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こんにちは!料理家ガンガンです👨‍🍳
今日は僕の大きな転機になったお話です。

書くのに1時間かかりました。
泣きながらだったので、かなり時間を要しました。

是非、食を愛する皆さんに読んでいただきたいです。

皆さんのお時間を少しだけください。

我が家のお米で作ったおにぎり

田舎の僕の実家は兼業農家で、3ヶ所くらいにある田んぼで米作りをしていました。
今はもうしていませんが、田んぼの手入れはしています。

母方の実家が大阪で、当時祖母は入院しています。

僕は大阪の空き家になっていた祖母の家に住ませてもらい、
時々、病院に顔を出して母に近況も報告するのが僕の役目でもありました。

僕は新卒で入社した職場を体を壊して退職し、療養期間を経て再就職のために大阪へと出ました。

大阪にいる従兄弟が祖母の身の回りの世話をしていて、ある日僕の実家から送られたお米を使って、おにぎりを持って行ったそう。

祖母は普段あまり食べなかったのですが、その日はおにぎりを2個目食べてたと聞き、家族みんな驚いていました。

「明日はステーキ食べるねん」

祖母は帰り際に従兄弟にそう言ったそう。

母からの着信履歴

翌日、普段通り職場で勤務中の休憩。
普段はLINEの文面のやり取りだけの母からの着信が。

僕はすかさず折り返しました。

「さっき病院から連絡があっておばあちゃんが・・・」

いまいち状況が掴めず、この時の僕はまだ冷静でした。
母は電車で3時間の田舎から向かうとの事。

でも、何か不思議な感覚。

僕は変な直感が昔からあって、本能的に「後々後悔する」っていうような事に敏感で、「行かなきゃ」 という衝動に駆られます。

それがまさに働きました。

上司に事情を説明し、病院へ直行。
途中、昨日おにぎりを持って行った従兄弟とも連絡を取り、一番早く着きそうなのは僕でした。

静かな病室

普段街を歩いていると、なんでそんなに急いでいるんだろう?と走っている人をたまに見かけます。

その時の僕はまさにそれ。

とにかく1秒でも早く祖母の元へ。

ナースセンターで名前を伝え、看護師さんに連れられ病室に。
病室はいつもより静か。

いつものように横たわる祖母。
でもどこか違う。

祖母はすでに息を引き取っていました。

(間に合わなかった)

看護師さんも昨日はあんなに元気だったのにと仰ってました。

大丈夫か?


「大丈夫か?」

祖母は面会のたびに、か細い声でこう言います。
自分の体を心配していればいいのに、僕の事をいつも気にかけてくれる。

「大丈夫やで」

いつもそう言い残して、病室を後にしていた僕。

祖母を安心して送り出すことができたのだろうか?
祖母を最期1人にしてしまった。

でも、なんだか一番早く到着したのが僕だったのは運命なのか、神様のいたずらなのか。行き場のない感情が込み上げてきました。

大阪に住む従兄弟、実家から到着した僕の家族。
続々と親族が集まりました。

その日は夜遅く、葬儀の準備もあるので解散。

早朝の母からのお願い

2日後の通夜当日の6時頃。
ひんやりとした秋の空気がベランダから流れ込む朝。

母が急に僕を起こし、机に僕を座らせ1万円を渡してきました。

この時何を言われたのか全部は覚えていませんが、確かに覚えているセリフ。

「あんたはシェフや。今はもう厨房で働いてないけど、あんたには料理がある。」

「おばあちゃんは明日はステーキ食べるってゆーて逝った。だから、おばちゃんに天国に持って行くステーキ弁当を作ってほしい。」

「おじいちゃんと向こうで食べれるように、2人分作ってくれ。」

この話をする前、確か夢を見たと言っていたような気がします。
母も昔から、予知夢のようなものを見ることがあり、何か感じたのだと思います。

そう話す母の姿は、過去一老いていました。
どこか祖母がのりうつったような面影が。
今でも覚えています。

調理開始

渡された1万円を手に買い出しを済ませ帰宅。
タンスにしまい込んでいた、白衣と包丁を引っ張り出しました。

実際の天国への弁当箱

お弁当の中身は
・実家のお米で作ったおにぎり
・食べれなかったステーキ
・祖母が大好きだった僕の得意な人参のポタージュ
・ポテトサラダ

葬儀場へ

僕は完成した弁当を手に葬儀場へ。
早速、祖母の棺桶に供えました。

込み上げてくるやるせ無さ。
でも、どこか報われたような感覚。
そして、とめどなく溢れる涙。

「ありがとう、〇〇(僕の名前)。ばあちゃん喜んでるわ」

母にそう言われ、
僕はその場でしばらく嗚咽していました。

親族用のお昼ご飯

親族分のお昼ご飯も頼まれていたので、同じようなものを詰めて持っていきました。
冷め切った弁当。
でも、皆一様に箸は止まらない。

今覚えば、親族が集まって僕の料理を突くのは初めてだった。

じいちゃんと仲良くな

翌日の葬式。
僕の弁当は火葬出来る様にあらかじめ容器とかを選定していました。

入れても大丈夫という許可が出たので、皆が花を手向けた後に。

「じいちゃんと仲良くたべや」

息もできないくらい嗚咽していた僕は、この言葉を絞り出すのにも2、3分かかってた。

火葬場へ運ばれ、お弁当は天へと昇っていき、こうして僕の大仕事は幕を閉じました。

終わりに

長々と文章を書きましたが、お付き合いくださりありがとうございました。

当時を思い出し泣きながら書いたので、ティッシュ箱半分くらいなくなりました。

死ぬ前に何が食べたいんだろう?
それは人それぞれだと思います。

あの店のハンバーグ、旅行先のパン、海外の有名店の料理、母の味噌汁。

人の数だけ味があります。

万人が美味しいと思う味はあるかもしれませんが、真に「また食べたい」「やっぱこれやな〜」と思える味は一握りでしょう。

祖母は残念ながら、実際にステーキを口にできませんでしたが、
きっと天国で祖父と僕のステーキ弁当食べてるんで。

僕はこれからも誰かに寄り添える、その家庭の味になれるような、そんな団欒の一部になれるレシピを作っていこうと思います。

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