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自由を生きるということ~回想

欧州の元軍人さんとのチャット

Facebookで知り合った英国に住むオーストリア人で、男の子2児のパパとスカイプで文字チャットする機会がありました。

 

こんにちはだけのつもりが、まったくの初対面、初チャットだというのにまるで長年の知己のように話が止まらなくなる、ということが時々あります。

 

その人はオーストリア人なのでドイツ語が母国語。私にドイツ語は話すのかと訊くので、ヌア・アインビッシェン、とスペリングもたどたどしく応答する私。

 

姉がドイツ人と結婚して、ドイツに親しい親戚がいっぱいいること。甥っ子姪っ子もドイツ語が母国語。私自身、大学の美学/肖像学の勉強でデューラーなどの記録は原語の文献を読むようゼミの教授から指導を受けていて、第二外国語は仏語だったけれど、ドイツ語イタリア語の文献を読むために勉強したこと。 

 

初めて降り立った海外最初がドイツ語圏,ドイツ語の会話事典を片手に1ヶ月の西ヨーロッパアドベンチャー第一弾がそこから始まったこと.スキーで憧れのオーストリア国立スキー学校で指導を受けたり、スイスのベルン市から来日した国際スキー連盟の技術代表の補佐をしたときベルンの本部で働かないかと誘われ一瞬ドイツ語を話して暮らす夢をみたこと。考えてみればドイツ語圏とのかかわりが結構ある私です。

 

 

ウィーンの出身だというので、「オリジナルのホテル・ザッハーのザッハートルテの味が忘れられない、レシピを見つけてくれないか」と頼みました。スキーとヨーロッパ美学に燃えていたあの頃、オーストリア国立スキー学校のあるサン・アントンに1週間滞在し、当時校長先生であり、そして札幌オリンピックでも活躍したクランマーさんにかわいがられ、彼の経営するロッジに泊まったこと、忘れていた思い出がよみがえってきました。

 

ロッジからスキー場への下り坂をクランマーさんとおしゃべりしながら一緒に歩いて行ったっけ。

 

そのチャットの彼、アレックスは軍隊に所属してて、そういったアルプスの山々で過酷な訓練を受けてきたという話をしてくれました。1週間一睡もしないで、最後の1日はお水以外口に入れてはいけない、、という訓練の3日目には森の中にインディアンが出てきてうごめく幻想まで見たそうです。辛かったけどそういった修練が生きていくうえでの忍耐力になって感謝しているというのです。

 

そしたら、私も忘れていた体験を想いだしました。そう、日本アルプス。日本にもアルプスがあるんですよ、という話に花が咲いて。

 

蓮華温泉へ

私はSAJの一級をとった頃から時々山と渓谷社からの依頼で雑誌SKIERのアルバイトをしていました。藤田さんという編集者の方にやれフロリダ州にあるテニスのプロ養成学校の英語インタビューのディクテーション翻訳をしてくれとか、やれ撮影するからあそこに行って滑ってくれ、という感じでした。大学生の頃です。

 

ある日、栂池の上の上にある蓮華温泉というところに取材に行くのでモデルスキーヤーとして来て欲しいというのです。だいたい私は楽しそう、と思えば詳しいことを訊かずに何でも二つ返事で飛びついてしまって、あとで後悔したり喜んだりするわけですが、このときもわ~い、と大喜びで参加することにしたのです。


栂池高原スキー場から蓮華温泉への道のり

 

ところが・・・


栂池に到着する頃には外は猛吹雪。スキー場のすべてのリフトが運転停止になるなんていうことはなかなかあることじゃないのに、その日に限って、麓の緩斜面のリフトまで全部止まってしまったのです。夏場はスキークラブの陸トレで鍛えているとはいえ、私は根っからの軟弱ひ弱人間。

 

もともと走ると吐き気がしたりして、体質的にも精神的にも無理をしたいとは思わない。麓のリフトが止まっているのを見て、遠征も中止に違いないと希望的観測をするわけですが、編集者達はそうはいかない。

 

「仕方がないからここから歩いて行くよ!」の声と共に、山岳部で鍛え上げられた編集者、カメラマンなど大男達7人は気のせいかうれしそう。手際よくスキーをバックパックの脇に器用に固定し始めます。

 

夏なら自動車道も通っており蓮華温泉までバスで乗り入れることができるというのに。ブツブツ。危機的な状況に置かれていることを悟り、私の頭の中にも雪は降り始め,吹雪のように頭のなか一体がどんどん真っ白になっていくのでした。

 

私のスキーもバックパックにしっかり固定してもらい、とにかく出発することに。

 

リフトで頂上まで行けてもそこから何時間も崖のような傾斜を徒歩で登らなければいけない場所に蓮華温泉はあります。麓から歩いてリフトの頂上に着くまでに何時間くらい歩き続けたでしょうか。夏だって大変だろうに、一歩一歩が雪にズボズボ埋まる状態です。もうその時点で私は限界状態。

 

心の中では「仕事だから」「引き受けたのだから」「弱音を吐くわけにはいかない」「や~めた、と今更きびすを返して帰るわけにはいかない」と変にプロ意識の強い私が立ちはだかり、声に出して弱音を吐いてしまいたい私を阻止します。


「迷惑をかけてはいけない」その思いが勝りとにかく沈黙のまま登り続けます。 


猛吹雪の中での決断

吹雪はどんどんひどくなり、傾斜もどんどん厳しくなっていく。30センチ先も見えないくらいの猛烈な吹雪。

 

晴れていれば絶景の斜面

その時に私は死んだのです。

 

たしかに、

私はそのとき、

死ぬことを無意識の中で選んだ。


心の中の葛藤は私の全エネルギーを消耗し始め、このままでは精神的疲労のために歩けなくなってしまう。もし、そんなことになれば、私一人が遭難するだけではなく、編集部スタッフ全員を巻き込むような参事にもなりかねない。


そんなことには絶対にしたくない。そして考えたのです。

 

過去の記憶にしがみついて「辛い」「できない」「もうだめ」「動けない」「助けて」「逃げ出したい。」そう叫び続ける自分に死を宣告し、そして心の中で泣きわめく私は死んだのです。

 

それしか方法はなかった。

 

精神的に追い詰められた、いや、「無理だ!」と主張して怯まない私の中の一人の私に追い詰められた自分に生き残る方法はそれ以外なかったのだと思います。


 

猛吹雪で30㎝の視界のこの斜面を永遠に登り続ける


「辛い」「できない」「もうだめ」「動けない」「助けて」「逃げ出したい」と、惨めに叫び続ける自分が死んだとき、あきらめの中から声が聴こえました。

とにかく次の一歩のことだけを考えよう。

 

どこにいるのかも、この過酷な試練がいつ終わるのかもわからない。

 

でもほかの事は考えずに、30センチの視界の中で、とにかく次の一歩だけを踏み出す、それだけを考える自分が生まれたのです。

 

まさに五里霧中。

 

その時、私という存在は今踏み出す次の一歩、それ以外のなにものでもなかった。

 

 

途中、スタッフが心配してくれ、重いスキーを分担して持ってくれた。


すぐ近くにいるはずのスタッフの姿は全く見えないのに、見えないたくさんの思いや応援や愛に包まれている、そんな気もした。

 

麓からの登山だったので予定も大幅に遅れをとっていた。万が一吹雪がさらにひどくなり、夕闇に包まれてしまえば全員遭難の可能性もある。だから、途中で休憩ということもなかった。

 

何時間歩き続けたのか、まったくわからない。でも、やがて急な傾斜がなだらかになり、吹雪が過ぎ去り、急に視界が広がり、撮影できるお天気に変わっていき、突然現れた下り斜面を気持ちよく滑ったような。

 

いや、あれは次の日だったのかな。

 

なんとか全員無事に蓮華温泉にたどり着いた。




温泉とはいえ簡素に作られた山小屋だった。

山菜づくしの質素なお食事がとてつもない大ご馳走に見えたものだ。


命あることへの感謝と誇りの中でその夜、ぐっすり眠ったことを覚えています。

 


自由を生きるための選択


思えば、私は人生の中で何度も死んでいます。生きているのか、召されてしまったのかとも区別がつかない追い詰められた境遇であの吹雪の日のように頭の中も、目に映るものさえも真っ白になるときがある。

 

それまでの自分を押し通していては生きていくことができないときに、私は精神的にその自分を捨てるために死にます。

 

殺されるままに死ぬこともあります。

 

いつのときからか、私は毎夜、眠りにつくときに死ぬことにしました。

 

その日一日を心から感謝し、思い残すことはない。そう思って死にます。

 

そして朝、あたらしく生まれたばかりの命を感謝し、その日、新しくむかえることができた一日を感謝し、喜びの中で、笑顔で一日を始めます。

 

いつからか、そんな習慣を作っていました。

 

蓮華温泉への取材の旅の後、2年ほどで米国に移住し、ずいぶん時間が経った時にクリシュナムルティと出逢いました。かのブルース・リーがUCバークレー校の哲学科で勉強していた時に尊敬していたという哲学者だったということも知りました。

 

「Freedom from Th Known」のオーディオブックを入手しました。それを20回くらい聴いたでしょうか。


日本語では「既知からの自由」で発売されています。


その中で彼が言っています。

 

人間は生きるために死ななくてはいけない。

死んで初めて生きることができる。

人間は毎秒ごとに、死ぬことを繰り返さなくてはいけない。

死ぬことは無に戻り、リフレッシュすることであり、思考という過去から解放されて生きることである。

クリシュナムルティ 「既知からの自由」(日本語訳Maya‐B)

 

 

毎日一回でも足りないくらいなんですね。

 

でも、私は死ぬことを習慣にしてた。

 

それでよかったんだ。

 

完全なる解放を目指して、これからも私は一瞬一瞬を惜しみなく死に続けたいと思います。

 

体験という過去に縛られず、日々新しい喜びを受け入れ拡張して生きていきたい、そう思います。

 

そして、若者よ、死に急ぐことなかれ。


精神的に死ぬという抜け道があるということを知ることができれば、自らを殺めて死に急ぐ人がことごとく減っていくのではないだろうか。




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