3.11という日
事前準備も終えたので、早速趣味的な話を書き込もうとしたら今日が3.11(東日本大震災の発生日)である事に気が付きました。
そうなると思い出す話もある訳で・・・今回はこのまま3.11の事について書いていきたいと思います。
とはいえ3.11の細かい話を書くのは現在の私には気が重いので、最も伝えたい話題に絞った内容にしたいと思います。
それは現場で奮闘する名もなき人達の話。
3.11発生から数日経った頃でしょうか。
当時お世話になった元上司からメールが届きました。確か私からの安否確認に対する返事だったかと思います。
「軽く被災はしたが家族全員無事。自身は現在被災地へ支援に向かっている。」との事。
その内容に一安心し、家に残った御家族宛の支援を申し出た際に来た返事がとても印象的でした。
「俺のところは大丈夫。もっと困った人がいる筈だからそっちを助けてあげてくれ。」
元上司はとある炎上プロジェクトで御一緒してからの縁でした。錯綜した状況下でも冷静に現状を見極め、厳しい中にも温かみを決して忘れない方でした。
それは極限とは言えない迄も自身も被災した状況下ですらその性質は変わらず、私が尊敬したままの姿で困難な状況に挑んでいました。
この話は私にとってのヒーローの姿を思い出すと同時にある話も思い出すきっかけになります。それは現場に向けての心無い言葉の数々です。
当時というか現在もですが、極限下で働く人々に心無い言葉が投げかけられるのは珍しいことではありません。
その中には家族を失い行き場のない感情をぶつける方もいたでしょう。ですが悲しい事に自分の感情第一で人に不満をぶつけて発散する方もいます。
困難な状況下の最前線で戦う人々は別に特別な人間ではありません。多くは元上司の様に仕事として、または自発的にその場に向かったただ普通の人です。
元上司の様な人々が少しずつ力を出し合い、大きな力に変える事で状況を少しでも良くしようと動いています。
別に褒め称えましょうという話ではありません。ですがせめて頑張っている背中に石を投げつけるのだけはやめてほしいと思う訳です。
私も落ち着いた頃に設備復興で現地入りしましたが、最悪の被害の出たエリアで無くとも街が薙ぎ倒された爪痕が痛々しく、10年以上経った今でも異界に来たと感じた違和感だけは覚えています。
被害の抑えられたエリアでそうなのですから、特に最前線に赴いた自衛隊を主とする方々の心労はいかばかりかと思います。特に自衛隊は政治信条に関わる点や軍事訓練を受けている背景から中身が同じただの人である事すら忘れられた言葉を投げかけられていた記憶があります。
勿論多くは単純な感謝や応援の声でしたが・・・棘というものは投げつけるのは簡単でも、刺さればたったの一本で人の心を大きく抉るものなのです。
考えたくもないですが、もし次回似た様な災害が起こった際は頑張っている人の背中に石を投げるのはよく考えてからにして欲しいと思います。その石を投げつける相手の手の先には助けを求める人の手が繋がっているかもしれないのですから。
<災害関係のお話>
<別の上司のお話>
<どくのぬまちをあるくのにそんなそうびでだいじょうぶか>
ちょっと真面目な話やネタ的に笑えない内容が放り込まれたマガジンです。他のマガジンはこれとは逆で緩めです(゚∀゚)
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