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言葉ではなく

易は六本の陰陽の組み合わせ、すなわち六十四通り(2の6乗)の陰陽の並びで表されます。
紀元前より前から続く易の考えですが、この六十四通りの陰陽の並びは昔から今日までずっと続いているもの。言葉は時代によって変わっていくものですが、この陰陽の組み合わせは変わらないというシンプルさが、いつの時代にも普遍的なものを表しているようにも感じます。
 
六本の陰陽で表される易という世界は、自然にたとえてもいいかもしれません。ある風景を見た時に見る人や見方によって違うものを感じ取ることもあれば、同じものでも状況によって違って見えてくることもあるもの。状況に合わせて、さまざまに活用していける余白を多分に含んでいるもの。
 
「音楽とは、言葉で説明できないものを表現すること」と読んだことがあります。それは絵画や舞踊など他の芸術にも共通することでしょう。言葉で説明しきれないものを表現者が表現し、聴いたり見たりする側が直接感じるもの。自然の風景や色合い、香りや味や流れる空気なども、言葉で表そうとしてもすべてを掬い上げることはできません。
言葉にすれば輪郭がはっきりするけれど、微かなゆらぎのようなものがこぼれ落ちてしまうこともあれば、どうしても主観が入るものです。そしてその主観には、その人自身だけではなく、時代や環境、社会、立場、あたり前に持っている考え方などが影響を与えるものだろうと思います。
 
易の六十四卦を考える時、そのままの陰陽を見るようにできたらいいなと思います。この卦はこうと固定的に決めつけるのではなく。できるだけ新鮮な思いで。
そうして陰陽を見るとき、物事を見る新しい視点を得られるのではないかと思います。

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