毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために ⑯
心の豊かさを説く宗教に振り回されると心が貧しくなってしまう
リーダーシップを取れる存在(父)が倒れて、残された者同士でどうにかしなけばならないのに。
母の宗教絡みの思想にまつわる拘りも強すぎるゆえ、一般的な考えの他人には頼れない。
だから助けてくれるはずのお医者様や看護師さん、ヘルパーさん達をことごとく「敵」扱いし排除していった。
宗教の、遠くに住んでいる師匠みたいな人の指示を電話で仰いでいたり、同じ思想の信者さん同士の考えしか受け付けない。
医療については素人なのに、近くにいる医療のプロの意見に真向から反対する。
命という大切なものを目の前に、自分達の意思をきちんと表明することは必要なことだと思う。
たとえプロといえど、何でも相手の言いなりになればいいわけではない。
だが、仮に発達障害という点を考慮したとしてもその接し方は歓迎すべきものではない。
何でもかんでも無闇に反社会的な陰謀論みたいなものを支持したがる。
根拠が、エビデンスが、といかにも学術的な風に唱えてはいるけれど
そういう姿を見る度に、一体何様なのだろうと私は思ってしまう。
確かにそういう一面がこの世の中にはあるのかもしれない。
この世の真実なんて私にはわからないけれど。
だけど、別にみんな自分達をころそうと企んで悪さを仕掛けてくる敵ではない。
上の方の人達については知る由もないけれど、少なくとも一般社会に生きる善良な人たちは、善意で一生懸命目の前の仕事をしてくれている人が殆どだ。
中にはそうでない輩もいるのだろうが、きっとそんなのごくごく一部であって。
むしろ心強い「味方」なのに。
そんな事をしていたら余計に自分たちの首を絞めて苦しくなるのに。
でも、そういうお人好しで呑気な考え方は、「そっちより」の思想の人達からみたら「思考停止で上の言いなりになっている、目覚めていないバカな人間共」なのだ。
だから、そういう呑気にみえる私の思想について、一段と蔑んでバカにしてきたのだろうと思う。
家でも病室でもところ構わず「敵」とみなした相手に徹底抗戦を仕掛ける家族の姿は醜くて大嫌いだった。
その家族すらも、助け合うどころでなくお互いに罵り合い、ストレスの捌け口として他人には見せられないところで、一番他人の考えに近い憎らしい私を利用したのだろうけど。
他人の「善意」を「厚意」と受け取れないような心の貧しさを説くのが宗教のあるべき姿なのか?
きっと教祖はそんな事を望んでいない(はず)。
そして、言葉も話せなくなってしまった父も病床で辛かっただろうと思う。
「神」がいるとしたならば、神様はそんなに狭量ではないと私は思っている。
そしてそんな毒母や毒きょうだい達も、自分達の思想に絡むことのない「無害な他人」にはふつうに愛想がよいし、綺麗事を並べ立てることも得意だ。
だから、何も知らない他人から見たらそんな事が起こっているなんて分からないだろう。
続く
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