八村 めぐみ(Megumi HACHIMURA)

易について書きたいと思います。

八村 めぐみ(Megumi HACHIMURA)

易について書きたいと思います。

最近の記事

  • 固定された記事

易とは ~変化すること~

「易(えき)」には様々な側面があります。易占という易の考えを用いた占いもあれば、易について書かれた書物『易経(えききょう)』は儒教の経書の一つ。易の考えは自然観や宇宙観を表したものであり、東洋医学や東洋哲学など古代中国発祥の様々な学問の根底に流れる思想の元になっている、ともいえます。 様々な側面があること、そして長い時の中でそれぞれに発展したり分岐したり(たとえば易占一つとっても「周易」「断易」「梅花心易」など複数の種類があり、それぞれ考え方や判断方法が違います)異なる分

    • 季節はめぐる(12.天地否)

      地天泰の次に出てくるのは、天地否(てんちひ)。 地天泰とは反対に、天が上に、地が下にあるのが天地否です。正しい配置のようですが、上へ向かって昇ろうとする天の気と、下へ向かって降りようとする地の気が交わらず、陰陽の気が乖離してしまい通じ合わない、閉塞の状態を表します。 会社でいえば、上の人の意向が下の人たちに共有されておらず、また現場の人たちの考えや感覚なども上の人に伝わっていない状態。上の人も下の人も自分たちの立場からしか、ものを見ていないような状態でしょうか。 意思がうま

      • 季節を生かす(11.地天泰)

        天沢履の次に出てくるのが、地天泰(ちてんたい)です。 地が上に、天が下に、配置された形。現実とあべこべのようですが、上へ向かって昇ろうとする天の気と下へ向かって降りてゆく地の気が交わり、陰陽の気が通じ合って物事が滞りなく交流する、泰平の時を表します。 会社でいえば、上層部の意思が現場の人によく共有され、現場の人が持っている感覚も上層部によく伝わっているような状態です。 内側を表す下三本が陽で、外側を表す上三本が陰という形は、人にたとえれば、内側には強い意思を持ちつつも

        • 変わらないもの

          ここ数年を考えても、社会情勢や人々の意識の変化を感じることがあります。また技術の発展や制度の変更が日常生活にも小さな変化をもたらすのを実感します。より長い単位の時間では人は世代交代していくわけで、もっともっと大きな変化が生じているのでしょう。 易は紀元前の昔から続いてきた考えです。社会制度も、人の意識も、生活そのものもまったく違う時代に生まれたもの。そんなふうに長く続いてきたものに触れる時、時代や環境が変化する中で「変わらないものとは何か」ということに目が向きます。

        • 固定された記事

        易とは ~変化すること~

          一歩を踏み出す(10.天沢履)

          風天小畜の次に出てくるのが、天沢履(てんたくり)。 履は、「履(ふ)む」こと、足を踏み出して物事を実際に行うことを指します。履行の履で実行すること。 風天小畜で少しの間止まっていたこと、留められている間に準備していたことや温めていた思いを実行に移すのが、天沢履。 それは未知の困難に踏み出すような挑戦でもあります。 『易経』の天沢履には次のような言葉がかけられています。 ここでの「虎」とは、立ちはだかる障害や危険やリスク。時には進むことを阻もうとする抵抗勢力や乗り越えな

          一歩を踏み出す(10.天沢履)

          風が吹く(9.風天小畜)

          水地比の次に出てくるのは、風天小畜(ふうてんしょうちく)です。 小畜とは「小さく畜(とど)める」という意味。少し停止すること、何かを少し蓄積することを表します。 五つの陽と一つの陰で構成されている風天小畜。陽は進もうとする力、陰は留めようとする力で、一つの陰が五つの陽を留めようとしている形です。弱い陰が強い陽を止めるのは容易ではないですし、数としても圧倒的に陽が強いので、留められる力は弱いもの。そのため「小さく畜める」という名前がついています。 『易経』の風天小畜の

          言葉ではなく

          易は六本の陰陽の組み合わせ、すなわち六十四通り(2の6乗)の陰陽の並びで表されます。 紀元前より前から続く易の考えですが、この六十四通りの陰陽の並びは昔から今日までずっと続いているもの。言葉は時代によって変わっていくものですが、この陰陽の組み合わせは変わらないというシンプルさが、いつの時代にも普遍的なものを表しているようにも感じます。 六本の陰陽で表される易という世界は、自然にたとえてもいいかもしれません。ある風景を見た時に見る人や見方によって違うものを感じ取ることもあれ

          人との交流(8.水地比)

          戦うことを表す地水師の次に出てくるのは、水地比(すいちひ)。水地比は、人と親しむという意味を持つ卦です。 地水師と水地比はどちらも多くの人が集まっている状況で、地水師が外敵に立ち向かって戦う姿勢なのに対し、水地比は内部の人間関係を構築するようにさまざまな人と交流することに焦点が当てられています。 それはたとえば受験戦争や就職戦線を終えて学校や組織に入った後に、新しく人と関係を築いていくようなものでしょうか。 水地比は、人と親しみ、交流したり助け合ったりすることを表します。

          人との交流(8.水地比)

          戦うこと(7.地水師)

          天水訟の次に出てくるのが、地水師(ちすいし)。天水訟は争いが起こりやすい状況ではあるものの勝てる可能性が低いため自分の主張を無理に押し通そうとしないことの大切さを示していたのに対し、地水師は「戦うこと」を意味します。 「師」という字は、師団などの言葉があるように「軍隊」の意味。中国の周の時代の軍制で2500人規模の軍隊を指します。 五つの陰の中、下から二番目に陽が一つ入っている地水師。五陰が群衆や一般兵、一陽がしっかりした指導者を表しており、優秀なリーダーの采配の下で戦う

          彩り豊かな世界 ~六十四卦~

          八卦(はっか)を二つ重ねてできたのが『易経』に書かれている六十四卦。 陰または陽の線が六本組み合わされただけのものに見えますが、さまざまな見方ができるのが六十四卦です。 ○ 自然や状況のイメージ ~八卦と八卦に分けて見る~ それぞれ自然の象が割り当てられている八卦。その八卦の組み合わせである六十四卦も自然の風景に重ねて見ることができます。 たとえば水天需(すいてんじゅ)なら、空の上に雲がある様子。 まだ恵みの雨は下に降りてきていないけれど、やがて降るだろう雨を「待ってい

          彩り豊かな世界 ~六十四卦~

          争わない(6.天水訟)

          時を待つことを表す水天需の次に出てくるのが、天水訟(てんすいしょう)。天水訟は、争いや対立を表します。 天と水で構成された、天水訟。天は高く上にあり、水は低く下へと流れる性質で、それぞれ交わることがありません。自分が絶対に正しいと思うことでも、相手には相手の正義があって、お互い平行線となるような状態です。 生まれ出る水雷屯(すいらいちゅん)、幼く無知な山水蒙(さんすいもう)、成長を待つ水天需(すいてんじゅ)と人の育つ過程になぞらえるなら、天水訟は反抗期のような段階でしょ

          機を待つ(5.水天需)

          幼く無知な状態を表す山水蒙(さんすいもう)の次に並ぶのは、水天需(すいてんじゅ)。水天需は「待つ」ことを表します。 「待つ」という意味のほか「養う」という意味も持つ、水天需。幼い子どもが成長するには食事や身の回りの世話や教育などの他、必ず時間がかかります。作物が実をつけるにも人が技術を身につけるにも、必要になるのが時間であり「待つ」こと。成したいことが大きいほど時間がかかり、待つことが必要になるもの。時を待つことの大切さを説くのが水天需です。 水天需は、どこかに向かおう

          自然を眺めるように ~八卦~

          「あたるも八卦(はっけ)、あたらぬも八卦」という慣用句を聞いたことはあるでしょうか。 ここでの「八卦」とは易占いのこと。占いはあたることもあるけれど、あたらないこともある、という意味の言葉です。この慣用句のできた昔は、占いと言えば易占いだったのでしょう。 八卦(「はっか」または「はっけ」と読みます)とは、陰または陽を三つ組み合わせたもの。二種類の組み合わせが三つで(2の3乗)八通りあり、八卦と呼びます。 一本の棒線が陽、中で切れている破線が陰。一番左側は陽陽陽の組み

          自然を眺めるように ~八卦~

          学ぶこと(4.山水蒙)

          生みの苦しみを表す水雷屯(すいらいちゅん)の次に出てくるのは、無知な状態を表す山水蒙(さんすいもう)。 水雷屯が新しく生まれ出た時とすると、山水蒙は経験が少なく物を知らない幼子の状態。人の成長に重なるような並びです。誰でも最初は何も分からない状態から色々なことを学んでいくものですが、山水蒙は学ぶことや教育がテーマ。水雷屯で何かを始めようとして困難にぶつかり、そこから次の山水蒙で自分の無知や不足を知り学んでいく流れ、と捉えることもできそうです。 『易経』の山水蒙には次のよ

          生みの苦しみ(3.水雷屯)

          陽だけでできた乾為天(けんいてん)と陰だけでできた坤為地(こんいち)の次に置かれているのが、初めて陰陽が交じり合ってできた水雷屯(すいらいちゅん)です。 「屯」は、草が地面から芽を出す様子を表した字。新たな環境でぶつかる試練や何かを生み出す際の苦しみを表します。物事をスタートさせるフレッシュで活動的な気に満ちているものの、新しいことに挑戦するからこそ生じる困難にも焦点があてられています。 水雷屯では、陰と陽が初めて交じり合います。それぞれ違う性質を持つ陰と陽。同類の集ま

          生みの苦しみ(3.水雷屯)

          陰と陽とは ~二つに分けて考える~

          易は陰と陽の組み合わせでできていますが、陰と陽という考え方は、物事を二つに分けて考える視点を与えてくれます。たとえば 前/後、表/裏、明/暗、善/悪、有/無、動/静 etc. 右を意識すると左も同時に生じ、上を作れば同時に下も生じます。一枚の紙で表を決めれば裏も同時に決まるのと同様に、陰と陽は同時に生じるものであり、対(つい)になっているものです。つまり陰陽で物事を考えるということは、対(つい)の視点を持つこと、といえるかもしれません。 一つの物事について光と影をそれ

          陰と陽とは ~二つに分けて考える~