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『【心と体がちょっと疲れたときに一息つける本】ゆるり幸福論 自分らしい幸せの手に入れ方』第1章・無料全文公開

3月19日発売の書籍『【心と体がちょっと疲れたときに一息つける本】ゆるり幸福論 自分らしい幸せの手に入れ方』から、第1章「なぜ、ゆるりとした時間が必要なのか。」を全文公開!

ちゃんと休めていない

●「がんばる病」によって深い呼吸ができていない

あなたにお聞きしたいことがあります。

「最近、息をしていますか?」と。

「この著者は、いきなり冒頭から何をいっているの?」と思われたかもしれません。

「生きているのだから、息は当たり前にしているよ」と思うことでしょう。

そうではなく、わたしがお聞きしたいことは、あなたはこころの底から安心して、あすの不安を抱えず、過去の失敗に悔やむこともなく、信頼できる人間関係のなかで「最近、息をしていますか?」と、問いたいのです。

からだのなかからじんわりとあたたまり、毛細血管まで酸素が行き届く、そのような呼吸をしていますか? いま一度ご自身の生活を振り返ってみてください。

なぜお聞きしたのかというと、小さな不安やストレスがどんどん蓄積されて、呼吸を浅くしてしまっているおそれがあるからです。

こころとからだは密接につながっていて、どちらも健康であることは幸せでいるための大切な条件です。実際に両方とも健康な人はどのくらいいるのでしょうか。

世の中には「がんばる病(わたしが命名)」にかかってしまう人がけっこういて、そのことに気づいていない人もいるのです。「いまのわたしは全然ダメだ」などと、理想が高すぎるがために自分を否定し、自分にムチを打つことを無意識にやっている人のことです。

こころとからだの健康は、一緒に保たなくてはなりません。

「ダメな自分」のレッテルを貼り続けていると、呪文のようにからだに染みつき、こころとからだを蝕んでいきます。そのような状態で毎日を過ごしていれば、ゆっくり深呼吸する余裕はありませんよね。

おなかが痛いと感じたとき、上手にコントロールできる人であれば、無理せず仕事や学校を休み、その痛みから逃れる方法を考えるでしょう。

しかし「がんばる病」にかかっている人は、自分自身で麻酔を打ってしまうようなことをしてしまうのですね。こころとからだに麻酔がかかった状態で無理に何かをしても、ダメージは回復することなく溜まっていくので、いつしかその反動がきてしまいます。

痛みというのは、人体を守る信号です。自分の内側から出るSOSをきちんと受け取ることが、とても大切なのです。

●休むことに抵抗がある

休むタイミングを決めるのは、とてもむずかしく、勇気がいりますよね。

タイミングの判断としては、「ごはんをたのしむ」「お風呂で疲れを癒す」「空を綺麗だと思う」など、「小さな幸せ」に気をまわせなくなったときを目安にするとよいかと思います。

小さな幸せを感じる余裕がなくなる前に、「休みましょうアラート(詳しくは次項にて)がそろそろ出るかな?」と、できれば事前に気づけるとよいですね。

やるべきことに追われ、結果がついてこない自分や、できている他人にばかり目がいってしまい、やるせなさや焦りを感じてしまうときは、こころもからだも疲れが溜まっています。

このようなことを書くと、「そんなすぐに休めない」「いま休むべきではない」などと思う方もいるかもしれません。

たしかに、「一度休んでしまうと戻れないかもしれない」「自分だけ休むのは気が引けてしまう」「理想の自分になれていない」など、さまざまな事情があるでしょう。

何を隠そう、わたしもそのひとりでした。休むことに抵抗があり、甘えだと思っていたのです。いつも何かに追われていて、予定が空いていれば何か入れておこうと思うタイプでした。生き急ぎすぎて、まわりから「どこに向かっているの?」と聞かれることもしばしば(ここまでせっかちな人間はわたしだけと信じたいです笑)。

わたしのように休むのが苦手な方は、「自分よりもがんばっている人がいる」などと他人を引き合いに出したり、「自分は甘えているのではないか」と考えたりして、自分を卑下してしまっていませんか?

そうすると、「自分が休むなんておこがましい」と感じてしまい、休むことに罪悪感を覚えてしまうのです。自分より上しか見ていないため、力不足と感じてしまうのですね。 

●そんなに厳しくしなくて大丈夫

自分に厳しくしすぎると、まわりの人にも無理を求めてしまうことがあります。

人それぞれのがんばりがあるのにもかかわらず、余裕がないと他人のがんばりが見えなくなってしまうのです。それって、とても視野が狭くなっている状態といえませんか。

余裕がないと、イライラして場の空気を乱し、まわりはイヤな気持ちになってしまうこともあります。さらに、焦っているとミスが増え、余計な仕事が増えてしまうことも……。限界までがんばりすぎて体調を崩し、倒れてしまうと本末転倒です。どうしようもなくなる前に誰かに助けを求めることは、全体を俯瞰してみると、とても大切なことになります。

わたしも家族から似たようなことを言われたことがありました。

「イライラして不機嫌になっているより、ちょっとラクしてゴロゴロして気分よくいてくれたほうが、よっぽど場の空気が乱されない」と。そのときわたしは、「みんなのためにがんばっているのに!」と思っていたのですが、それこそおこがましい考え方でした。

誰かの役に立とうと思っていたはずなのに、いつの間にか義務となり、それが自分の視野を狭め、深い呼吸を忘れるほど神経をすり減らしていたのです。

わたしがイライラしているよりも、にっこり笑っていたほうがみんなはうれしい、といったことに気づいてからは、「休みましょうアラート」が出る前からできるだけイライラしないように気をつけています。

「休みましょうアラート」は、からだが直接訴えかけてくることもあります。

わたしの場合は口内炎です。あなたも体調が悪いとき、特定の箇所に症状が出ることはありませんか?

肌に不調が出る人、喉が痛くなる人、わたしのように口内炎ができる人など、誰しもいちばん弱い部分に影響が出ます。それを「休みましょうアラート」として、症状があらわれるなどいつもと違う感じがしたら、そのサインに気づいて早めに休むことをおすすめします。

がむしゃらに働いて王様のように休むサイクルを好む人もいれば、ちょこちょこ休みながらルーティンを決めて働くほうが向いている人もいるのです。その人の生まれもった能力やライフスタイルによるので、自分にあったほうを選ぶとよいでしょう。

疲れたら「ちゃんと休む」。

「休みましょうアラート」が発動したら、とにかく休む。休んだら、またがんばればいい。自分にやさしく、まわりにやさしく。

余裕をもって日々を過ごしてくださいね。

👉これでゆるり
理想の自分を目指すあなたもすてきですが、こころとからだを壊してしまうまでがんばりすぎる必要はありませんよ。一歩一歩でいいのです。自分にやさしくしてあげてくださいね。

時代の変化が早すぎる

●時代の変化と自分への不安

私たちの生活はテクノロジーの進化によって、過去に比べて驚くほど豊かになったのにもかかわらず、どうしてこんなにも時間が足りないと思ってしまうのでしょう。

極端なことをいえば、豪奢な生活をしていたとされるマリー・アントワネットやルイ16世の生活よりも、豊かな暮らしをしている人が多いでしょう。それなのに、多くの人たちがいまの自分の暮らしを、「豊かで幸せ」と思えていません。人間関係に悩み、不安で前を向けず、悲しみや苦しみのなかでもがいているのです。

その理由のひとつとして、「時代の変化が早すぎる」ことが、こころの苦しみを生む一因ではないかと思います。毎日がまるで早送りされた動画のように、急ぎ足で過ぎていくような感覚をあなたも感じることがありませんか?

スマートフォンの登場から、テキスト生成や画像生成AIの誕生、時短家電などもあり、時間を効率的に使えるものがたくさん生まれているのにもかかわらず、私たちは時間に追われ続けています。

なぜ時間に追われるのかというと、「自分の立ち位置」がわからないからです。

本当は見なくてもいいもの、やらなくていいもの、必要としていないものに対して時間を使ってしまい、自分にとって本当に必要なものが見えなくなっていくのです。

世間的によいとされている価値観や当たり前とされているものが、ものすごい早さで変化しているため、自分の立ち位置がわからなくなります。

よって、ついていけないほどのテクノロジーの変革に、置いていかれてしまうような気持ちになってしまうのですね。いまの自分が何をしたいのか、これからどうしたいのかがわかっていないのに、たくさんの情報があふれていては、その渦のなかに流されてしまいます。

そうなると、何を選択すれば自分にとって「幸せ」なのか……そして、それが「正解」の選択なのかが見えてきません。そんな日々のなかでは焦ってしまい、ひと息つくヒマもありませんね。

●「幸せの正解」ってなんだろう?

「幸せの正解」がわからないのは誰かの基準で生きているからです。

そのことに気づかないまま生きていると、やがてこころが疲れてしまいます。「こころがどの状態なら安定していられるのか」がわからないまま、ゴールのない迷路を歩き続けるようなことをしてしまっているのです。

どうしてそうなったかを考えると、「私たちの身のまわりにある環境や情報の受け取り方が変わった」ことが、ひとつの大きな要因のように、わたしは思います。

インターネットの発達により、より早く、より多く、言葉がやりとりされる時代になりました。

ひとりではさばけないほどの情報が、メディアを通して飛び交っています。ソーシャルネットワーキングサービス(以下:SNS)やネットニュースを含め、私たちが目にしている文章は1か月に新書10冊分といわれています。これだけテキストを「見る」時代ではありますが、情報は多ければ多いほどいいわけではありません。

誰かにとって必要な情報でも、自分にとってはまったく必要のないものまで流れてきますよね。そうした情報に共感して、怒ったり悲しんだりしてしまうと、こころの安定を乱してしまうおそれもあります。

不要な情報のなかでもとくに、不安をあおるものや、誹謗中傷などマイナスの言葉は、私たちのこころに強く残りやすいのです。

なぜかというと、人間は狩猟採集民時代からのなごりで、危険を察知する力に長けています。とくに「自分にとって危険だ!」と思うことに反応しやすいようになっているようです。

そのような特性をもっているため、ほんの一部のコメントや意見でしかないけれど、マイナス要素を含んだ言葉––––つまり大きく目立つ声を、「ほとんどの人が思っていること」と勘違いしてしまいます。

その声をなんの疑いもなく受け取ってしまうと、不安が広がり、余計な心配を増やしてしまい、悩まなくていいことで悩んでしまうのです。

さらに、世間一般的にいわれる「幸せ像」に自分を入れ込もうとして、そこに当てはまることが「正解」だと思ってしまう。

そのように思ってしまうと、そこからはみ出したとたん、「もうそれは幸せではない」と勘違いしてしまい、こころの疲弊がはじまっていくのです。

「アイデンティティ・クライシス」と呼ばれるものが、それにあたります。要するに、「私って何がしたいの?」「私って誰かに必要とされている?」「私らしいって何?」「これからどうすればいいの?」などといった疑問が、不安をつくり出しているのです。

やみくもに「私らしさ」を探してしまうから、自分に合っているのかわからないままに、よいといわれるものに手を伸ばしてしまう……。

まわりの変化についていけず、いま歩いている道が正解なのかわからず立ち止まってしまう……。

年齢やまわりの人の意見などで、たくさんのものをあきらめざるを得ない状況になってしまう……。

まわりが敵だらけに感じてしまい、世界でひとりぼっちのように思ってしまう……。

挙げればきりがないほど、不安をつくり出す材料はそこら中にあります。

わたしはそのような状況を、「まるで無料配布のティッシュみたい」だと思います。

こちらは望んでいなくても、「あったら使うかも」と思い、ありがたく受け取ってしまう。それが本当に自分に必要かどうかわからないのにもかかわらずです。

●あなた仕様の幸せを見つけよう

「幸せの正解」は、ひとつではありません。

「そんなことわかっているよ」と思われてしまいそうですが、わかっていても本当に理解している人は少ないのではないでしょうか。

人生は白黒はっきりつけられるものばかりではありません。むしろグレーであいまいな部分が多いのです。

モノゴトの良し悪しは、一方から見ただけではなんともいえないのに、まわりの人の意見に耳を傾けすぎて、となりの芝生は青く見え、自分の悪いところや、できていないところ、まだまだ足りていないところばかりに目を向けてしまう……。

このように自分を無意識のうちに否定し続けると、こころの底から安堵して「ゆっくり息できる」気持ちにはなれないでしょう。

「幸せ」は、誰かのコピーではなく、世間一般的によしとされているものでもなく、自分自身のものさしで選べる時代を私たちはいま生きています。

「間違ってしまうこと」「はみ出してしまうこと」「あの人みたいになれないこと」を受け入れて、前を向くしかありません。

極端かもしれませんが、無理して「幸せ」になろうとさえしなくてもいいのではないかと思うのです。

時代の変化が早すぎるなかで取り残されないように必死にもがくのではなく、自分のこころが落ちつけられる場所を見つけて、そのなかでおだやかな気持ちで生きていく。それができれば、「ゆっくりと安心して息ができる」状態になれるのではないでしょうか。

時代の変化に飲み込まれるのではなく、そのなかを優雅に自分らしくいられるような、パーソナライズ化された「あなた仕様の幸せの正解」をみずからの力で選択できるようになりましょう。

👉これでゆるり
あなたの幸せは、誰かのものさしで決めるものではありません。
ゆっくり息ができる場所で、あなたのこころを不安から解き放っていきましょう。

人間関係の正解がわからない

●お互いに成長することだけが正しい?

「あなたにとって心地よい人間関係とはなんですか?」と聞かれたら、どのようにお答えしますか?

さまざまな答えが出てきそうですが、もしかしたらそのなかに、「お互いに成長していける関係」と答える人が少なからずいるかもしれません。たしかに理想的で、すてきです。

しかし、「成長」を前提とした人間関係だけをいいと思ってしまうと、「一緒にいて成長できない人との関係は、あまり意味がない」となってしまいます。

それでは人生のたのしみを失ってしまっていると思うのです。
なぜなら、成長することだけが「よいこと」ではないからです。

全員がそうではないかもしれませんが、わたしが20代のころは、「この人と会うとたのしい」とか、「この人といると成長できる」などと、人間関係においてなんらかのメリットや刺激を求めていたように思います(これはもちろん大切なことなので、その考えを否定するつもりはありませんし、いまもその考え方は正しいと思っています)。

そのころに、50代の経営者に言われた言葉がとてもこころに残っていて、人間関係の根っこの部分としていまも大切にしています。その方には仕事を斡旋してもらったり、相談に乗ってもらったりして、とてもよくしていただきました。

本当に若気の至りですが、「どうしてこんなに無償で自分によくしてくださるのですか? わたしは、まだなんの力もない若造で、あなたに何も提供できないのに。なんなら何か裏があるのかとさえ思ってしまいます」と、失礼を承知のうえで聞いたことがあります。

すると、「まだあなたにはわからないと思うのだけれども、私はやりたいことしかやっていない。メリットがあるからという理由だけで誰かと付き合っていくのは、とても疲れることなんだよ」と。

そのときは半分わかったような気持ちになりましたが、いまではその意味がはっきりとわかります。

自然体でいられて、ありのままの自分で肩の力を抜いて対等に話せる関係は何ものにも代えがたい大切な関係だと、その方に教えていただきました。

なんにも気負わず、繕わない自分でいられる……それこそが本当の「心地よい人間関係」ではないかと思うのです。 

●価値観も、考え方も、みんな違って、みんないい

多様性や価値観がめくるめく変わる世の中では、モノゴトが一定に保たれていることのほうが少ないです。

そのような世の中ですから、なんの気兼ねもしない人間関係、いわば、ぬるま湯に浸かっていられるような幸せな状態を思う存分味わって生きていってもよいのではないでしょうか。

一緒に暮らしている親子でさえも、考え方も価値観も違います。どちらの世代がよくて、どちらかが悪い、というわけではありません。どちらか一方の相手を「ありえない」といって糾弾することも違います。ただ意見が違うだけのことです。

このような時代だからこそ、「同じペースで歩いてくれる人」「些細なことで笑い合える関係」、そして「相手を一切否定しない関係」は、何ものにも代えがたいとても貴重な存在になります。

こころが落ちついて、安心して付き合える相手を、大切にしていきましょう。

「そんな人はまわりにいない」と思う方は、もしかしたら「否定」から入っているのかもしれませんね。自分に対し「そんな友人ができるわけない」「そんな人いるわけない」と否定したり、相手に対し「あの人が変わるわけない」と否定したりしていませんか?

自分のまわりの環境を否定して、外に目をよく向けないでいると、損してしまうこともあります。

まわりの人や環境は、自分の鏡なのです。

あなたがいま、まわりの人に抱いている感情や、自分の置かれている環境は、自分自身で思っていることや感情がそのまま具現化している可能性があります。

「自分のまわりには尊敬できる人がいない」と思い込んでいれば、その人に広がる世界は「尊敬できる人がいない世界」なのです。

●大切なのは距離感と肯定

自分のありのままを見せられる相手がいたとしても、その人に「何をしてもいい」わけではありません。

友人でも、家族でも、パートナー関係でも、どんなに長い時間をかけて信頼関係を築いてきた相手でもです。

人には誰しも触れられたくないゾーンがあります。

お互いの触れてはいけない距離感をきちんと理解し、「親しき仲にも礼儀あり」の節度をもって接するから、心地よい関係が長続きするのです。

人間はひとりでは生きていけない生きものですが、ひとりの時間が必要な生きものでもあります。

ともに成長し、尊敬し合い、大切にし合うことも、もちろん大切ですが、相手のことを否定せず、適度な距離感を保ち、ともに過ごしていくことが何より大切なのです。

人間関係に正解はありませんが、「この人と一緒にいる自分が好き」と感じられるなら、それでいいのではないでしょうか。

ただし、我慢するのは違います。

自分なりに付き合いをがんばったけれど、自分を大切にしてくれない人だと悟れば、そっとさようならをしてもいいでしょう。

夫婦関係や一緒に仕事をしている仲間のように、すぐに関係を断ち切れない場合は、焦らずゆっくり慎重に考えることも大切ではありますので、そこは臨機応変に。

人はそれぞれ異なる考え方や価値観をもっていますから、自分にとって「心地よい人間関係」はすぐに築けるものではないかもしれません。

だからこそ、その日に100点を取ろうとするのではなく、「きょうは50点くらいの成果でOK」「限りなく理想に近づけたら幸せ」くらいのゆるさで、その人に向き合っていけばいいのです。

👉これでゆるり
飾らない自分でいられる関係を大切にしましょう。
そして、距離感と相手へのリスペクトを忘れずにしましょう。どんな人でも、肯定されたらうれしいもの。だからまずはあなたから、相手を肯定してみてくださいね。

SNS疲れしている

●秘密基地にいるのに疲れてしまう

SNSは「最高のヒマつぶし」「自分の気持ちを吐き出せる場所」「無料でアピールできる場所」として、個人から企業まで多くの人が利用しています。

SNS上で仕事が得られるまで発達したこの文化は、一大プラットフォームとなり私たちの日常のなかに溶け込んでいます。

ところで、あなたは子どものころに秘密基地をつくったことはありますか?

わたしは子どものとき、友だちとの基地、ひとりでいるための基地、幼なじみや姉妹との基地など、いくつももっていました。友だちとは「あそこで待ち合わせね」と、よく出かけたものです。

そこでしか得られない特別な感覚や、限られた場所だからこそできる内緒話など、閉鎖された空間のなかでいろいろと体験しました。

その場所はわたしにとって、ひとりで考えごとをしたり、ぼーっと空を眺めたり、幼少期から趣味で書いていた物語の続きを考えたり、悲しいときにはひとりで泣いたりするのに最適な場所でした。

SNSはオンライン上ではありますが、秘密基地に似た「自分だけの居場所」と感じるときがあります。

「鍵垢」が存在するのも、クローズドな世界にいたい人たちにとっての選択肢なのでしょう。

その場所でしか味わえない体験や文化は、「いい場所だな」と思う反面、「疲れるなぁ」と思うことも多くあります。この現象の良し悪しは、いつしか歴史が語ることでしょう。ここでわたしがSNSを悪くいうつもりもありません。

しかしわたしのなかには、ひとつだけ懸念点があります。自分をカテゴリー分けすることで、こころが疲れてしまうのではないか? ということです。

●「自分自身」を枠に入れてしまうと……

SNSを使っている人であればわかると思いますが、新しくアカウントをつくるとき、最初に「このアカウントはなんですか?」と、何を発信するアカウントか聞かれることがありますよね。

自分が興味をもっていることを答えていくと、そのSNS内で「あなたというアカウント」が生まれます。

わたしの場合は「女性」であり、「母親」であり、「仕事人」であり、趣味は「茶道」、色は「ピンク」が好き……といったように、自分自身にタグ付けをして、「私はこういう人間です」と振り分けたうえで、広大なプラットフォーム内に存在することになります。

振り分けたあとは、「自分でカテゴライズした」価値観のなかで、その部分だけがピックアップされた状態になるのです。

多くの人は、「私はこういう人間です」と一度自己定義すると、その枠から離れないような挙動をとります。

自分で決めた、あるいは誰かに決められた枠に自分を入れ込んでしまうのです。

たとえば「いつもいじられるキャラ」になった場合、ちょっとイヤな言い方をされたとしても怒れなくなります。なぜなら、「あなたはそういうキャラでしょう」と言われた場合、「イヤなことを言われても笑いに変えて我慢しなければ」と感じるからです。

ですが怒りたいときだってあるでしょうし、触れられたくないときだってあるはず。それなのに、「いじられキャラ」と自己定義し、まわりからもその目で見られてしまうと、そうでない部分があったとしても見せてはいけないし、そうでない部分を出してはいけないと思ってしまうでしょう。

このような小さなストレスは、ホコリのように少しずつ積もっていくので注意が必要です。

「塵も積もれば山となる」という言葉のとおり、いつしか大きなストレスになる危険性をはらんでいますので、小さなストレスを溜めないようにすることが大切です。

●見えているものはほんの一部分だけ

SNSとは「誰かの一部分だけをクローズアップしたもの」ということをちゃんと理解しておかないと、ギャップが出たときに混乱してしまうでしょう。

茶人として有名な千利休は、茶道という文化を確立した人とされています。

そういう部分だけを見ると、浮世離れしていて精神性に優れた人のような印象を受けますが、武器商人として織田信長と取引するやり手のビジネスパーソンの顔ももっていました。

千利休=「お金に興味のない人」「俗世から離れた人」などと勝手に思っていると、そうではない部分を見たとき、「あれ?」と違和感を得てしまうのです。

「思っていた人と違う」となっても、それはその人が勝手に思っていることであり、そのように思われた人が悪いわけではありませんよね。

つまり、どのような常識、考え方、価値観などをもっていても、相手は相手でいいし、自分は自分でいいのです。一本筋が通った人はとてもすばらしいですが、そうでない人を否定することもないのです。

それが矛盾していたとしても、人間とはさまざまな顔をもつ生きものといったことを理解し決めつけすぎないことが、こころを疲れさせないためのひとつの方法だと思います。

●自分を決めつけない、他人と比べないこと

いまの世の中で私たちに必要なのは、「なんでもない自分」「何者でもない自分」を受け入れ、それを良しとすることではないでしょうか。

カテゴリー分けされた自分ではなく、ありのままの自分でいい––––そうした考えでよいと思います。そのくらいゆるい思考でSNSと付き合っていくことで、マイナスの言葉たちなどに支配されず、また、自分を卑下する必要もないことに気づくでしょう。

「自分を決めつけない」という考え方は、「相手を決めつけない」ことにもつながります。

誰かのことをマイナスに見る必要もないし、何もかもうらやましく思う必要もないのです。

すてきな暮らし、買い物、仕事、趣味、資格・受験など、SNS上には他人と比べる材料がたくさんありますが、それはその人のごく一部分にすぎません。他人と自分を比べても意味はなく、その誰かとあなたはスタートが違ければ環境も違い、そもそも関係ないのです。

もしあなたが他人と比べて落ち込み、自己嫌悪しているのなら、「そんな自分がいてもいいじゃないですか。

だけど、落ち込む必要はないですよ」と言ってあげたいです。自分自身を傷つける必要はないのですから。

SNSに疲れてしまったら、自分の秘密基地を考えなおすいい機会かもしれませんね。一度距離を置いてもいいですし、こころの余裕が戻ったら、再びたのしむのもいいでしょう。使い方次第でプラスにもマイナスにもなるSNSと、うまく付き合っていきましょう。 

👉これでゆるり
自分のことも、他人のことも、決めつけすぎないことが大切です。いろいろな一面があってこその私たち。
疲れてしまうくらいなら、いったん離れてみて、また戻りたいと思ったら戻ればいいのです。

自分を見失わないために必要なこと

●現在地をはっきりさせる

毎日やることが多く、忙しくてストレスがあったり、理想を求めすぎて先を見すぎてしまったりすると、いまの自分を見失ってしまいます。

私たちが何より見なければならないのは、「いま、現時点の自分」なのです。

道がわからなかったり、迷ったりしたとき、地図アプリやナビゲーションアプリを使って目的地へ向かいますよね。現在地(いま)と目的地(ゴール)が明確であるからこそ、最短ルートを示してくれます。現在地、つまり自分の中心点が定まっていないと、ゴールを設定したとしても、「どの手段で向かえばいいのか」「そもそもそのゴールは本当に望んでいるものなのか」などが見えてきません。

何がいいたいかというと、やみくもに自分探しをするのではなく、誰かの意見やロールモデルでゴール設定をするのでもなく、まずはいまここに生きている自分を見つめて、現在地をはっきりさせることが必要なのです。

そうでないと、たくさんの情報におどらされて、さらに自分を見失ってしまうおそれがあります。私たちは、あまりにも誰かの声が届きやすい環境に生きていることを、理解しておくことがとても大切です。

本当にほしいものや、やりたいことがあるのに、多すぎる情報によって感化され、望んでいないものまで手に入れようとする。

あるいは、手に入れなければ幸せになれないと思い込んでしまうから、何を手に入れても満足できない状況をつくり出してしまいます。

幸せに生きるためには、自分にとって何が必要で、本当は何をするべきかを知れればいいだけなのに、本質を見失ってしまうのです。

ちょっと極端な例を出しますが、SNSを見れば桁違いの富豪や王族の生活まで見えてしまいます。

それはとてもわかりやすい成功に見えますが、人それぞれ必要なお金や欲望は異なります。それなのに、「いまの自分では満足できない」と感じ、焦ってしまい、一生懸命に走り続けてしまう……。そうすると、どれほど速く走っていたとしても、燃料や充電がなくなれば動かなくなるのと一緒で、いつかは止まって前に進めなくなってしまうのです。

だからこそ、自分を見失わないために必要なこととは、「いまのわたしの現在地を知る」ことだと言えるのではないでしょうか。

現時点のわたしを知り、そのわたしを肯定して、「さて、それからどうする?」「どうしたい?」と考えて、修正しながら歩いていくことが、自分を見失わずに生きていくことなのではないかと思うのです。 

●選択肢が多すぎると悩んでしまう

2節目で触れた「アイデンティティ・クライシス」とは、あるべき自分がわからなくなり、「自分らしさ」を見失ってしまうことを意味します。

生き方には正解がなく、自分が本当に望んでいる価値観を求め、「ああでもない、こうでもない」と悩んでいる人は多いです。これがいわゆる「自分探しの旅」にもなるのではないでしょうか。

前述したように、現代社会では価値観が多様化し、「幸せの正解」もひとつではなくなりました。いまの世の中で自分の幸せを見つけるためには、みずから自分なりの答えを探し、「あなた仕様の幸せ」を自分のものさしで選んでいく必要があります。

ですが、選択肢が多すぎると逆に悩みますよね。

たとえばユニクロのセーターのカラー展開は多くて10色ほどです。それでもどの色を選ぶか迷うのに、オーダーメイドものになるとさらに選択肢が増え、自分にとって何が最適の選択か悩んでしまいます。

すでに持っている服との相性を選ぶか、流行の色を選ぶか、本当は好きな色だけど、自分には似合わない気がして選んでこなかったものにするか……。

「これを選べば100バーセント間違いない」というものがなく、選択肢がいろいろあるからこそ迷ってしまうのです。

わたしは「いまの自分より、もっとすばらしい自分になりたい」「オンリーワンを手に入れたい」「まわりから自慢される人になりたい」などと、向上心を常にもって生きてきました。

このことは、仕事をするうえではいいように思います。実際に向上心がプラスに転じることは多々ありましたし、こういう考え方でよかったと思うことも多いです。

ですが、それと同時に底知れない不安と孤独を感じることがありました。

「何ももっていない自分」「まだ成し遂げていない自分」を認められず、限界を感じて崩れてしまったことがあるのです。そのときわたしは、「環境を大きく変えれば思い描いていた自分にきっとなれる」と思っていました。

しかし環境を変えてみても、「自分にはまだ足りない、このままではいけない」と、けっきょく自分自身を否定し続けたのです。

そうして生き続けているうちに、こころのなかで自分自身の方向性が揺れ動くことがありました。「なんのためにがんばっているの?」「余裕のなさによる怒りや焦りは、何に対して?」「本当にこの道を選んでよかったの?」と。

こころの中心点が定まらず、外から見た自分にばかり目がいってしまい、「これではいけない」「自分を変えなければいけない」と思っていると、本当に望んでいるものはいつまで経っても見えてこないものです。

いまになって考えると、「自分の現在地が見えていなかった」から、先ばかり見て不安になったり、焦ったりしていたのだなとわかりますが、悩みの渦中にいるときは見えていませんでした。

先を見すぎて焦ってしまうことは、ずっと「いまの自分を否定し続けている」ことと同じなのです。

●「いま」のことだけを考えてみる

もしもあなたがいまの状況に悩んでいるのなら、まずは先を見るのをいったんやめましょう。

前項でいったとおり、いまいる現在地を見つめなおし、スタート地点をあらためて設定してみてください。その現在地を客観的に、できるだけ肯定的に見つめることが大切です。

「自分の現在地って、どうやって見るの?」と思うかもしれませんね。

そのためには時間をつくることが必要です。

といっても1日のうちの何分かでかまいません。その時間は仕事や家族のこと、まわりの人や世の中の情報など、すべてを忘れて、「自分のことだけを考える時間」をつくるのです。

自分のためだけに時間を使い、さまざまな肩書きを取り払った自分になる時間をつくりましょう(肩書きを取り払うことについては、第2章で詳しく書いています)。

その時間はできるだけあたたかい飲みものを飲み、こころが落ちつける環境にしましょう。あたたかい飲みものを飲むと、「ヒートショックプロテイン」と呼ばれる細胞が活性化され、ストレスで傷ついた細胞を修復するだけでなく(参考『ヒートショックプロテイン 加温健康法』法研、著・伊藤要子)、こころのあり方も変えてしまうことがカルフォルニア大学の研究でわかっています。

からだをあたためることで、まわりの人や自分に対してポジティブな印象をもち、まったく同じ味の飲みものでも、冷たいものを飲むとポジティブな印象にならない、といったデータがあります。

よって、あたたかい飲みものを飲みながら自分のことだけを考える時間をとることで、ポジティブにモノゴトを考えられる、というわけです。

こころを落ちつかせて、やさしく前向きになれる環境のなかで、根拠がなくてもよいので、とにかく肯定してみてください。

「いまの私って、とってもがんばっていてすてき!」と自分への労いでもいいでしょう。それをくりかえし、自分への信頼度を上げるために言葉を投げかけ続けることが大切です。

そのような前向きに考えるための時間を、1日のどこかで意図的につくってみてください。そうすることで、「いまのあなたが思っていること」「いまのあなたが感じていること」「こころから望んでいること」などが感覚でわかるようになります。自分の現在置を知ることで、次に何をしたいかが見えてくるでしょう。

わたしは自分をフラットにした状態に戻れる時間を「ゆるりとした時間」といっていて、自分のご褒美時間にしています。

いまも、あしたも、未来も、幸せに生きていくためにも、「ゆるりとした時間」を日常のなかでうまくつくってみましょう。 

👉これでゆるり
自分のためだけの時間をつくりましょう。
そして、先を見すぎず、現在地(いま)の自分をしっかり見つめると、本当に望んでいるものがわかります。そうすることで目的地(ゴール)が明確に見えてくるでしょう。

*   *   *

第1章はここまで!
続きを読みたい方は、各電子ストアにて3月19日より随時発売になります。ぜひお買い求めください。
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書籍『【心と体がちょっと疲れたときに一息つける本】ゆるり幸福論 自分らしい幸せの手に入れ方』

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■書籍情報

心と体をゆるませて、不安や悩みをしなやかに受け流し、
前向きにいまを生きるためのヒントが満載の1冊!

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ゆらゆらとゆれる感情のゆらぎの中、心が安定せずに生きづらさを感じている人は多いですよね。
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本書は、そのような、いま目の前の現実がなんともいえずにモヤモヤしたり、つらかったり、生きづらかったりして、心がいつも不安定になっている方に向け、心と体をゆるめ、自己肯定感を高めて、モヤモヤや焦りなどの感情を安定させ、幸せを感じるための方法を紹介しています。

・大切なのは距離感と肯定
・「小さな幸せ」に気をまわせなくなったときは休む合図
・誰かの基準で生きているから、幸せの正解がわからない
・自分自身を枠に入れない
・「いま、現時点の自分」を見る
・人は欠けているから愛される
・幸せのチェックリストを見直す
・「やらずにはいられないこと」をやる
・運がいいと思い込む
など、「ゆるりと幸せに生きる」コツをたくさん詰め込みました。

ぜひ温かいお茶を飲みながら、リラックスして読んでみてください。

【目次】

第1章 なぜ、ゆるりとした時間が必要なのか。
第2章 ゆるり幸福論的・こころのゆとりのつくり方
第3章 ゆるり幸福論的・自分のこころの在処の見つけ方
第4章 ゆるり幸福論的・こころのととのえ方

【購入特典】

もも猫占いⓇ オリジナル壁紙セット

■著者プロフィール

山田麻衣

もも猫占いⓇ 管理人
株式会社Office M 代表取締役、鹿児島県出身、一児の母。
デザインやウェブ関係の仕事をするかたわら、自身の人間関係に悩んだ経験から、「深夜にひとり悩むあなたへ、前向きになれるアドバイスを」というコンセプトのもと、かわいい猫のキャラクターが目印のウェブメディア「もも猫占いⓇ」を運営。
「今日の運勢を占う”タロットメッセージ”」「おみくじ感覚で今のあなたに必要なメッセージを引ける”ゆるメッセージ”」など人気コンテンツ多数。趣味は茶道やアフタヌーンティーなどのお茶の文化に触れること。

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