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「痩せてて羨ましい」について思うこと

とても個人的な話ですが、私はいわゆる「痩せ型」です。周りからは、

「痩せていて羨ましい」
「なんで食べても太らないの?」
「細いと体に良くないよ」

など言われることが多々。子供の時からこの体質なので、同じようなことをこれまで何度も言われてきました。中高生の頃はこの言葉に違和感を感じながらも、それが何の違和感なのか、自分の中では言語化ができずにいました。

「ダイエットしなきゃやばい」「また太っちゃった」という友達の言葉に違和感を覚えながらも、笑顔で同調していた記憶も…

社会人になった今思うのは、「太っているね」はダメなのに、「痩せているね」はなぜOKなんだろうか?ということ。

「太っているね」はダメ、「痩せているね」はOK?


アメリカへ留学したときに対面したのは、「太っている」や「痩せている」などの具体的な状態に対しての表現がNGなのではなく、「他人の体型について安易にコメントすること」自体がNGであるという文化です。

それには、
・背が高いね
・髪が多いね
・目が小さいね
・足がたくましいね
など、さまざまなコメントが含まれます。

人によって褒め言葉にも失礼な言葉にも聞こえるかと思いますが、そこには社会が決めた美や健康に関する基準が深く関わっています。

目が大きいことが美しいとされる国や文化もあれば、目が小さいことが美しいとされる国や文化もあるかもしれません。もしくは、目という体の部位がどんな基準にも関係ない国や文化ももちろんあると思います。

自分と同じ文化を相手に期待しない


国や文化、というとどこか他人事のように聞こえますが、留学を通して自分という文化は自分の中にしかなく、自分以外の人間は全員異なる文化を持って生きていると考えるようになりました。

どんなに親しい友達でも、親でも、彼氏彼女でも、自分と全く同じ環境を生きてきた人間はいません。

大なり小なり、みんなが違う考え方や感じ方を持って生きているからこそ、体型へのコメント自体だけでなく、その発言の安易さにも若いときの自分は傷ついていたのかもしれない…と思います。

痩せているのは本当に良い?


ここで少し話がズレますが、痩せ型の人間の観点から「痩せているのは本当に良いのか?」をお伝えしたいと思います。あくまで私個人の、私自身の体型について感じていることです。

メリット

・ズボンを選ばずに買える
・体が軽いので骨への負担は少ない(多分)
・生活習慣病になりにくい

デメリット

・貧血になりやすい
・目眩や頭痛がしやすい
・基礎体力がなく疲れやすい
・お酒が飲めない
・バストがないので上半身の服を選びにくい
・体型に合う下着や水着がない
・ストレスで食べられなくなる
・ホルモンバランスが崩れる
(将来的に妊娠に悪影響を与える可能性がある)

人にどう見えるかや自分がどう思うかは別問題として、健康や普段の生活の中で実際に困っていることを挙げています。

生理の周期が乱れて仕事ができなくなったり、少々無理して量を食べないと体重がどんどん減ってしまったり、友達と同じことをしても私だけとても疲れてしまったり…などなど。

「もっと食べた方が良い」
「痩せちゃうよ」
「元気が出ないよ」
は理解した上で努力している部分なので、人に言われるまでもなく、「それができたら苦労していないよ…」と思ってしまうところ。そしてこれは私個人が具体的に感じていることであって、体型が違えば、違う悩みを同じように感じる方はたくさんいると思います。

▼先日Instagramで拝見し、とても共感した投稿です。よろしければ、覗いてみてください。


社会のための体ではなく、自分のための体を


周りのみんなは痩せているから、ではなく、自分の体は自分の体それ単体として、どうすれば健康的な体にできるのか?を考えること。それは全員が自分の問題として、個人で向き合うべき問題なんだと思います。

繰り返しになるかもしれませんが、私は必ずしも「痩せていること=悪い」と言いたいわけではありません。その人それぞれの体のはたらき方がありますから、見た目や自身の主観で判断して体型にコメントしてしまう人が少しでも減ったらいいな、と思っています。

私自身、学生時代に体型でたくさん悩んだように(当時は羨ましく思っていた同級生たちにも少なからず別の悩みがあったハズ、と思っています)、子供たちや育ち盛りの若い世代がそんな社会の声に惑わされず、自分が自分を好きでいられるような、健康的な体を目指してほしいな、と感じております。
「健康=良」であることは間違いがないですね。

利他的な褒め言葉


とは言え、私に「痩せていて羨ましい」とコメントする人たちに悪意があるとは思えません。心から褒めているつもりで、そういうふうに言ってくださる方もいると思います。

相手に少しでも喜んでほしい、快適に感じてほしい、という純粋な気持ちから来る褒め言葉なのであれば、相手がどう受け取る可能性があるかという視点を見落としてはいけないと思います。

ただ、いつでもどこでも誰も傷つけない、完璧な発言ができる人もまた、ほとんどいません。知らないことだらけの世の中ですから、人を傷つけない努力を惜しまずに、誠心誠意人と関わっていけたら、と思います。


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