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生みの苦しみ(3.水雷屯)

陽だけでできた乾為天(けんいてん)と陰だけでできた坤為地(こんいち)の次に置かれているのが、初めて陰陽が交じり合ってできた水雷屯(すいらいちゅん)です。
 
「屯」は、草が地面から芽を出す様子を表した字。新たな環境でぶつかる試練や何かを生み出す際の苦しみを表します。物事をスタートさせるフレッシュで活動的な気に満ちているものの、新しいことに挑戦するからこそ生じる困難にも焦点があてられています。

(水雷屯)

水雷屯では、陰と陽が初めて交じり合います。それぞれ違う性質を持つ陰と陽。同類の集まりの中に異質なものが入ってくると、不快に感じたり、衝突したり、初めはうまくいかなかったりするもの。しかし同じような環境で同じような人とだけ付き合い続けていても新しいものは生まれません。異質な存在と交流するからこそ、新しいものが生まれる、ということを示しているのが水雷屯です。
 
そうして初めて陰陽が混じり合う水雷屯から、陰と陽が織りなす物語が本格的に生き生きと動き出していく。陽だけでできた乾為天と陰だけでできた坤為地に続いて、三番目に出てくる水雷屯という『易経』の並びからそんな印象を持ちます。新しい芽吹きや新たな始まりの空気に満ちた水雷屯。しかし行動するからこそぶつかる困難に焦点があてられているので、物語だとしたら、船出直後に嵐に遭うとか、スタート早々問題に直面しているような始まりでしょうか。そこから話が進んでいくように、迷うこともスムーズにいかないことも間違うこともあるけれど、行動によって一つ一つ解決していける生命力を秘めているような始まりです。
 
水雷屯はよく「生みの苦しみ」と表現されます。何かを生み出す際の苦しみ。身体に大きな負担をかけ、耐えがたいほどの痛みを感じながら、必死の思いで赤ちゃんを産むお母さん。そして記憶には残りませんが、赤ちゃんの方も狭い産道を通って圧迫され苦しい思いをしながら出てくる、と聞いたことがあります。温かな羊水から、冷たい空気の中へ。人生そのものも、苦しみながら生まれてくることから始まる、といえるのかもしれません。
 
そう考えると、何かを生み出したり、新しいことをしたりする際に、ある種のしんどさがあるのはあたり前なのかもしれません。新しいことを始めること、新しい環境に行くこと、または仕事で何かを作り上げたり、組織を立ち上げたり、何かの作品を創作したりすることなど、小さなことから大きなことまで、始めることや作り出すことに困難や苦しさは付きもの。
 
『易経』の水雷屯には「雷雨の動くこと、満ち盈つ」「天造草昧」という言葉があります。まだ雷や雨にはなっていないけれど、その動きが満ち満ちて、やがて恵みの雷雨となって降り注ぎ万物がぐんぐん成長するだろう前段階、秩序が整っていない草創期を表す言葉です。世界が新たに作られるような、そんな動きに満ちている情景が浮かぶようです。生命力とは可能性で、さまざまな可能性を秘めているからこそ迷うこともあれば、道を選び切り開く困難さもある。生みの苦しさは可能性の裏返しであり、水雷屯は可能性に満ちている時を表しているのだろうと思います。

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