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争わない(6.天水訟)

時を待つことを表す水天需の次に出てくるのが、天水訟(てんすいしょう)。天水訟は、争いや対立を表します。

天水訟

天と水で構成された、天水訟。天は高く上にあり、水は低く下へと流れる性質で、それぞれ交わることがありません。自分が絶対に正しいと思うことでも、相手には相手の正義があって、お互い平行線となるような状態です。
 
生まれ出る水雷屯(すいらいちゅん)、幼く無知な山水蒙(さんすいもう)、成長を待つ水天需(すいてんじゅ)と人の育つ過程になぞらえるなら、天水訟は反抗期のような段階でしょうか。自分の思いと現実が違う方向を向いていて葛藤する状況、または社会の理不尽に直面して反発したくなるような時、などにたとえてもいいかもしれません。
争いを表す天水訟ですが、相手は自分より強く、真正面からぶつかっても大抵勝てない状況であることも同時に表しています。正しいと思うことでも自分の考えを押し通そうとしてはいけない時です。
 
『易経』の天水訟には、次のような意味の言葉があります。

内に信実があっても、通らない。
過ちに気をつけて、中すれば、吉。
最後まで人と争えば、凶。

(孚有り、窒がる。惕れ、中すれば、吉。終えれば、凶。)

自分なりの正義があるからこそ、不条理と思うことや、おかしいと主張したくなることが生じるものなのかもしれません。しかしさまざまな状況下では、自分の信じることが通らないこともあります。
自分の思うことが絶対的ではないかもしれないと振り返る視点を持ち、行き過ぎないよう気をつけること。白黒はっきりつけることに拘泥せず、周囲と調和するあり方を選ぶ必要がある、ということを表す言葉です。
 
「中すれば、吉」とありますが、この「中(ちゅう)する」ということを易ではとても重視します。
易でいう「中する」とは、一方に偏らず中庸であることの他、その時にふさわしいこと、状況に調和すること、というニュアンスを持ち、易全体を通して大切とされるあり方です。
 
時代によって、または状況によって、正しさは変わることがあります。完全な理想形ではないけれど、総合的に見て現状ではこれが一番いいバランスということもあるでしょう。制度などでも、すべての人が完全に満足という形は難しく、こちらの問題を解決しようとすると、別の部分に新たな問題が生じたりして、調整しながらより良い形を模索することも多いもの。絶対的な正しさではなく、その時にふさわしいことや調和を重視するのは、変化を前提とする易らしさでもあるように思います。
 
間違っていると感じることはすっきり正したくなるけれど、とことんまで突きつめないで、時に妥協すること。一面からだけでなく他の面からも問題を検討し、急いで結論を出そうとしたり、今すぐに解決しようとしないこと。視野を広く、視点は長く。何かを強く主張したくなったり、争いたくなった時に思い出したい卦です。

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