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【掌編小説】8月に似た、7月

 のしかかるような日照りが梅雨の湿り気を孕んだ、夏の悪い所取りみたいな7月だった。
 8月に遊びに来る予定だった友人のシバッチョが、1ヶ月も前倒しで地元に会いに来た。アポはなかった。そりゃそうだ、15年も前の学生時代、つまらないことから関係を絶ってしまった友人だ。アポを取りようもなかった。
 シバッチョは、ちゃんと15年分老けていた。髭の剃り跡の青が濃くなり、髪は薄く、とまではいかないが、額が広くなっていた。少しだけ白髪も見える。笑うと目尻に皺が寄る。苦労してるらしい。
「マッチャンは全然変わらないね。パステルカラーのTシャツにベッカムヘア。平成そのまんまって感じ」
 松本だからマッチャン、柴田だからシバッチョ。深い理由はない、名前をそのままもじったあだ名だ。
 ワイシャツの袖を捲り、ネクタイを緩ませたシバッチョが言った。仕事を早上がりして、都内からわざわざ300kmも離れた地元まで帰って来たそうだ。まだ明るい夕方に着けたことが奇跡なくらいだ。
 そういやこの髪型、ベッカムヘア、か。今の若者にベッカムって言って伝わるのだろうか。
「かき氷屋、行かない? お前んとこ来る途中で見かけたんだよ。屋台の。ほら、学生の頃、よく部活帰りに行ってたさ」
 シバッチョが言うかき氷屋は暑くなると、毎年高校の校門を出て向かいの小さな公園に店を出していた。サッカー部だったシバッチョと、吹奏楽部の僕では通常なら帰る時間がズレるはずだったが、うちの高校はどちらも弱小部活。第一、シバッチョは補欠のさらに補欠で、僕は3年になってもレギュラー入りできない楽器音痴だったから、早く部活を抜けて待ち合わせても、誰にも咎められなかった。寂しい話だけど。
 歩いて5分もせずに、かき氷屋に着いた。あの頃と同じ大将がかき氷機を、群がる小学生達の前で回していた。学生の頃で50歳は超えていたであろう大将は、15年経って心なしか痩せているように見えたが、年数分の加齢は感じなかった。明らかな変化と言えば、1杯200円だったかき氷が、300円になっていたことくらい。
 かき氷のシロップをきゃっきゃと選ぶ小学生たちと町を、17時のチャイムが包む。「また明日ー」「宿題忘れてた!」「ジャンプ持ってこいよー」など口々に言って、それぞれの家路に散っていった。
「大将、イチゴと、ブルーハワイとレモンのミックスちょうだい」
 シバッチョが小銭入れを探りながらかき氷を注文すると、大将は目を丸くした。飛び出そうな大きな目も相変わらずだ。
「シバッチョかよ! おい! 驚いたなぁ、大人になっちまって」
「そりゃ15年も経ったんだもん、大人にもなるよ」
「似合わねえなあ、スーツ」
「うるさいな、これでも営業係長だよ」
 冗談交じりに笑い合う2人の表情も語調も、学生の頃のままだ。
 大将は600円を受け取ってすぐ、慣れた手つきでかき氷機を回して、シロップをなみなみと注ぐ。
「ブルーハワイとレモンのミックスか。こんなワガママな注文も15年ぶりか」
「ワガママって、2種類かけるだけでしょ。あれだよ、ブルーハワイを満遍なくかけてからレモンをーー」
「一周うずを巻くように、な。常連のレシピ忘れるほど耄碌もうろくしちゃいねえよ」と、かき氷にストローの先をスプーン状に切ったものを挿して、器を2つ手渡す。
「さすが大将」。カバンを脇に抱えて、両手でかき氷を受け取るシバッチョ。
「覚えてなきゃマッチャン怒るだろ」
 大将は指で頭に角を作っておどけた。
 そんなことぐらいで僕は怒らないのに、と思ったけど、そういえば学生の頃は大将にシロップのかけ方をうるさく指南していたっけな。
「昔はよく二人でその辺走り回ってたよな。高校生にもなってガキみてえにはしゃいでよ」
 大将は屋台の中に重なったコンテナに腰掛けて、煙草に火を点ける。小型扇風機が向けられた屋台の背中側へ煙が走っていった。
「そうそう。走ると頭痛いのすぐ治るから」
 シバッチョが懐かしげに笑って返す。
 かき氷を食べて頭がキーンとしたら、全速力で走るとすぐ治る。高校三年間でのシバッチョ最大の発見だ。実践しているのは、僕とシバッチョの2人だけだったけど。
 大将が煙を声と一緒に噴き出す。
「かき氷持ったまま突っ走るからよ、すっ転んで。大将こぼしちゃったからもう一回作って、って。んな虫のいい話あるかって頭ひっぱいたの思い出すよ」
「何やかんや大将作ってくれたよね、タダで。今日もおかわり貰おうかな」
「馬鹿野郎、もう大人なんだから払えよ」
 笑い合う間に日が落ちていく。都会と違って、ここでは西日の光を濁らせるものがない。橙色が緩やかに町に寝そべる。
「溶けない内に二人で食べな」
 大将がかき氷を煙草で指した。
「そうする。ありがとう」と、シバッチョは頭を下げる。
「ありがとうって、売った方が言うんだろ、普通は。何のありがとうだよ」
「いやさ、2つ作ってくれて」
「そりゃあ作るだろ。2つ分金もらってるんだから」と、大将は火種がまだ半ばの煙草を灰皿に置いて、腰を抑えて立ち上がる。
「来るなら8月だと思ってたよ」。大将がシバッチョと向かい合う。しみじみとした顔だ。
「奥さんの親父さんの新盆でさ、8月はそっちの実家に帰らなきゃいけないんだ」
「シバッチョ結婚してんのかよ!」
「息子もいるよ。3歳」
「パパかよ!」
 大将の大きな目がまた丸くなる。そろそろ本当に飛び出るんじゃないか。
 シバッチョが照れて、落ち着き無くくねくね動く。自分から言ったのに。
「女房もガキもいるのかよ、びっくりだな」
「あ、大将、その呼び方は今の時代だと怒られるよ」
「うるせえな、呼び方は何でもいいだろ。愛さえあればいいんだよ、愛さえあれば。何だよ、15年振りに会ったら所帯持ちかよ」と、途中から目頭を押さえながら言った。
「大将、泣いてるの? 年食ったんだなあ」
「馬鹿、煙草の煙だよ」
「煙、全部向こうの方に流れてるけど」
「違う、俺はな、年がら年中煙草吸ってるから体が燻されて煙が手から出るように」
「じゃあ手で押さえちゃダメじゃん、目」
「んなこたあ、どうでもいいんだよ! 15年も何してたんだよ、随分無沙汰じゃねえか」
「いや、さ……」
 大将が話題を反らすと、シバッチョの笑みが心なしか寂しげになったように感じた。ブルーハワイの青色を見つめて、シバッチョが続ける。
「息子がさ、かき氷食べて頭痛くなったからさ」
「から、何だ」
「いや、うん。それだけなんだ」
 蝉の声が、降るほどじゃないけど、聞こえる。風物詩として楽しめる声、と、鬱陶しい、のちょうど間くらいの音量。
 もう、7月なんだな。
 大将は、シバッチョの表情から何かを思って、「ふーん」と鼻を鳴らし、また冗談を言い合っていた時と同じ朗らかな笑顔で続けた。
「早く食えって。ジュースになっちまうぞ」
「そうだった、ありがとう」
「だから、ありがとうはこっち……まあいいや。また来てな。次は家族で」
「うん。大将も身体気を付けて。それじゃ」
「来いよ、絶対な」
「うん、絶対」

 背中に大将の声を聞きながら、
 僕らは公園を去って、
 高校を通りすがって、
 坂道を登って、
 どこで見たって綺麗な夕日が一番綺麗に見える場所へ戻る。
 シバッチョが僕に会いに来た、5分も歩けば着く場所だ。

 シバッチョは、ブルーハワイとレモンのミックスのかき氷を、
 僕の墓石の前に置いた。
 結構、溶けていた。

「大将、俺らが学生の頃のまんまだったな」
 パステルカラーのTシャツにベッカムヘア、高校の頃で時間が止まっている僕に言った。
「マッチャンも大将もそのままだから、俺だけ取り残されてるみたいでちょっと寂しかったよ」
 取り残されてるのはこっちなんだけど、と言いたかったけど、やめた。僕の声は、届かないから。
「さっきさ、奥さんの親父さんの新盆があるから8月はこっちに帰れない、って言ったじゃん。あれ、嘘なんだ。本当はさ、お盆時期に帰ったらマッチャンの親御さんと会うことになるでしょ。俺、合わせる顔がなくて」
 シバッチョは涙を溜めながら、大将に頭を下げるより、もっともっと深く、僕に頭を下げた。下げたんだ。下げなくてもいいのに。下げないで。
「ごめん」
 やめて。
「かき氷食べた時の頭痛を治すには走ればいいっていうやつ」
 いいんだ、もういい。
「あれ、嘘なんだ」
 わかってたよ。治ったことなんてないんだから。わかってて走ってたんだよ。
 僕は走りたくて、楽しくて走ってたんだ。
 だから、僕が死んだことを自分のせいだなんて思わないで。

 7月のあの日、流行りに乗ろうとベッカムヘアにして学校に行った。
 シバッチョ以外に特別仲のいい友達なんていなかったから、誰の注目を集めることもなかったんだけど、それでよかった。シバッチョに見せたかったんだから。
 でも、結果的に喧嘩してしまった。理由は、サッカー部でもないのにベッカムヘアにした、から。
 シバッチョは、するならサッカー部の俺だろ、の一点張り。
 僕は、髪型なんて人の自由でしょ、と対抗。
 ただの、友達同士の、他愛もないじゃれ合いだった。でも何だかその日は暑くて、頭に血が上りやすかったんだ。
 結局、シバッチョは「髪型直すまで口利かない」と言い捨ててひとりで帰ってしまった。
 だから僕はひとりで、かき氷屋でブルーハワイとレモンのミックスを買って、公園で食べた。
 美味しくなかった。ただの氷にシロップかけて金を取ってることにすら腹が立った。
 ふたりで食べていた時はあんなに美味しかったのに。
 僕は沈んだ心と怒りと寂しさを全部当てつけて、かき氷をかっ込んだ。頭が痛くなった。脳が萎縮するような痛み。
 でも僕は、この痛みを治す方法をシバッチョから教わっていた。
 走ればいいんだ。全速力で走るんだ。
 そんな方法で治らないのはわかってる。僕にとって大事なのは、治るか治らないか、じゃない。
 かき氷を何倍も楽しく食べられる方法を、僕とシバッチョだけが知っていることの方がずっと大事だ。走ることは、目に見える絆なんだ。
 僕は走った。一心不乱に走った。この場にシバッチョがいない、ただの一時の寂しさにすら耐えられない僕の情けなさを振り切るように、全速力で。
 
 公園から路上に出ていることに気付かなかった。
 迫り来るトラックにも気付かなかった。
 僕は、走っている間に、即死した。

「本当に、ごめん」
 シバッチョは僕と、僕の墓石に頭を下げたまま、涙声でまた謝った。
 シバッチョのせいじゃないのに。誰もシバッチョのことを責めてなんかいないのに。
 シバッチョとの絆を感じながら死ねたのは、僕にとって幸せだったと伝えたいのに、僕の言葉は生きているシバッチョには届かない。
 顔を上げたシバッチョは涙でぐしゃぐしゃだった。泣かないで。
「息子がかき氷を食べて頭が痛くなったんだ。その時に俺さ、走ればいいって言いそうになっちゃって。ダメだよな、クズだよな」
 ダメじゃないよ、クズじゃないよ、僕はそのおかげでかき氷が好きになったんだよ。シバッチョと食べるかき氷が。
 シバッチョのイチゴも、僕のブルーハワイとレモンのミックスも、もう7月の暑さですっかりジュースになってしまっていた。

 シバッチョの涙が赤いイチゴのジュースに落ちた。
 日が落ちた町は、やっぱりここからが一番綺麗だ。
 今僕は、シバッチョとかき氷を、この町で一番夕日が美しい場所で食べている。
 泣かないで、シバッチョ。僕は今、最高に幸せだよ。
 それにほらーー。

 僕は、町に向かって、全速力で走った。
 

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【罪状】就学義務違反

かき氷屋に群がる子供たちが、完全に親の意向の小学校に行かせてもらえていないため。

 

 

 

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