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10年越しの夢を捨てる時が来た

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どんな人生にも、希望はあると信じて。
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2023年4月の記事一覧

10年越しの夢を捨てる時が来た #4

10年越しの夢を捨てる時が来た #4

「看護師を辞めようと思います」

 面談室には夏菜子と看護師長が向かい合って座っており、看護師長の隣ではいつもの人事スタッフがパソコンと睨めっこをしている。夏菜子が意を決して口にした言葉を、看護師長は呆れたような表情で受け止めた。それが思いつきや投げやりではないことを夏菜子は分かってほしかった。
「実はここのところずっと考えていました。看護師の仕事は、私のキャパシティを超えています。私は少しの失敗

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10年越しの夢を捨てる時が来た #5

10年越しの夢を捨てる時が来た #5

 看護師を辞めると決意した夜、腹の底から溢れ出る何かが嗚咽となって夏菜子の心を引き裂き、これまで積み上げてきた全てが音を立てて崩れていくのを感じた。

 なぜこんなにも泣いているのだろう。

 荒い呼吸で酸欠状態の時でもどこか冷静な部分が常にあって、俯瞰して自分の感情と向き合った時、まず夏菜子を襲ってきたのは悔しさだった。やはりまともな人間にはなれなかった。看護師として正社員で働くというただそれだ

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10年越しの夢を捨てる時が来た #6

10年越しの夢を捨てる時が来た #6

 近くの精神科クリニックはインターネットですぐに見つけることができた。

 夏菜子がうつ病で心療内科に通っていた15年程前は、心療内科や精神科を受診するハードルが今よりももっと高く、まずもって予約制のところばかりで、1ヶ月待ちなんていうことがザラにあった。1ヶ月後の予約が取れたところで、その日の調子がどうなるかは分からないし、もし行けなかった場合、次に受診できるのは必然的に1ヶ月後ということになる

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10年越しの夢を捨てる時が来た #7

10年越しの夢を捨てる時が来た #7

 調子が悪い。看護師長との一度目の面談以降、どんどん調子が悪くなっているのが分かる。その理由だって夏菜子はちゃんと理解している。自分と向き合うために、過去を思い出し過ぎているからだ。

 自分が大切に扱われなかったことを象徴するような事実の数々に目を向けるのは辛いことだ。疑似体験ですらストレスとなって身体化して現れているのに、体験そのものを思い出して不調が起こらない訳がない。増してやその時抱いてい

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10年越しの夢を捨てる時が来た #8

10年越しの夢を捨てる時が来た #8

 夏菜子は決して人を寄せ付けないタイプではない。

 むしろ病院ではいつも笑顔でいて、冗談を言っては患者を笑わせるタイプだ。浮き沈みがなく患者を一番に考えて行動するので、患者からもスタッフからも人気が高かった。側から見ると、明るく元気で前向きな女性に見える。夏菜子はそういう自分を完璧に作り上げていた。
 わざわざそうする訳ではないが、夏菜子は自然とそう振る舞ってしまう。家庭環境が作り上げた虚像なの

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10年越しの夢を捨てる時が来た #9

10年越しの夢を捨てる時が来た #9

「退職の意向に変わりはありませんか」
 看護師長は溜息まじりに夏菜子に問いかけた。

 やはり退職したいと看護師長に願い出てから1週間が過ぎていた。治療をしながら仕事を続けるよう勧めてくれたのは嬉しかったが、カウンセリングを受けると決めて以降の体調は最悪で、しかも寝坊をして業務に支障を来してしまって、これ以上迷惑を掛けられないと退職の意向を明らかにした。
 改めて面談の場を設けてくれると言われたの

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