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陰と陽とは ~二つに分けて考える~

易は陰と陽の組み合わせでできていますが、陰と陽という考え方は、物事を二つに分けて考える視点を与えてくれます。たとえば
前/後、表/裏、明/暗、善/悪、有/無、動/静 etc.
 
右を意識すると左も同時に生じ、上を作れば同時に下も生じます。一枚の紙で表を決めれば裏も同時に決まるのと同様に、陰と陽は同時に生じるものであり、対(つい)になっているものです。つまり陰陽で物事を考えるということは、対(つい)の視点を持つこと、といえるかもしれません。
 
一つの物事について光と影をそれぞれ意識して考えてみることで、いい面または悪い面だけに捕らわれることなく、両方の視点から物事を捉えることにつながります。それは、一面的な見方に閉じ込められることなく、反対の方向からも考えるという視点を持つということでしょう。
 
また、漠然と物事を見るのではなく、二つに分けて捉えることを教えてくれる考え方でもあります。たとえば何か問題がある時、外的な要因と内的な要因に分けて整理したり、変えられる部分と変えられない部分に分けて考えたり、メリットとデメリットを書き出したりすること。そうすることで、雑然と入り組んでいる物事や問題の輪郭が浮かび上がってきます。
 
物事を対称的に捉え、一つの事象を二つに分けて捉える考え方。それを概念に落とし込んだのが、陰陽です。ただ陰陽という考え方の深みは、それだけではありません。
 
陰と陽とは「対立しながら、引き合う関係」といわれます。対立する概念ですが、反発したり争ったりするのではなく、お互いに関係し補い合っている関係です。電極のプラスとマイナスが異なる性質を持つからこそ引き合うように。
それはたとえば、陰を排除しなければならないものとは捉えないということ。また陽だけを重視したり陰を軽視したりしないこと。善悪や正不正でばっさり切り捨てるのではなく、物事の全体を捉えようとする陰陽のスタンスは、調和を重視する東洋的な考え方ともいわれます。
 
そして陰も陽も「極まれば、変ずる」という性質を持っている、とされます。陽が旺盛になり頂点に達すると陰が生じ、また陰が力を増し極点に達すると同時に陽が生じるもの。満月の後に欠けてゆき新月の後にまた満ちていく月の満ち欠けのように、または太陽が地平線から昇り中天にかかってやがて沈んでいくことや、潮の満ち干と同じように。自然と同じく、絶えず変化し循環を繰り返しているとされるのが陰陽です。
 
陰と陽は概念ですので、一つの対象について、陰なのか陽なのか必ずしも固定的に決められるものではありません。たとえば大人と子どもなら、生命力と未来への可能性に溢れているという面から見れば、子供が陽で大人は陰。しかし権力や決定権を持っているか否かという面から見れば、子供は陰で大人は陽と考えます。
 
陰陽は変化循環し続けるもので、どこに焦点を当てるかによって陰陽も入れ替わる。揺らいでいるような、有機的に変化し続けているような、そんなところが捉えがたいところでもあり、またおもしろいところでもあります。
 
そんな陰陽が易の基本。陰陽が重ねられ、より厚みがある世界を展開しているのが易です。陰陽の組み合わせで物事を捉えようとするのが易のおもしろさの一つですが、それはやっぱり有機的に関連し合って変化していく、陰陽という考え方そのものの魅力が大きいように感じます。

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