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10年越しの夢を捨てる時が来た #5

 看護師を辞めると決意した夜、腹の底から溢れ出る何かが嗚咽となって夏菜子の心を引き裂き、これまで積み上げてきた全てが音を立てて崩れていくのを感じた。

 なぜこんなにも泣いているのだろう。

 荒い呼吸で酸欠状態の時でもどこか冷静な部分が常にあって、俯瞰して自分の感情と向き合った時、まず夏菜子を襲ってきたのは悔しさだった。やはりまともな人間にはなれなかった。看護師として正社員で働くというただそれだけのことなのに、10年間手を伸ばし続けてきたそれを掴むことができないまま夢にピリオドを打つ時が来た。
 そんなたまらなく辛い気持ちを一頻り噛み締めた後に押し寄せたのは、意外にも安堵だった。

 やっと終わることができる。もう、頑張らなくても良いんだ。

 体を痛め、心を痛め、人に迷惑をかけて働いている事実がずっと辛かった。場所を変えれば自分も変わるかもしれないと一抹の希望を胸に転職を繰り返してきたがそんなはずもなく、こんなことをまだ20年以上も繰り返していかねばならないのかと想像するだけで目眩を覚えた。とっくに限界は感じていた。でもそれを認める訳にはいかなかった。
 だってまだうつ病は悪化していない。過呼吸は起きていないし失声症状も不安発作も現れない。むしろ夜はよく眠れ食事は美味しく、休日は友人と飲みに行ったり海外旅行をしたりして楽しむことができている。うつ病が悪化しない限り、手にしている夢の欠片を自ら放り投げることはできなかった。

 それこそが、夏菜子が家族からかけられていた呪いだったのだろう。

 夏菜子の父方の祖母は、一代で財を築いた遣り手の女社長だった。何人かを雇いながら建築会社を経営し、他にも土地や株で資産を増やしていった。倹約家で派手な生活を好まず、仕事ぶりとは裏腹に普段の生活は質素なものだった。祖母から母へ支給される生活費は極端に少なく、母は独身時代の貯金を切り崩しているとよく愚痴をこぼしていた。当然夏菜子が貰える小遣いは同年代の水準より低く、割と常にお金に困っている感覚があった。

 看護師の専門学校に通い始めて少しした頃、夕食後に自室で寛いでいたら祖母に呼びつけられたことがある。テーブルに幾枚かの書類を並べて険しい表情で夏菜子を睨みつける祖母を前に、自分が何かやらかしたかと冷や汗をかいていると、祖母は書類を突きつけてこう言った。
「お前の半年分の学費の請求書だ。わしはお前にこれだけ払ってやる。感謝しろ。金額をよく見ておけ」
 状況を理解した夏菜子は、驚きと共に湧き上がる悔しいような情けないような何とも言い難い惨めさに震えた。祖母の理不尽はいつもの事だったが、余りの言い分に怒りが込み上げた。
「これを私に払えっていうこと?払える訳ないじゃん。じゃあ学校辞めるわ」
 祖母は顔色ひとつ変えず夏菜子を睨みつけ、請求書の額面の部分を指差した。
「よく覚えとけよ」
 祖母の隣でテレビを観ていた父は、画面から視線を外さぬまま「もう部屋に戻れ」と夏菜子に合図した。母は台所に居て全てを聞いていながら、何も言えずに影を潜めているだけだった。

 夏菜子の生きる世界に、味方は誰一人存在しなかった。

 そんな風でも、夏菜子が看護師試験に合格した時の家族は近所に誇らしげに自慢をしていて、直接褒められることのない夏菜子の心を少し軽くした。看護師というステータスは世間体を気にする家族の大好物だったので、看護師として結果を残すことでいつか家族に認めてもられるかもしれない、分かり合える日が来るかもしれないと夏菜子の胸に希望を抱かせた。
 しかしそれは同時に足枷となり、夏菜子を縛り付けていた。

 人の役に立てる看護師の仕事は好きだったが、好きだけで突き進むには、背負うものが余りに大き過ぎてしまった。

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