ。「一年の棟ってどれ?」ふてくされた言い方。あっけにとられた。だって、手首に緑のリストバンドが巻きついてる。わたしと同じ高等部からの編入生だ。緑の矢印を見れば? と言いたい気持ちを抑えて案内を申し出るとその人は笑顔になった。笑顔っていうか、唇の端を吊り上げて歯をむき出しにする変な笑い方だ。馬の威嚇みたいな。お互い一年生だとわかると「クレーでいいよ」とのぞきこんできて、その拍子に目と目がじかに合ってどきりとした。縦長の虹彩。夜の民。蛇の目の一族。盗み見野郎ども。いつかどこかで拾った言葉を振り払い、自己紹介をすると、クレーはわたしが抱えた壁画の写真集を指で弾いて言った。
 「この壁画わたしも好き。アルマ、あんた絵は描くの?」

 蛇の目の友達は初めてだったけどすぐに慣れた。人類が真っ二つに分かれて鳥の目と蛇の目で争っていたのは何千年も前だ。それとも何百年だっけ。蛇の目はこの国では珍しい存在になっていた。クレーは素敵だった。背が高くて、黒の短髪に輝くメッシュが入っていて、いつも眉をしかめているのに出し抜けによく笑う。瞳ははしばみ色で日の下で見ると虹彩のふちに翡翠が散っていた。鼻の両脇に小さな穴がある。わたしと同じで古い絵が好き。絵を描くのも好き。
 クラスは違ったけどふたりとも美術部に入った。部員は最新の電子パレットと専用プリンターを自由に使える。アンドゥも加工も思いのままだ。部員仲もいい感じで、親睦会では絵しりとりをやった。「ガキかって」と毒づいたクレーが一番ノリノリだったし、一番上手だった。少なくともわたしはそう思った。口や顔には出さなかったけど。うるさくて口が悪くて気はよくて、デッサン中は無口になるクレーは、美術部にすぐ溶けこんだ。
 半年ほど経ってようやくほんとうなんだってわかった。つまりクレーが蛇の目で、学年の区別もろくにつかないし、毎日のように校内で迷子になるってこと。見分けられるのは紫と黄色ぐらいってこと。クレーが色で困ってる時に手助けするのがわたしのひそかな役割になった。
 クレーは動物を描くのが好きだった。猛獣、猛禽、海獣。下描きは生命力にあふれているのに、完成するとなぜか色あせて見えた。色の調和が崩れていたり、模様が欠けていたり。田舎町のコンビニに貼りっぱなしにされたポスターみたいだった。
 だけど例の能力には驚かされた。たとえばある日部長が部会に遅れてきた。元気がないように見えたけど、生理かなと思ってスルーした。するとクレーが片手を挙げた。「おせっかいだったらあれなんすけど」とクレーは言った。「部長、手がすごく冷たい。心配ごと? 早く帰った方がいいよ」部長は固まったあと、「ありがとう、そうする」と涙まじりの声で言った。今朝飼い猫が布巾を食べて獣医にかつぎこまれたんだとあとでわかった。
 恋愛がらみの偵察も得意だった。クレーに依頼すると対象の様子を探ってくれるのだ。引き受ける条件は口外しないこと、お菓子をおごること。おめでとう、あいつあんたと喋りながら心臓破裂しそうだったよ。絶対やめとけ、あいつたぶんヤクかなんかやってる。体温の分布から心身の状態を読めるらしい。クレーを気味悪がって何人かが部に来なくなった。「熱は心より正直なり」と本人は冗談まじりに笑った。
 「セキガイ線が見えるってどんな感じ?」とこのたびめでたく交際にこぎつけたピートが尋ねた。赤外線って言葉はけっこうセンシティブだ。可視光線は人それぞれなわけだから。「どうって言われても」とクレーは言った。「難しいな。温度を感じるんだよ」「サーモグラフィみたいに? 熱いものが赤く、冷たいものが青く見えるの?」「ここの穴、ピットって言うんだけど、ピットで見るっていうか、撫でる? ウサギを見たらふわふわしした気分になったり、針を見たらチクッと感じたりするじゃんか。そういう感じ」ピートはへえっと声をあげた。
 「そっちこそどう見えてんの。赤やら青やら、シガイ線やら」今度はクレーが尋ねた。「えっ。赤は赤だし……」ピートが言葉に詰まったのでつい口を出した。「知ってる? クレーの髪にもメッシュ入ってるんだよ。明るいとこに行くとシガイ線できらきら光る」「マジで? それって鳥の目の特徴だよね?」黒髪を触りだしたクレーの手を取って、ここだよと誘導した。「そういや黄昏戦争の頃、ご先祖さまに鳥の目がいたんだって。その名残かな」そう言ってクレーは見えないメッシュを指先でもてあそんだ。

 うちの部は公募によく出してたけど、クレーは賞をもらったことが一度もなかった。わたしでさえ一年生の終わりに審査員特別賞をもらったのに。問題ははっきりしていた。色だ。下描きまでは最高。そのあとが問題。
 二年生に上がる頃、クレーは学校生活があまりに不便なので色覚ガイド付きの高機能サングラスに買い替えた。ほんとうに色が見えるわけじゃないけど、見てる物が一般的に何色なのか記号で表示してくれる。ガイドを使って描けばって助言したけど、クレーはそれじゃ嘘っぱちだからって裸眼を貫いていた。「合作は?」とわたしは持ちかけた。「わたしデッサンいまいちだけど、色彩構成には自信があるよ」「知ってる」クレーはわたしを魔法の目でじっと見つめた。「ご提案どうも。だけどアルマの絵、わたしには茶色く塗りつぶしたみたいに見える。みんなの絵も」言い終わるとクレーはもうこちらを見なかった。強情っぱり! 色さえ整えればもっと評価されるはずなのに。世界はもっと色鮮やかなはずだ。自分のことじゃないのに悔しかった。

 図書室で見つけた時、これだと思った。いつもは立ち入らない科学雑誌コーナー。<色の生理学>特集号。見出しは「ナノ材料で可視光線の波長範囲を回復」。”○○大学病院は色覚障害治療を正式に開始した。網膜を経由してナノ材料を投与することで錐体細胞を変化させ、可視光線の範囲を調整できる。期間は10週程度だが……”。○○大学病院は遠いけど旅行なら無理ない距離だ。夏休みにバイトすれば費用は稼げる。クレーがいない日に部で話したら、みんな賛成してくれた。「クレーは才能があるんだよ。才能は生かさなきゃ」とピートが言い、部長が深くうなずいた。「カンパに協力してくれる人?」いっせいに手が挙がった。
 
 「なんの冗談?」部室に来た途端囲まれてクレーは面食らった。「わたしたちからクレーに贈りものがあるの」と部長が夏休みの計画について説明をはじめた。クレーは黙って聞いていた。この時に気づくべきだった。あのクレーが黙るなんて。説明が途切れると、クレーはレンズ越しにわたしたちを見回した。
 「わたしの絵がだめだって言いたいんだな」心臓がびくんと跳ねた。聞いたこともない声だったから。「鳥の目で見える色だけが正しいって、あんたたちそう言いたいんだ。よくわかったよ」「待って」わたしは部長とクレーの間に割って入った。「この計画、わたしが言い出したんだ」
 「そうだろうと思ったよ!」怒鳴られて身がすくんだ。「嘘っぱちは嫌なんでしょ? クレー」「あんたにだけは」とクレーは言いかけたが、やっぱいいや、とつぶやくと部長だけを見つめて言った。「今日休みます。当分休みます」

 クレーが部に来なくなった間、わたしはメッセージを送り続けた。ごめん、謝っても謝りきれないけど、許して。三日目に返事が来た。「腹割って話そうか」。怖、と思った。日時も指定された。真夜中、学校近くの公園。
 「思ってることぜんぶ言え。許すかどうかはそれから考える」なんて優しいんだろうと思った。こうしてチャンスをくれる。いや逆だ。クレーは感情を読めるはず。意地悪だ。でも、やるしかなかった。
「あんたの絵、嫌い」目を閉じて話しはじめた。「嫌いだよ。わたしよりずっと上手いくせに。同じもの見てるのに、ぜんぜん違うって突きつけてくる。大っ嫌い。同じ世界が見たかった。一緒にきれいだねって言いたかった。赤がどんなに赤くて、青がどんなに青くて、クレーのメッシュがどんなふうにきらめいてるか。鳥の目をあんたにあげられたら……違う。わたしが蛇の目ならよかった。そしたらクレー、あんたが今どんな気持ちかわかる」
 顔を上げると、クレーはぽかんと口を開けていた。「思ってたのとちょっと違った。でも、オーケイ、よかったよ」とクレーはわたしの肩をぽんぽん叩いた。それからちょっと自嘲ぎみに笑った。「蛇の目が少なくなったのってさ、戦争が終わったら内紛だらけになったからだよ」そして地面から小枝を二本拾い上げた。「絵しりとりしよ」
 黙って棒を受け取ると、クレーが砂の上に絵を描きはじめた。次にわたしが描いて、またクレーが描いた。「わたしたちにできる合作って、こんなのがせいぜいなわけ?」「今日のところはね」とクレーは言った。
 だらだら喋っているうちに夜が明けてきた。いつの間にかベンチのまわりは絵でいっぱいだ。ふたりで腰かけてそれを眺めていた。子どもみたいな絵。薄明かりの中でクレーのメッシュが強い光を放った。わたしはふと訊いた。「なんでわたしと友達になってくれたの?」クレーは頬杖をついたままこっちを見て、まぶしそうに眉をしかめた。まるで笑ってるみたいに。

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この作品はSFメディアのバゴプラが主催する第2回かぐやSFコンテストに投稿し、落選した作品です。2,000~4,000文字が上限でテーマは「未来の色彩」でした。

2021/08/11に配信した「犬と街灯とラジオ」(1:02:15~)では作品の朗読もしていますのでこちらもぜひ。

記事は投げ銭制にしています。以下はおまけの自作解説です。「未来の色彩」というテーマからどう作品を思いついたか、作品のもとになった体験などについて述べています。

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