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スイカゲーム|アラサー女の徒然日記


ここ一か月、流行りのスイカゲームに例にもれずハマっている。
元々、ニンテンドースイッチを持っていたが、
特にゲームにハマることもなく、ニンテンドーの名器を持て余していたのだが、スイカゲームが240円で出来ることを知り、期待を持たずに始めたのだ。

いざ始めてみて数回。
もう一回、もう一回、が、止まらない。
特に頭を使うわけでも、体力を使うわけでも、ない。
一回当たり、5分程度。
ラジオを聴きながらでも、動画を流しながらでも、できる。
難しいルールもない。
ただ、果物たちを合わせて大きくしてくだけのゲーム。
誰でも、できる単純なゲーム。

でも、単純だからこそ。
誰でもできるからこそ。
例にもれず、わたしもはまってしまったのだ。

高いスコアを出したい。
もう一回だけやろう。
いや、もはやそんな意識など働かずにリプレイを押している自分がいる。

きっと、ホストやキャバクラ、パチンコやスロット、借金や闇金、
そういうものにハマっていくのと同じ心理ではないだろうか。
最初は、嬉しさ、罪悪感、楽しさ、焦り、後悔、快感、悔しさ、悲しさ、
多くの感情に向き合い、心が躍っていたのに、
いつの間にか、多くで溢れかえっていた感情たちは集団となり、
快感と後悔の二つに割り振られ、
快感を求めるために、止めることが出来ないのではないだろうか。

その程度が大小あるだけで、世間一般から煙たがられる存在であるものにハマることに、何ら変わりがないように思えてくる。

スイカゲームを通してそんなことを考えている。

かといって一日に何時間もスイカゲームにハマっているというわけではない。
せいぜい数十分、思ったよりもやめられず、
果物たちに足を捕まれて、付き合っているのだが、
自分の意思と裏腹になかなかやめることができないことに気付き、
恐ろしくなりつつも、楽しくゲームをしている自分に、
ギャンブルなどにハマって堕落する人たちを、
どうしてただ非難を浴びせ、さも自分が聖人であることに落ち着くことが出来ようか、と思うのだ。


スイカゲームは魔力を持っているのである。。

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